さらにクイーンの人気にとっての決定打となったのは1975年11月の4thアルバム オペラ座の夜(A Night At The Opera) (全英1位/全米4位)と時を同じくしてリリースされたシングル ”ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”の至上空前の大ヒットによってだった。”ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”は、シングルでありながら過去にはなかった6分に及ぶ大作で、アカペラによるオペラ風の中間部を挟んだ3部構成という画期的な曲だった。同曲のランキングは全英で9週連続ナンバー・ワン、全米でも初の大ヒットとなり、続く”マイ・ベスト・フレンド(You're My Best Friend)” (全英7位)や”サムバディ・トゥ・ラヴ(Somebody To Love)” (全英2位)も立て続けにヒットを記録したクイーンは一気に世界のトップ・バンドの座に就いた。この出来事と前後して彼らは初の来日も果している。
”ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) ”の大ヒットとオペラ座の夜(A Night At The Opera) で一挙に巨大な人気を誇るスーパー・ロック・バンドとなったクイーン。1976年には5thアルバム 華麗なるレース (A Day At The Race)を発表(全米1位/全米5位)。また再来日がこの頃。1977年に 世界に捧ぐ(News Of The World) 、1978年に ジャズ(Jazz) (全英2位/全米6位)を発表するとともに、シングル"伝説のチャンピオン(We Are The Champions)" (全英2位)、 "バイシクル・レース(Bicycle Race)" (全英11位)、 ”ドント・ストップ・ミー・ナウ(Don't Stop Me Now)” (全英9位)というヒットも放った。またこの頃にはライヴも活発で、総重量75トン以上という大規模な機材を駆使したステージを繰り広げた。1979年にはそうしたライヴ音源をパッケージしたライヴ作 ライヴ・キラーズ(Live Killers) (全英3位)発表し、3度目の来日をこの頃果たした。
そして悲劇は90年代にはいってから起きた。1991年11月23日にエイズに感染しているという衝撃の発表をしたばかりのフレディが、翌日11月24日、エイズから併発した肺炎によりこの世を去った。享年45歳だった。フレディ抜きのクイーンなど考えられない、との声も聴かれる中、バンドは1995年にフレディの遺したヴォーカル・テイクに演奏をつけ、メイド・イン・ヘヴン(Made In Heaven)として発表。その後もコンピレーションなどがリリースされるたびにクイーン、そしてフレディ・マーキュリー周辺は再評価されるという状況が続いている。