2000年、2月遂に沈黙を破り新作の完成と共に我々の前に現われた。「ボサノヴァの父」 ジョアン・ジルベルト、前作のアルバム ジョアンから約10年のインターバルを経てリリースされたスタジオ録音アルバム "JOAO VOZ E VIOLAO"直訳は「ジョアン・声とギター」、タイトルどうりまさに一切の装飾を取り去り、歌とギターだけを注ぎ込んだシンプルかつ入魂の全10曲をカエターノ・ベロ−ゾがプロデュースした。ジョビン作の(5)「ヂサフィナ−ド」、やジルベルト・ジルの作品(6)「エウ・ヴィン・ダ・バイ−ア」そしてこれは初録音となるカエタ−ノの作品「コラサォン・ヴァガブンド」も素晴らしい輝きを放つ。カエタ−ノは今回の共演にてジョアンに古いサンバ・カンサォンを歌う事をすすめたらしい、ブラジル音楽ファンなるずとも長年待望だった夢の共演がついに実現!早くも2000年度のワールド・ミュージック界最大の話題は間違いなしとなった!ジョアン・ジルベルトは50年代の初めに人気のあったヴォーカル・グループ、ガロットス・ダ・ルアに参加するが、リハーサル等を度々すっぽかすなどしてこのグループかをクビになってしまう。この頃より彼の奇行奇癖ぶりがあらわとなっていくのである。友人の家に泊まり歩き、行方知れずとなるも頻繁な事、マリファナに手を出してしまったり等のよろしくない噂話しもしきりであった。その後に名曲「シェーガ・ヂ・サウダ−ジ(想いあふれて)」が誕生し衝撃的なデビューを飾る事となる。頑固者、完璧主義者のイメージどうりジョアンはアルバムの製作上にても妥協を許さなかった。オーケストラから録音のスタッフに至るまで事細かに指摘発言等したそうである。
ジョアンの様々なる半生が綴られたプロフィールを見ているとまさに「カリスマ」というのはこの人の事を言っているかのようである。Antonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)他ジョアンを取り巻くアーティストたちの愛も見えてくる。名盤「ゲッツ・ジルベルト」にても隠された?製作話があったらしいが、彼の噂に対してもいったいどこまでが真実なのであるかは謎である。