Janet Jackson

Janet Jackson (ジャネット・ジャクソン) プロフィール

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4年振りとなる待望の新作「オール・フォー・ユー」が遂にリリースされた世界No.1の女性R&Bエンターテイナー、ジャネット・ジャクソン。女優とても昨年彼女が歌う主題歌「Doesn't Really Matter」と共に大ヒットした「ナッティ・プロフェサー2」を始め、着実にキャリアを積み上げ、今や兄マイケルと並ぶ文字通りの世界のスーパー・スターとしてその座に君臨し続けている。

言わずと知れた音楽一家ジャクソン・ファミリーの末っ子(三女)として、1966年5月16日インディアナ州ゲイリーに生まれたジャネット・ダミタ・ジョー・ジャクソン(本名)。兄にマイケル(’58生)を始め、長男ジャッキー(’51生)、ジャーメイン(’54生)、マーロン(’57生)、ランディ(’61生)、そして姉には長女のリビー(本名モーリーン)(’50生)、ラトーヤ(’55生)等がいる。

ジャネットは兄達の影響もあって幼い頃からショー・ビジネスの世界に興味を持ち始め、7歳の頃にはラスヴェガスにあるMGMグランドで姉たちと一緒にレヴューに出演していた。そして10歳の頃、TVプロデューサー、ノーマン・リアに見出され、全米(CBS)の人気テレビ・シリーズ”Good Times"(黒人主演によるホーム・コメディ)に、ペニー・ゴードン役で2年間レギュラー出演し、お茶の間の人気者となった。その後も同じく人気TVショー”Different Strokes"や”Fame"等にゲスト出演し話題を振りまいた。

音楽一家のジャクソン家の中から、先に女優として活躍し始めていたジャネットが、歌手への道を歩み始めるにそう時間はかからなかった。’82年9月、アルバム「Janet Jackson(邦題:ヤング・ラヴ)」で遂にシンガー・デビューを飾る。ジャネット、当時16歳。兄姉達のサポートを一切受けず、彼女自身の才能だけでチャレンジした意欲作であった。プロデュースは後にあのロナルド・アイズレーと結婚し、後期アイズレー・サウンドにこの人ありと言われた才女アンジェラ・ウィンブッシュと当時コンビを組んでいたレネ・ムーア、ルーファスのベース奏者として知られるボビー・ワトソン、さらにファミリー・ソウル・グループ、シルヴァーズのメンバでもあるフォスター・シルヴァース等が手掛けている。参加ミュージシャンも超が付く一流どころを揃えており、ボビーの他、トニー・メイデン、アンドレ・フィッシャー、ジェームス・ジェマーソン、ジェフ・ローバー、ジェリー・ナイト、ヴォーカルではハワード・ヒューイット、オーティス・ストークス、フィリップ・イングラムetc...。レネ&アンジェラ作によるデビュー・シングル「Young Love」は、R&Bチャートで最高6位、またポップ・チャートでも64位に入るヒットを記録した。続く「Come Give Your Love To Me」、「Say You Do」もR&BチャートでTop20入りし、シンガーとして好調なスタートを切った。

2年後の’84年、18歳を迎えたジャネットは、ちょっぴり大人の女性への成長を窺わせる2ndアルバム「Dream Street」を発表。プロデューサーを全面的に入れ替え、兄マーロンに加え、映画「フラッシュ・ダンス」で売れっ子となったジョルジオ・モロダープリンス一派のジェシー・ジョンソン等を起用。デュエットにイギリスのベテラン・シンガー、クリフ・リチャードを迎え、バック・ヴォーカルではマイケルを始め兄達のサポートも得た。兄マーロン。プロデュースによる1stシングル「Don't Stand Another Chance(邦題:ときめきらヴチャンス)」はR&Bチャートで最高9位を記録、日本でも初の大ヒットとなった。この他、バラードからテクノ・エレクトロニック風のアレンジのものまで、前作以上にヴァラエティに富んだ内容となっている。

しかし、何と言っても今のジャネットの新たなるキャリアの幕開けとなったのは、当時飛ぶ鳥を落す勢いだったプロデューサー・コンビ、ジャム&ルイスを迎えた’86年発表の3rdアルバム「Control」だろう。初の全米No.1アルバムとなったばかりでなく、シングル・カットされた6曲全てがR&B/ポップ・チャートのいずれかでNo.1を獲得すという、音楽史上類を見ない記録を打ち立てたのである。兄マイケル同様、ビデオ等ではシーンきってのダンサー振りも披露、また極上のバラード「Let’s Wait Awhile」では、ジャネットの新生面をアピール、その感受性豊かなヴォーカルは後の「Come Back To Me」にも繋がる実に印象深いものだった。後に本アルバムのリミックス盤が制作されるほど、その楽曲の充実ぶりはまさに奇跡としか言い様がない。アルバム・タイトル曲に加え、「What Have You Done For Me Lately」、「Nasty」、「When I Think Of You」、「The Pleasure Principle」等、全てが現在のジャネットの基盤となっている。

’89年に発表された4thアルバム「Rhythm Nation 1814」はジャネットにとっても、ひとつの分起点となった作品で、アルバムは4週にわたり全米チャートNo.1を獲得、数ヶ月後にスタートした”Rhythm Nation World Tour 1990”は200万人以上のファンを動員し、音楽史上最も大きな成功を収めたデビュー・ツアーとしてその歴史に記録される事となった。前作の勢いそのままに1stシングル「Miss You Much」から「Rhythm Nation」、「Escapade」と3曲連続でR&Bチャートを制覇(内2曲はPopチャートでも1位)、続く「Alright」、「Come Back To Me」も大ヒットとなった。

そしてさらに大きな転機となる’91年のヴァージン・レコードへの移籍。’93年には黒人新進監督ジョン・シングルトンの「Poetic Justice」で女優としての活動を再開したジャネットは、’93年、その移籍第1弾となる5thアルバム「Janet」を発表。1stシングル「That's The Way Love Goes」は、全米8週連続1位という驚異的な記録を作り、続く「If」、「Again」、「Because Of Love」も大ヒット。官能的なバラード「Any Time Any Place」ではR&Bチャート10週連続1位という快挙も成し遂げた。このアルバムによりジャネットは、アメリカだけで3枚連続500万枚以上をセールスするというスーパー・スターとしての金字塔も打ち立てた。

’95年、ジャネットはマイケルの新曲「Scream」に参加し、SF仕立ての魅惑的なビデオ・クリップは大きな話題を呼んだ。翌’96年には初のベスト・アルバム「Janet Jackson 1986−1996 Design Of A Decade」を発表。この中からは16枚目となるゴールド・シングル「Runaway」が生まれた。そして’97年、オリジナル6thアルバム「The Velvet Rope」を発表。ATCQのQ-Tipをフィーチャーした1stシングル「Got Til It's Gone」は30代に入った彼女がそれまでのスタイルとは趣を変え、新しい方向性を示したミッド・グルーブ・ナンバーで、日本でも大ヒットを記録した。この他、シングル・カットされた「Go Deep」、「Together Again」、「I Get Lonely」も軒並みヒット・チャートを賑わせ、”女王”としての存在を大きくアピールした。

そして2000年、エディ・マーフィ主演のヒット映画「ナッティ・プロフェッサー2〜クランプ家の面々」のテーマ曲「Doesn't Really Matter」でジャネットは遂に私達の前に帰って来てくれた。本曲は世界中で大ヒットを記録、全米でも3週連続トップの座に付いた。その結果、ジャネットのNo.1ソングは’86年の「When I Think Of You」に始まり、合計9曲となった。ジャネットも相手役で共演した映画も全世界で1億7500万ドルの興行収益を記録するヒットとなった。そうした中、1月8日、ロサンゼルス”シュライン・オーディトリアム”で開催された第28回アメリカン・ミュージック・アウォーズでジャネットは34歳という若さながら、これまでの偉大な功績を称えられ”功労賞”(Award Of Merit)を受賞。まさにジャネットは人種を超えたアメリカの音楽界の宝である事を証明した。

この頃からジャネットの新作アルバムへの期待が一気に高まり、そして遂に4月16日、待望のニュー・アルバム「オール・フォー・ユー」が日本先行でリリースされた。’86年以来、これまで一緒に仕事をしてきた良きパートナー、ジャム&ルイスとジャネットが今回もがっちり手を組んだその強力ラインナップの数々。ロックワイルダーやカーリー・サイモン等の参加も大変興味深く、まさにジャネットの集大成とも言える充実した内容となっている。とりわけ後半のバラード群では、等身大のジャネットの魅力が満ち溢れており、思わずため息が出るほどである。

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