Enya

Enya (エンヤ) プロフィール

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アメリカから送られてくる資料や新譜案内書などを見ると、アイルランド出身のエンヤの音楽は、New Age, Popなどと記されていたりする。確かにアイリッシュ・トラッドとクラシックの要素を融合した彼女のスタイルにはそうした形容が相応しいと思えなくもないが、ここ日本では断然ポップスというイメージが強いのではないだろうか?トラッド的なフィーリングとシンセサイザーで表現されるクラシカルな素養、趣味性が反映されたサウンドを絶妙に融合させた彼女のスタイルは、その心地好いフィーリングから日本ではアメリカにも増してポップスとして広く受け入れられているといえると思う。

エンヤは1962年アイルランドのドニゴール州グウィドーで生まれた。本名はエンヤ・ニ・ブレナン。父親はスリーヴ・フォイ・バンドという人気ショウ・バンドのリーダーを務めた音楽家、母親はダンス・バンドに在籍した元アマチュア・ミュージシャンで、ブレナン家は9人という大家族。家では常に音楽が鳴っていたともいわれ、エンヤはそうした音楽一家に育ったという。また彼女は幼少の頃から母親によって数多くのコンサートに出場されるなど、幼い頃から音楽中心の生活を送っていたともいわれている。

ローティーンから全寮制の寄宿学校に通っていたエンヤはその後、大学でクラシックとピアノに専念。そしてちょうどこの頃、エンヤの姉モイアら兄弟達がクラナドというアイリッシュ・トラッド・フォークのバンドを作り、シーンで頭角を現し始めていた。クラナドは70年代後半に数枚のアルバムを発表し、確実に名声を高めていったのだった。1980年年、18歳の時にエンヤはキーボーディストとしてこのクラナドに参加。 Crann UII (1980年発表)、Fuaim (1982年発表)という二枚のアルバムやツアーにも参加し、エンヤはこのクラナド時代にトラディショナルとテクノロジーを融合させた、現在のスタイルを見つけたと語ってもいるが、結局トラッド的なものよりもクラシック音楽に愛着を抱いていた彼女は、クラナドを脱退してしまうのだった。

エンヤクラナド脱退後、1982年頃からクラナドと関わりのあったプロデューサー/アレンジャーのニッキー・ライアン、作詞家のローマ・ライアンのライアン夫妻と共に彼女独自の音楽を作り始めた。それは、それまでに書き溜めていたというピアノ・インストゥルメンタルにアイルアンドの地方言語ゲール語の詞を乗せるというものだった。

モレート・ニ・ウィニー&フランキー・ケネディ(アルタン)のCeol Aduaidh にシンセサイザー奏者として参加したり、映画 Frog Prince(米題:French Lesson)のスコアを担当したりと、ソロとしての活動を始めたエンヤが脚光を浴びることになったのは、それから間もなく経った1986年のあるTVドキュメンタリー番組でのことだった。

英BBCのTVドキュメンタリー・シリーズ 幻の民・ケルト人(The Celts)の音楽をエンヤが全面的に担当。このTVサウンドトラックは後にエンヤのアルバムになり、現在ではケルツ(The Celts)のタイトルでリリースされている。

この作品を気に入った英WEAの会長がエンヤに、売れることを気にせず本当に良いものを作って欲しい、という話を持ちかけ、彼女はWEAと契約。1988年に1stアルバム ウォーターマーク(Watermark) を発表する。シングルとなった“オリノコ・フロウ(Orinoco Flow)”の、何回オーヴァーダヴィングしたか判らないほどの深みのある多重録音サウンドや、静止画が連続しているスロー再生のような美しいヴィデオ・クリップが話題となり(派手な雰囲気のクリップが多かった当時のMTVで、同曲のクールな感触とエンヤの彫刻のような美形ぶりはかなり異色なものだった)、"オリノコ・フロウ"はアルバムともども全世界でヒットを記録し、エンヤは瞬く間に大人気を獲得したのだった。

1991年には大ヒットした前作から約3年ぶりとなる、2ndアルバム シェパード・ムーン(Shepherd Moon) 発表。このアルバムもヒットを記録し、また同時に、いい意味で変わらないエンヤの圧倒的な個性をアピールした。

約4年のインターヴァルで1995年、3rdアルバム メモリー・オブ・トゥリーズ(Memory Of Trees) を発表。この中からは“エニホエア・イズ(Anywhere Is)"がシングル・カットされた。そして1997年に"オンリー・イフ(Only If)""ペイント・ザ・スカイ(Paint The Sky With Stars)"という新曲2曲を含むベスト盤 ペイント・ザ・スカイ〜ザ・ベスト・オブ・エンヤ(Paint The Sky With Stars)をリリース。これは日本だけで180万枚を売り上げる大ヒット・アルバムとなった。

2000年11月、オリジナル・アルバムとしては前作メモリー・オブ・トゥリーズ(Memory Of Trees) 以来5年ぶり、ケルツ(The Celts)を含めると通算5作目となるニュー・アルバムが予定されている。

普段何気なく聴いてしまっているエンヤのサウンドを、改めて聴き直してみると、ポップス界広しといえどもエンヤほど一貫した比類なき個性を感じさせてくれる人は少ないと思わされるだろうし、またその入り組んだ音響芸術的なサウンドにも関わらず、どこか親しみ易いものが含まれていることに気付かされるのではないだろうか。そしておそらくエンヤは今後もその孤高ともいえる創作活動を続けていくだろう、と思った。

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