Antonio Carlos Jobim
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Antonio Carlos Jobim (アントニオ・カルロス・ジョビン) プロフィール

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誕生:1927年01月25日  in Rio de Janeiro, Brazil
死亡:1994年12月08日  in New York, NY

20世紀、ブラジルが生んだ偉大なる作曲家、詩人であるAntonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)(本名:アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ジ・アルメイダ・ジョビン)、人々は親しみを込め彼のことをTom Jobim(トム・ジョビン)と呼ぶ。誰もが耳にした事があるだろう、“The Girl From Ipanema(イパネマの娘)”や“Wave(波)”の作者でありボサノヴァの誕生に関わった重要人物、まさに創始者。

1927年1月25日、リオデジャネイロ北部のチジュ−カ区に生まれる。父は詩人でありコラムニストであったが8歳に時に亡くなってしまう。後にボサノヴァが生まれたコパカバーナとは反対の地区チジュ−カからイパネマ〜コパカバーナと少年時代を過ごした。13歳の頃母が開いた私立学校に置いてあったピアノとの出会いがジョビンの人生を大きく変えた。

ジョビンが22歳の時にテレーザと結婚。翌年の1950年に長男Paulo(パウロ)が誕生。若くして父となったジョビンは生活の為に夜はバ−やクラブで酔っぱらいの客を相手にピアノを弾いていたという。そして’53年、コンチネンタル・レコードに入社、この頃既に数々の曲を書き溜めていたジョビン、後オデオンの社員として迎えられる。

この頃に旧友ビリー・フランコとの共作曲“Tereza Da Praia(浜辺のテレーザ)”が人気歌手ディック・ファルネイとルーシオ・アルヴィスがデュオで録音された。このジャズ・テイストで洒落た楽曲が話題を呼びジョビンは作曲家として認められてゆく。時は同じ頃、’54年にビリー・フランコとの共作“リオデジャネイロ交響曲”を発表、15分以上にも及ぶ壮大なる組曲で「山」「太陽」「海」をテーマに作詞はブランコが担当しレコーディングにはDick Farney(ディック・ファルネイ)Lucio Alves(ルーシオ・アルヴィス)をはじめ当時人気の歌手が多く参加し話題となった。大自然をモチーフとしクラシカルなサウンドの大作となったこの組曲はやはり幼い頃自然に囲まれて育ったジョビンならではとも言える。

後にジョビンはVinicius De Moraes(ヴィニシウス・ヂ・モライエス)に「鍵」という名のバーで出会う。ジョビンのピアノ演奏をいたく気に入ったヴィニシウスは早速彼に声をかけコンビを結成。そして生まれたのがオルフェとユリディスのギリシャ神話“オルフェウ・ダ・コンセイサォン(降誕祭オルフェ)”。

ボサノヴァが誕生する瞬間〜それは’56年、その頃無名であった歌手のJoao Gilberto(ジョアン・ジルベルト)と再開し、彼の独特の囁くような、話しかけているような歌い方に魅了され、’58年のアルバム“エリゼッチ・カルド−ゾのジョビン/ビニシウス作品集”のレコーディングにギタリストとして推薦し、またジョアン・ジルベルトの作曲で名曲“Shega De Saudade(想いあふれて)”を作る。

’58年11月、ジョアン・ジルベルトがセカンド・シングルとして録音したのが“ヂサフィナ−ド”、この「調子っぱずれ」という意味が付いた名曲はジョビンが作曲したものでボサノヴァ最初の作品とも言われている。

’59年、戯曲“オルフェウ・ダ・コンセイサォン”を原作としたフランス映画「黒いオルフェ」がカンヌ映画祭のグランプリを受賞し映画の大ヒットと共にジョビンとヴィニシウス共作のオープニング曲“フェリシダーヂ”が世界中に浸透する。’63年、ジョビンはニューヨークにて自作のインストゥルメンタル・アルバムでファースト・アルバムとなる“イパネマの娘”をリリース、そして同年、同じくニュー・ヨークにてスタン・ゲッツとのコラボレーション・アルバム“Getz(ゲッツ)/Gilberto(ジルベルト)”に参加しこのアルバムに収録された“イパネマの娘”が大ヒット、世界的にボサノヴァ・ブームがこの時から始まった。

’64年、ジョビンはネルソン・リドル・オーケストラをバックに歌にも挑戦した“ワンダフル・ワールド・オブ・アントニオ・カルロス・ジョビン”をレコーディングする。後ジョビンは南北アメリカ大陸に頻繁におもむき名盤”Wave(波)”が誕生、以降ジャズ系〜ポップス系のミュージシャンが彼の曲をカヴァー、フランク・シナトラとの競演作等広範囲にて活躍。ジョビンがアメリカ本土で活躍中の’64年、ブラジルでは軍事独裁政権が発足されたが彼はブラジルを離れる事はしなかった。

ジョビンの作る音楽に変化が見られるたのは’73年アルバム“Matita Pere(マチタ・ペレ−)”の頃から、自らの制作費にて録音された本作では何の制約をも受けずに、純粋なジョビンの作品が生まれる、そこにはブラジルの大自然、鳥や森をモチーフにジョビンの環境に対するメッセージが展開され、そこにはボサノヴァは存在する事なく交響楽団との共演によるクラシカルでドラマティックな世界が繰り広げられている。

幼い頃に大自然に囲まれて育ったジョビンにとって環境問題の占める所は大きいが、決して熱くメッセージをアピールするのではなく作品の中ではあくまで美しく、自然に表現されているところがジョビンらしい。そして幼い頃親しんだクラシックがサウンドにも反映された。“三月の雨”や“パッサリン”、アルバムでは“ウルブー2514530”等そうしたコンセプトに基づき作られている。

そして’74年にロサンゼルスで録音されたエリス・レジ−ナとトム・ジョビンの初共演作“Elis Regina & Tom Jobim(ばらに降る雨)”も名盤といわれる一枚。冒頭の“三月の雨”での二人のデュエットは聞いている方も幸せな気分になってくる素敵なセッション。エリスのソロもジョビンのピアノも聴きどころは満載。

ひところボサノヴァから離れがちだったジョビンは’80年にボサノヴァの名曲を再演したアルバム“テラ・ブラジリス”をリリースし後の’84年に自身のユニット、バンダ・ノヴァを結成する。メンバーは息子のパウロ(g.vo)、娘のエリザベッチ(co.)、ドリヴァル・カイミの息子ダニロ(fl.vo)とその妻シモ−ニ(co.)、ジョビンの二人目の妻アナ(co.)、そしてチェロ奏者、ジャキス・モレレンバウン夫妻と大家族なユニットは世界中をツアーし’86年にも来日している。

最終的にこのユニットが彼にとっての安住の地となり更に活動は続く...。’92年にはリオで開催された「地球サミット〜世界環境会議」の為に新曲となる“フォエヴァー・グリーン”が発表される。このステージではスティング、そしてプラシド・ドミンゴ等と共演。

活発な活動の続くジョビンは’94年にアルバム“アントニオ・ブラジレイロ”をリリースする。このアルバムではボサノヴァの名曲からクラシカルな楽曲までとジョビンの全てが表現された内容となり、ドリヴァル・カイミ、スティングも参加の豪華な一枚でそこには自然を愛するジョビンの哲学が散りばめられている。しかしこのアルバムを最後にジョビンは帰らぬ人となった。

1994年、12月8日に膀胱ガンの手術の為にニューヨークの病院に入院中に永遠の眠りについた。享年67歳。ブラジルは3日間の喪に服す。

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