Joe Satriani

Joe Satriani (ジョー・サトリアーニ) プロフィール

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Joe Satriani

1956年、ニューヨーの郊外ロングアイランドで生まれたジョー・サトリアーニはわずか10歳にしてドラムのスティックを握り、ピアノのレッスンを通してジャズやロック…多くの音楽理論を学んでいった。

14歳になったジョー・サトリアーニジミ・ヘンドリックスの死を切っ掛けにギターを手にするようになる。そしてそこからが凄かった。ギターを手にしてわずか1年、たったの1年でギターを教わる立場からギターを教える立場へと逆転したのである。

ジョー・サトリアーニに師事を受けた者の中には後のG3のうちの一人、スティーヴ・ヴァイメタリカのカーク・ハメット、プライマスカウンティング・クロウズのメンバーらがいるのも有名な話だ。

ギター講師をしながら世界中を放浪していた時期もあるジョー・サトリアーニは1976年ごろ日本の京都に滞在した経験もあり、そこでもギターを教えていたというレアな逸話も残っている。

80年代に入りアメリカに帰国したジョー・サトリアーニはスクエアというパワーポップ・テイスト溢れるバンドを結成。デビュー目前までこぎつけたそうだが84年には解散。その後更なるギター・プレイの向上を図り、己の道を邁進する覚悟を決める。セルフ・タイトルのEPをリリース、グレッグ・ キーン・バンドのアルバム『Love And Rock 'N' Roll』に参加した後、86年遂にノット・オブ・ディス・アース ? Not Of This Earthを携え自分自身の名義でプロのミュージシャンとしてデビューを果たす。

翌87年、ギター業界ではそれなりに通用する名前ではあるが、一般的にはまだまだ無名の存在...比較的遅咲きの彼にここで転機が訪れる。この年リリースされたサーフィング・ウィズ・ジ・エイリアン ? Surfing With The Alienがヴォーカルなしのインストゥルメンタル・アルバムとしては異例の全米アルバム・チャート29位を記録するヒット作となるのだ。後にはプラチナ・ディスクも認定されている。ここでジョー・サトリアーニの評価は一部のギター・マニアの間だけでなく、より広いポピュラーな評価を決定付けた。そう、たった1本のギターだけで...。

翌88年には、長年に渡りジョー・サトリアーニをもり立てる事になるストゥ・ハム(b)、ジョナサン・ムーヴァー(dr)と組み、ドリーミング#11 ? Dreaming #1をリリースする。

翌89年には初のヴォーカル入りナンバーを収録したフライング・イン・ア・ブルー・ドリーム - Flying In A Blue Dreamをリリース。

92年にはハードロック色の強いとされるエクストリミースト(極) ? Extremistをリリース。

続く93年には2枚組の大作となったタイム・マシーン ? Time Machineをリリース。

95年にはエリック・クラプトンの右腕として知られるアンディー・フェアウェザーロウが参加したブルース・アルバム、ジョー・サトリアーニ - Joe Satrianiをリリース。円熟味すら感じる貫禄のプレイを聴かせる。

95年にはジョー・サトリアーニが中心となりG3なるイヴェントを企画。かつての弟子、スティーヴ・ヴァイエリック・ジョンソンそしてジョー・サトリアーニが同じステージに上がるという、ギターに携わるものなら誰もが夢見る奇跡のようなセッションを行った。

98年にはブルース色の濃かったセイムタイトルの前作に比べると派手なプレイが目立つ作品クリスタル・プラネット - Crystal Planetをリリース。

2000年にはテクノ〜ドラムン・ベースといったクラブ・サウンドにアプローチしたエンジンズ・オブ・クリエイション ? Engines Of Creationをリリースし往年のファンを驚かせた。

2001年にはジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンも出演経験のある由緒正しきロックの殿堂、フィルモアでのライヴを収録したライヴ・イン・サンフランシスコ - Live In San Franciscoをリリース。元々DVDをリリースするために収録されたものだけにDVDでもリリースされている。

技巧派ギター・プレイヤーとして名を馳せるだけあり、助っ人仕事も多いジョー・サトリアーニ。80年代後半ジョー・サトリアーニミック・ジャガーのライヴ・ギタリストとして来日も果たしている。技巧派といえどもやはりキース・リチャーズを少なからず期待した観衆は面食らった向きもあるという。94年にはディープ・パ−プルを脱退したリッチー・ブラックモアの代役として来日も果たしている。当時のリッチー・ブラックモアでは再現できないであろうフレーズもいとも簡単に披露する脂が乗り切ったジョー・サトリアーニのプレイに観衆は沸きあがったという。

天才ギタリスト、ギター講師の側面ばかりがクローズ・アップされがちなジョー・サトリアーニであるが、とある雑誌のインタビューでこんな発言をしている。「僕のテクニックだけに言及する人は音楽そのものに興味がないんだと思う。どうでもいい些細なことにばかり気を取られているんじゃないかな。」

  ―  世の中にごまんと存在するギタリストのなかでいかに抜きん出るには確かにテクニックが必要不可欠かもしれない。だがそれ以上に大切なのは人に何かを伝えたいという気持ちではないだろうか。充分すぎるほどのテクニックを備えなおかつ、人間のエモーショナルで根源的な深い部分をたった6本の弦から伝える事の出来るジョー・サタリアーニのギター・プレイからは聴こえるはずのない歌すら聴こえてきそうである。

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