Crowded House
新商品あり

Crowded House (クラウデッド・ハウス) プロフィール

Crowded House | プロフィール | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!

ニューウェイヴ的サウンドを通過したモダンな佇まいを持ちつつ、ビートルズ以来の伝統的なソングライティングを中心としたギター中心の良質なポップ・ソングを数多く披露し人気を博したクラウデッド・ハウス。正直なところ、その良心的な、といったような個性が裏目となって地味な存在に甘んじることも少なくなかった彼らだが、その存在は解散した今でもある種のギター・バンド、ポップ・ソングを愛するリスナー層から愛され続けている。

ニュージーランドに生まれ、オーストラリアを拠点に活動した伝説的なバンド、スプリット・エンズは、後にクラウデッド・ハウスのメンバーとなるティム・フィン(vo.p)と、後にスウィンガーズ、シュネル・フェンスターというバンドでも活躍するフィリップ・ジャッドが学生時代に出会ったところから始まっている。スプリット・エンズは、本格的に活動を開始した1972年以降、ワールドワイド・デビューも果たし、70年代半ばにはティムの実弟ニール(vo,g)を迎えたりしながら、活動を展開していった。いくつかのヒットも放ち、ある程度の名声も獲得していったスプリット・エンズは、しかし83年の Confliction Emotions を最後にバンドの看板だったティムの脱退という事態を迎える。残ったメンバーは新たにポール・ヘスター(ds)を加え、ニール中心でバンドを立て直そうとするが失敗。1984年暮れに解散に至った。

スプリット・エンズ解散前後からニール・フィン(vo,g)とポール・ヘスター(ds,vo)はニュー・グループを計画していた。それが結果的にクラウデッド・ハウスに繋がる。ハンター&コレクターズに居たニコラス・シーモア(b,vo)を加えたグループは当初ミュレンズを名乗っていたが、1985年の暮れにクラウデッド・ハウスと改名。1986年、シングル“ワールド・ホエア・ユー・リヴ”でデビューした。そして翌1987年にリリースしたシングル“ドント・ドリーム・イッツ・オーヴァー”が全米トップ3入り、また続く“サムシング・ソー・ストロング”もトップ10入りとなるヒットとなり、一躍クラウデッド・ハウスの名は世界に広まった。そのため前年の1986年にリリースされていたデビュー・アルバム ドント・ドリーム〜(Crowded House) 自体も全米12位となる大ヒットを記録し、この1987年の時点で、彼らは早くも人気グループの仲間入りを果たしていた。

前後してツアーを行っていたクラウデッド・ハウスは1987年暮れからレコーディングに入り、翌1987年6月にはセカンド・アルバム テンプル・オブ・ロウ・メン(Temple Of Low Men)を発表。シングル“ベター・ビー・ホーム・スーン”をヒットさせた。

クラウデッド・ハウスはこの時期、自らの作品以外にも積極的な活動を展開していた。代表的なものは1988年、映画「リッキー&ピート」への未発表曲の提供、また1989年にはオーストラリア原住民のアボリジニの人種差別問題を訴えたチェリティ・アルバム Building Bridges に、ポールとニコラスの二人がアボリジニの血をひいていることから参加、といったものだ。その後ニールハンター&コレクターズのアルバムにゲスト参加。また兄ティムと1989年暮れにグリーンピース主催のコンサートにスプリット・エンズとして出演するなどの出来事もあった。

1990年に入ると、ニールは兄ティムとともに活動を共にしだした。まずアボリジニのシンガー、アーチー・ローチのアルバムや映画 Big Steel のサントラに参加。そしてこの頃からフィン・ブラザーズとしてのアルバムが計画され始めたのだった。そうした中、フィン・ブラザーズは、結局クラウデッド・ハウスのアルバムへと発展。1991年に入った頃には正式にティムクラウデッド・ハウス加入が発表されることになった。

1991年にティムが参加したサード・アルバム ウッドフェイス(Woodface) 発表。この作品からはイギリスを中心にシングル・ヒットが五つ、立て続けに生まれた。しかしここで大きな事件が起きた。1991年後半に行っていたヨーロッパ・ツアー中に、突如ティムが失踪。結局そのままクラウデッド・ハウスを脱退してしまうという出来事が起こったのだ。しかしこのハプニングにもバンドは動じず、新たにマーク・ハート(g, key)を加え、その後のツアーも継続して行っていった。

1993年に入ると、ニールはそれまでティムとともに暮らしていた豪メルボルンから、母国ニュージー・ランドへと帰国。ここを拠点に活動を開始。一方でティムのアルバム ビフォー&アフター に参加するなどの仕事も請け負っている。クラウデッド・ハウスのほうは、正式にマーク・ハートをメンバーに迎え、通算4作目のアルバム トゥゲザー・アローン(Together Alone) を同1993年中に発表した。その後ツアーを開始したバンドだったが、翌1994年2月の来日公演が中止となり、また春の全米ツアー中に、ポールが脱退するという事件が起こった。

ドラマーの代役をたててツアーを何とか凌いだクラウデッド・ハウスは、その後しばらく活動を休止。一方でフィン・ブラザーズとしての作品作りの計画が再び浮上。ニールティムは、ニュージーランドのアーティスト、デイヴ・ドヴィンも加え、Finn名義でアルバム フィン を1995年に発表した。1996年に入るとFinnのツアーが行われたため、一部でクラウデッド・ハウスの解散が噂されるようになるが、結局ベスト盤 リカリング・ドリーム〜ザ・ヴェリー・ベスト・オブ〜(Recurring Dream) が発表されたと同時に解散が発表された。

クラウデッド・ハウスの音楽そのものはメンバーのそれまでの活動歴を見れば明らかなように非常にプロフェッショナルなものだったといえるだろう。正直なところ、その辺りの職人くささが若いインディ・ポップ・ファンのリスナーには鼻につくところかもしれないが、伝統的なポップの手法、メロディを瑞々しいギター・サウンドに乗せつつ懐の深いサウンドで聴かせる、という彼らのサウンドには、普遍的なポップスの持つ良さが備わっているし、当時のサウンド・プロダクションのイナタさ、ダサさをも超えてアピールしてくる魅力があるな、と。筆者自身、久々に聴き直していて思った。

%%message%%