Duran Duran
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Duran Duran (デュラン・デュラン) プロフィール

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Duran Duran

90年代にただの一度も振り返られる事のなかった80年代サウンド。長い間「なし」と冷遇され続けてきたものの、時の移り変わりか単なるソースのネタ切れか、2000年に差し掛かったあたりから80年代はいつの間にかトレンディーでナウいものになっていた。MTV世代とも呼ばれるかの時代に主流であり、洗練された(いま聴くとかなりいなたいが)エレクトロ・サウンドの一端を担ったムーヴメント、そのMTVの視覚的効果を最大限に利用した近未来的なヴィジュアルを前面に押し出した「ニューロマンティクス/フューチャリスト・ムーヴメント」の象徴的存在ともいえるのが本稿の主人公、デュラン・デュランだ。

デュラン・デュランはバーミンガム出身のジョン・テイラーとニック・ローズの2人を中心に1978年6月に結成された。そこにスティーヴン・ダフィとサイモン・コリィが加わる形でバンドは本格的に活動を開始する。イアン・ハンターの著書、『ダイアリー・オブ・ロックン・ロール』に触発されロックに目覚めたと言うジョンはバンド名もお気に入りの本や映画から頂戴しようと考え、その中からRAFというものが候補に挙がったといが、結局はジェーン・フォンダ主演の1968年のカルトSFムービー『バーバレラ』に登場するキャラクター(セックス・マシーン)の名前Duran Duran(デュラン・デュラン)を最終的なバンド名として決定した。

ジョンとニックよりもロック指向が強かったダフィとコリィが相次いで脱退。ダフィは後にティン・ティンの名でソロ・デビュー。“Kiss Me“の大ヒットを放った。87年にはライラック・タイムを結成。その後の活躍はご存知の通り。残されたジョンとニックはTVアイというグループのヴォーカリストであったアンディ・ウィケットをバンドに加入させる。79年には元クルシファイド・トード、セント・オルガンズのロジャー・テイラーが加入。再び4人編成となったバンドはUB40などを手掛けるプロデューサー、ボブ・ラムの手を借りデモ・テープの制作に入る。しかし80年になるとアンディが脱退。代わりにジェフ・トーマス、さらにギタリスト、アラン・カーティスを加入させる(ジョンはベースにスウィッチ)。ようやくデモ・テープを完成させるに至る。そのデモ・テープを聴いたバーミンガムのディスコ「ラム・ランナー」のオーナーからお声がかかり、そこのハコバンとして大抜擢を受けたのはよかったが、ジェフとアランが早くも脱退するというアクシデントに見舞われた。

ジョンとニックとロジャーの3人はメロディー・メイカー誌にメンバー募集の広告を掲載。その応募によって開かれたオーディションの末、決定したのがアンディ・テイラーである。そして「ラム・ランナー」で出会ったバー・メイドの紹介でバーミンガム大学で演劇を専攻していたサイモン・ル・ボンが加入。ようやくデュラン・デュランのラインナップが落ち着く事になる。

バンドの布陣が整い、いよいよ本格的な活動を開始したデュラン・デュランはロンドンでのステージ・デビューを果たし、ヴィサージアソシエイツなどのオープニング・アクトを担当。そのステージの評判を聞きつけたレコード会社の間でデュラン・デュランの争奪戦が行われた末に80年12月、EMIと契約を交わした。その翌年81年2月シングル“プラネット・アース”でデビューを飾ったデュラン・デュランは「ニューロマンティクス/フューチャリスト・ムーヴメント」の旗手としてメディアに紹介され、一躍人気バンドへと登りつめる事になる。その後の活動も順調で世界中で人気を獲得するにまで至る。83年には弟分カジャグーグーのバックアップにも一役買っている。

快進撃を続けるデュラン・デュランであったが84年後半にはバンド活動をほぼ休止する事になる。その原因としてはジョンとアンディがロバート・パーマーシックのトニー・トンプソンとともに結成したプロジェクト、パワー・ステーションでの活動である。サイモン、ニック、ロジャーの3人もアーケイディアとして始動。デュラン・デュランのとしても活動も並行して行われたが、シングルやライヴ・アルバムなどのリリースに留まっている。85年に入ってもそれぞれのプロジェクトに力をいれ、デュラン・デュランの解散説が高まるようになっていった。86年にはジョンがソロ活動を開始。デュラン・デュランとしてのレコーディングも夏に開始されたが、アンディ、ロジャーが脱退。いよいよ解散が決定的かとも思われたがゲスト・プレイヤーを起用しアルバム『ノートリアス』を発表。

その後もデュラン・デュランはメンバー・チェンジなどを繰り返しながら、長い間この音楽業界をサヴァイヴし続けている。90年代に入っても彼ら最大の名曲とも言える“オーディナリー・ワールド”をヒットさせる。そして2001年オリジナル5と呼ばれるジョン・テイラー、ニック・ローズ、ロジャー・テイラー、アンディ・テイラー、サイモン・ル・ボンのラインナップでレコーディングをし、アルバムを制作する事を発表した。発売は2003年中に予定されている。

デュラン・デュランはMTV時代の申し子であり、ニュ−・ロマンティック/フューチャリストと呼ばれるムーヴメントの代名詞的な存在であった。彼らが注目されるにあたってヴジュアルというものは切っても切れないものではあったが、82年発表のアルバム『リオ』は脱ニューロマ宣言ともとれる音楽的にも評価される作品であった。デュラン・デュランの世界(特にアメリカ)での成功はその後のバンドのアメリカ進出に一役買ったといえるだろう。

どうしてもニューロマについてばかり話が終始してしまいがちではあるが、デュラン・デュランやニューロマと呼ばれた一連のグループの音楽性を正統に継承している後続のミュージシャンは意外と少ないように思える。一時期テイ・トウワがお笑い芸人の今田耕司をKOJI 2000としてデビューさせたこともあったっけか。クイック・ジャパン誌でかつて連載を持っていたDJハヤシがニューロマの最後の末裔だというのはいささか大袈裟?冒頭にも書いたがいま時代はひと回りして80年代は「アリ」になっている。クラブ・ミュージックのシーンでは「エレクトロクラッシュ」なるファッションとも結びついた80’sリヴァイヴァル的なエレクトロ・サウンドが大流行中。ロックの最前線でもニューウェイヴを下敷きにしたサウンドがエレクラともシンクロし、世界中に猛威をふるいつつある。それらもデュラン・デュランの活躍なしには考えられないものだろう・・・とちょっと強引めに本稿を締め括りたいと思う。

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