Elis Regina (エリス・レジーナ) プロフィール

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時には偏執とも汲める頑固さと凄まじい個性をギラギラと発散、音楽、思想のこととなればすぐさま一触即発...。そんな攻撃性と対極にあるセンシティヴで女性的な芳香も放つ、天才肌ブラジル音楽シーン最高峰シンガーElis Reginaエリス・レジーナ

1945年3月17日、リオ・グランデ・ド・スール州ポルト・アレグレ市の労働階級生の家庭に生まれ、幼い頃から歌手を夢見る。12歳の時にブラジルで放映されていたTVプログラム『Clube de Guri』に出演したことをきっかけに飛躍、同番組もレギュラー出演するようになり、着実にその才能を育んでいく。

そして16歳でデビューを遂げ、Jair Rodriguesジャイル・ロドリゲスとのデュエット’ドイス・ナ・ボッサ/Dois na Bossa(2人でボサノヴァ)’が大ヒットを記録、その後も’アハスタゥン’で一躍スターダムへとのし上がり、一家で一番の稼ぎ手として生計を支える。

1965年、リオ一番の音楽フェスティバル『Arrastao』に出演した際に魅せたパフォーマンスが話題を呼ぶ(十字架に張り付けられたキリストのポーズで、涙を零しながら歌い上げた...という伝説は余りにも有名)。

音楽で思想を表現しあい会話をすることが儘ならぬ時代が到来してしまった60年代中期以降、ブラジルを変えようとトロピカリズモが勃発、Caetano VelosoやGilberto Gilらと共に表現者としてシーンを切開く核として活動。しかしながら親政府の陰謀によって国の「独立」の記念日を祝うための儀式でブラジルの国歌を歌わされ左翼から重圧を受けてしまう...。

トロピカリズモも終戦を迎えた70年代、エリスは再びその才能を開花、Antonio Carlos Jobimと作り上げたElis & Tomはブラジル内外でも高い評価を獲得しますが、実はプライベート面で精神状態はボロボロになってゆく。

3人の子供に恵まれ母としての喜びは満たされたものの2度の結婚に失敗し女としての成功を得る事ができなかった彼女は、2番目の夫であるCesar Camargo Marianoセザル・カマルゴ・マリアーノと離婚した70年代後半から、アルコールとコカインを常用するようになってしまう。

でもそんな中、1982年には3度目の結婚もし、新たなレーベルとも契約し再生の始まりであった矢先、1982年1月19日、アルコールとコカイン中毒で死体となって発見されました。自殺説も流れましたが真実は誰も知りません。

エリスの死後、沢山のブラジルのシンガーや仲間達による追悼コンサートがサン・パウロで開催され、ブラジル最高峰シンガーでった彼女の永遠の歌声を偲び10万人の聴衆が涙に濡れました。

わずか20歳で名声を築き頂点へ登りつめた彼女が早すぎたのか、時代が遅かったのか...。彼女の歌声は、彼女が天昇して20年以上の時が過ぎた現在も人々の心を魅了し続けています。

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