CHAGE and ASKA

CHAGE and ASKA プロフィール

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Chage&Askaのヒット曲といえば、「Say Yes」、「Yah Yah Yah」があまりにも有名で、音楽シーンのみならず、日本での社会現象にもなったほどだが、それ以外の楽曲を知らないという最近のファンから、年季が入っている往年のファンまでとにかく幅広い年齢層から認知されているChage&Aska。彼らはまさに日本を代表するアーティストといっても過言ではないだろう。

それらのヒット曲以外にも優れた楽曲を多く生み出しており、「Love Song」、「Walk」や、古くは「モーニングムーン」、そして「万里の河」などはファンの中で長年支持されている名曲である。あるいは、「終章」、「On Your Mark」なども深く胸に響く佳曲だ。また、一般にも浸透している「太陽と埃の中で」、「僕はこの瞳で嘘をつく」、「めぐり逢い」、「恋人はワイン色」などもある。それらの音源をデビューから2004年までそろえられる25周年記念BOXはまさにうってつけの作品でしょう。

また彼らはコンスタントに新曲・アルバムも作り続けており、ライブも結構な規模で行なっている。ここ数年、彼らの活動周期は以前ほど頻繁にではないため、ロングツアーを行う分、楽曲制作やレコーディングに費やす期間も延びていて、同時に楽曲への“こだわり”もさらに強くなっている。

そして25周年を迎えた2004年。彼らはたとえ大御所と呼ばれようとも、決してそこにあぐらをかくわけでなく誰に対しても気さくな人柄として好印象を与え続けている。しかし一方で、自分たちのやってきた音楽性には職人意識を傾け大物アーティストと言われる故ののクオリティを常に維持しつづけている。珠玉のメロディーラインとまるで楽器のようなその美声に女性が魅了されるのはもちろん、Cage &Askaの歌詞世界はどこまでも男の持つ哀しい一生懸命さが伝わってくる。そこに勇気と共感を覚える男性も後を絶えない。

楽曲構成は壮大バラードなものやアッパーなリズムのもの、そしてラブソングとどれもがそこのスケールの大きさを感じさせるが、歌詞は一人の男性からみた極めて機微な世界だ。年を経るごとに重みと深みを増す、そんな多くの魅力と実力を気負いなく兼ね備えた、親しみ易い愛されるべき大器の二人なのだ。

■Chage & Askaプロフィール

Aska 1958.2.24 福岡出身 A型
Chage 1958.1.6 福岡出身 B型

第一経済大学の同級生として、それぞれ別々のバンドで活動していたが、 第15回ヤマハ・ポピュラーソングコンテスト福岡大会にAskaがチャゲを誘いエントリー。結果、チャゲがグランプリAskaが最優秀歌唱賞を受賞。
チャゲ が九州大会に進むことになったとき、当時のヤマハのディレクターから「2人で出場してみないか」と誘われ、“チャゲ&飛鳥”が誕生。 同じ大学だという理由から軽い気持ちで言った一言が、その後のビッグアーティストを生むことになろうとは、思ってもみなかったことであろう・・・。

1979
第17回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会入賞曲ひとり咲きでデビュー。
1980 1stアルバム風舞をリリースし、それを引っ提げての初の全国コンサートツアー。 シングル万里の河をリリース。ロングヒットを記録。
1982
この年のツアーで、現在のChage&Askaのライブの原点ともいえるオープニング&エンディングムービーを公開。 「あの当時は人と違うことをすることが命題だった。」とあとから振り返ったAskaは言う。 ふたりのキャラクターを生かしたステージングがこの時に生まれる。
1983
この頃に“チャゲ&飛鳥”を“Chage&Aska(90年から、Askaへ変更)へと英語表記に変え、 曲作りのうえでもギターサウンドから鍵盤やコンピューターへと変わっていった。
1984
ソロ活動にチャレンジし始める。
1985
楽曲制作において、打ち込みに磨きがかかり、シングル誘惑のベルが鳴るリリース。
1987
Askaがドラマに出演する。主題歌はAska初のソロシングルMy Mr.Lonley Heart。 同時にこの年はAskaのソングライターとしての能力が世間を席捲する。 その主たるものが光Genjiに提供した曲の数々だった。
1988
アルバムEnergyをリリース。
1989
Chage&Askaにとってデビュー10周年。 存在感のあるアルバムPrideでは 自信と勢いを感じられる作品を発表するなど、後に語られることになる名曲の数々が誕生。 また、この年ツアーを境に約半年間に渡って活動を休止。
1991
この1年は、Chage&Askaを日本を代表するアーティストにした年となった。 Askaのソロシングルはじまりはいつも雨で、 CMソングに起用されたこの曲は大ヒットとなり、 Say Yesは、社会現象を巻き起こすほどの驚異的な売上を記録し アルバムTreeもそれに続き全盛期を迎える。
1992
2人は再びロンドンへと渡り アルバムGuysのレコーディングに突入した。 こうしてできたアルバムは、西洋と東洋のメロディーがミックスされ Chage&Askaならではのメロディアスな世界感に傑作と呼ばれるほど評価が高いものに仕上がっている。
1993
シングルYah Yah Yahはドラマの主題歌として起用され、続くアルバムRed Hillで 再び社会現象を巻き起こす。 この年モナコ音楽祭にアジア代表として参加したり、シンガポールでの熱狂振りにアジアツアーの開催を決意する。その年のツアーでは、 全国70会場をまわり、その終着点としてはアジア(香港・シンガポール・台湾)を回った。
1995
シングル晴天を誉めるなら夕暮れを待てで“Aska=バラード”という定義を打ち破るアップテンポな楽曲になった。 この年はソロからChage&Askaへと活動を展開させる。
1996
長いツアーから完成されたCode Name.2 Sister Moonは、Code Name.1・・・の続編的アルバムとして世に発表された。これらの作品は、メロディーやサウンドのすべてが進化し、音楽性の変化が見られる興味深いアルバムだ。 この年2人は「MTV Unpluged」に立った。そう、宇多田ヒカルが出演して話題を呼んだあのステージ。 アジアからは初の出演、Say Yes男と女など十数曲をアコースティックアレンジで披露。 彼らのパフォーマンスに、世界中の音楽フリークが喜んだ。
1998
お互いのソロを終始。
1999
3年半のブランクを感じさせず、 レコーディングに入ったふたりは意欲的に制作に打ち込んだ。 「Chage&Askaを楽しんで創れた」 というアルバムNo Doubtは セルフプロデュースによって完成され、デビュー20周年記念日に世の中へ発表された。
2000
“Chage&Aska 韓日親善コンサート”への出場が決定。
これは韓国政府による文化開放をうけて、オファーされたものだった。 2人はソロ活動や楽曲制作をこのコンサートのために全て費やした。
2001
2年の沈黙を経てロケットの樹の下でリリース。
2002
セルカバーアルバムStampをリリース。あの第ヒット曲を数年経た今、自ら歌いなおし、楽曲の純度をさらに高めた作品。
2003
映像作品Music On FilmsCountdown Live 03>>04 In Sapporo Dome のリリースはあったもののリリースとしては、それ以外にリリースはなかった。
2004
25周年という記念すべき年を迎えた2004年。過去のアルバムをすべて網羅した25周年記念BOXのリリースなど、今また彼らのピークを迎えようとしている。

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