James Taylor
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James Taylor (ジェイムス・テイラー) プロフィール

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最近ではユーモアを交えた気さくな雰囲気でライヴをこなすイメージとなったジェイムス・テイラーだが、そのデビュー時にはあまりに壊れやすい感受性を感じさせる歌声を持つ無口な青年というイメージの似合うアーティストだった。低くぼそぼそとした地声と、それを張り上げたときに鼻にかかった独特の声に変化する歌声(はっぴいえんど後期〜ソロ初期にかけてJTの歌唱を参考にしたという細野晴臣氏は、JTやカントリー系のシンガーを「馬声」と呼んでいた)。この声はある種のアメリカン・ロック・ファンにはヒーリングもの以上の癒しを与えてくれる。

ジェイムス・テイラーは1948年3月12日、マサチューセッツ州ボストンに、テイラー家の次男として生まれた。テイラー家は、長兄のアレックス、三男のリヴィングストン 、妹のケイト、末弟のヒューは、よく知られるようにいずれも後にジェイムスの大ブレイクの影響もあって、それぞれソロ・アーティストとしてデビューする、という音楽一家だった。またジェイムスはボストンで生まれたが、家族はボストンからノース・キャロライナへ移り住み、ジェイムスは少年期をその地で過ごしたという。またその頃のジェイムスは多感な少年で、一時は精神治療を受けるほどまでに傷つきやすい思春期を送ったともいわれている。

そんなジェイムスをニュー・ヨークへ呼び寄せ、フライング・マシーンというグループに誘ったのがダニー・コーチマーだった。1966年頃のこと。しかしこのグループはデモ録音やカフェでの演奏といった活動に留まり、やがてジェイムスがドラッグに手を出したために空中分解してしまうという憂き目にあった。それからしばらく経った1968年、ジェイムスは音楽活動に本腰をいれるため、イギリスに渡る。ジェイムスは元ピーター&ゴードンで、当時ビートルズで知られるアップル・レコードで制作を担当していたピーター・アッシャーに連絡をとった。それはピーター・アッシャーがピーター&ゴードン時代にアメリカ公演を行ったときに、バックを務めたダニー・コーチマーの「つて」を頼ってのものだった。ジェイムスはデモを聴いたピーター・アッシャーに気に入られ、めでたくアップルからデビューした。デビュー曲はポール・マッカートニーがベースで参加した“キャロライナ・イン・マイ・マインド”。そしてデビュー・アルバム『ジェイムス・テイラー』をリリース。(’68年)。しかしこれらは音楽誌などで高く評価されたものの、ヒットや一般的な成功には至らなかった。ジェイムスはニュー・ポート・フォーク・フェスティヴァルに出演する機会を得るも、主催者側は彼の為にあまり時間を割いてはくれなかったということもあり、彼が期待のニュー・カマーとして知られるチャンスはもろくも崩れた。またこの時期、バイク事故に遭ったり、所謂アップル騒動でプロデューサーのピーター・アッシャーと共にレーベルから追い出される、という不運にも遭った。また大きなダメージを受けたといわれるのが、かつてつきあっていた女の人が自殺をしたという知らせを受けたことだとも言われている。

失意のうちに帰国したジェイムス 。しかし、イギリスで交友を深めたピーター・アッシャーが、彼を新たなステップへと導くことになった。アップルを離れたピーターは、ジェイムスの作品を制作するため渡米し、彼とワーナー・ブラザーズ社との契約を取り付け、ピーターがプロデュースしたスウィート・ベイビー・ジェイムスが世に出ることになったのだ。結果的にそのアルバムはそのポップではあるが、地味ともいえる渋い音楽性を持っていたにも関わらず大ヒットとなった。その作品でのジェイムスの歌声はベトナム戦争の泥沼化、ヒッピー幻想の崩壊を経験したアメリカのリスナーに深く響いたのだ。ジェイムスのつぶやくような歌や内省的なムードは広く受け入れられ、彼は熱烈な支持を受けるようになった。その後ジェイムス・テイラーは、一度レーベルを変えるなどの出来事を経ながら、結果的にある種のアメリカン・シンガーソングライター・サウンドの先導者としての役割を果たしつつ、現在でもその個性的な歌声で活躍している。

近年は活動初期の頃の繊細な情感とはやや異なった、より軽妙な味の歌を聴かせてくれるジェイムス・テイラーだが、その歌声そのものの味わい深さは常に変わらない。ワン&オンリーとも形容したいジェイムス・テイラーの魅力を継承している歌手というと、リヴィングストン・テイラーなど家族のほかは(この場合継承という意味合いではないけど)、殆ど思いつかない。これは彼が名シンガーであると同時に、名ギタリスト(作曲と切り離せないような正にSSW的な巧さ)であることも関係しているのかもしれない。

最近のオルタナSSW系の作品にジェイムス・テイラーの影響を見ることはあまりないようにも思う。こうしたアーティスト達の場合には、どちらかというと、もろにひとりに影響を受けるという場合が比較的少なく、ニール・ヤングの要素に、ヴァン・ダイク・パークスブライアン・ウィルソンの空気感を漂わせつつ、音響的に興味のあるジャーマン・ロックなども取り入れる、といったミクスチャーぶりが顕著だということがある(ただジェイムス・テイラーに代表されるSSW的なセンシティヴな作風、個人主義っぽい感触と同時にプレイヤー同士のサークル的なノリを感じさせる部分は、どこかそうしたアーティスト達の作風と通じる部分もあることも確かだが)。

またプレイヤビリティの問題もあるだろう。現在のロック〜ポップス・シーンではさほど楽器演奏の手作りの良さ、巧さといったものを味わう傾向にないことはよく言われるところで、アイデアそのものの切り口やヒップホップやテクノなどから派生した音楽制作の断片化などが評価される時代であるともいえる。そういう意味から言うと、ミュージック・マガジン誌増刊の『シンガー・ソングライター』で語られている、JTの音楽を今の時代に置き換えれば、ベックになるかもしれない、という意見は説得力があるし、その飄々とした佇まいや力の抜けた個性の出し方などは両者に共通する部分かもしれないな、とも思う。

余談になるが、ジェイムス・テイラーの歌声/音楽/存在を、音楽的にオモシロいもの、DJ的な耳でチョイスできるものとして聴いている(ワン・マン・ドッグや、初期型AORっぽいゴリライン・ザ・ポケットなどはある種の若いリスナーにも好評らしい)という点で、日本のリスナーは、ジェイムス・テイラーを、ある時代と切り離せないのものとして聴くアメリカのリスナー以上にユニークな(ある種無節操な?)聴き方をしているといえるかもしれない(それは冒頭でも触れた細野晴臣氏の1stソロが再発のたびに再発見されたり、といったことと切り離せないのだが)。ただ最近アメリカで行われたライヴの模様を収めたヴィデオなどを観ると、ジェイムス・テイラーは単なるナツメロ歌手として観客に受けているのではなく、彼と同時代を過ごした観客達がおそらく多く占める客席から、一緒に成長した友人、愛すべき人、という感じで、声援が送られているようにも見える(現役で活躍、という点が大きいのだろうか)。上述した聴き方のどちらがよいかなどとは勿論言えないし、それは意味のないことだと思うが、かなりの後追いで聴いてきた筆者からすると、ジェイムス・テイラーの音楽、歌声にはそうした別のリスナー層を満足させ得る懐の深さがあるのだなと感じ入ってしまうのだった。

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