Lou Reed
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Lou Reed (ルー・リード) プロフィール

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ルー・リードは若きロックンロール志願者であったヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代から、その透徹した視点で見据えた末に生まれてくる「うた」、それを表現するに相応しいロックンロールといったものを長年に渡って模索してきた探求者だ。ここで「探求」という言葉を使ったのは、彼がよく口にするロックンロールとそのビートニク的、文学的、詩的世界との融合を、ルー・リードは誰よりも信じて表現し続けているように見えるからである。もともとティーンエイジャーの娯楽、ダンス音楽といったものと密接に関わっていた初期のロックンロールのエネルギーを、若い頃に感じ取っていたルー・リードは、シラキューズ大学で本格的に文学や詩を勉強した文学士でもあった(またルー本人は余り認めないが、同時代のボブ・ディランの影響もまた不可避だったと思う)。ロックンロールのエネルギーとビートニク的詩世界の融合。そうした音楽を始めた当初の熱を40年ほど経った今でも持ちつづけて表現するというのは、なかなか出来ないことだろうと思う。そうした意味で彼は頑固一徹。逆にいえば不器用なまでに自分の個性というものに拘る表現者だとも言えるだろう。

そしてルー・リードの声は彼の表現の核を象徴するかのように響く。ルー・リードの歌声は一度聴いたら忘れられないほどの強烈な印象をリスナーに残す。美声といったものとは全く逆のイメージで、それはアブノーマルなセックス、ドラッグ体験、醒めた目線からの社会への告発、といった歌のメッセージと相俟って、やや大袈裟に言えば都市の荒廃そのものを喚起させ、そしてそこでしたたかに生きる生活者のつぶやき、というイメージを聴くものに与える。またその声は、若年の頃のドラッグ使用やロックンロール稼業の修羅場経験も連想させ、現在ではクリーンだと言うルー・リードの中に沈殿された拭い切れないような「背徳」のイメージをも垣間みせる。

ルー・リードの歌を聴けば、初めて聴く人でもそんなに器用なシンガーではないということは一聴して解るだろうし、またそんな器用さなど、どうとも思っていないということも解るかもしれない。あくまでストーリーテラーとしての語り口を第一義にした派手さのないトーキング・スタイルの歌ばかりだ。一般的に想像される狭義のシンガー・ソングライターとは違うイメージを持つルー・リードだが、その人の声で歌わなければ…という点でボブ・ディランと同様の意味で彼も優れたシンガー・ソングライターの一人であることは今更言うまでもない。

ルー・リードは1942年5月2日、ニュー・ヨーク、ロングアイランドに生まれた。8歳の頃からピアノを習わされていたというルーは、十代の頃に、ドゥー・ワップ、R&B、ロカビリーなどに興味を持つ。やがて自分でも作曲をするようになったルーは16歳で、作曲者として参加したザ・ジェイズ名義のシングルをリリースするが、これは成功しなかった。高校を卒業したルーはニュー・ヨーク市立大学に入学し、音楽を専攻するが、やがてここでの学業に幻滅。シラキューズ大学に再入学したルーは、文学とジャズに浸っていく。また、このシラキューズ大でルーは、彼自身大きな影響を受けたと語る、詩人デルモア・シュウォーツと出会っている。この大学時代に後のヴェルヴェッツの一員、スターリング・モリソンと出会い、パーティなどで演奏していたというが、これは遊びの域を出なかった。大学卒業後のルーは、雇われソングライターとして就職。彼の書いた、流行のR&Rを安直に取り入れて適当に仕上げた曲は、スーパー用の安売りレコードとして売られた。

ルー・リードのキャリアが本格的に始まるのは、SM雑誌からとった名を持つヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンドを組むところから。1964年頃にその原型が出来、65年夏にはメンバーが揃ったヴェルヴェット・アンダーグラウンドには、ルー・リードのほか、クラシックや現代音楽に傾倒し本格的にそれらを学んだジョン・ケイルルーの大学時代の同僚で、バンド結成前に再開を果たしていたスターリング・モリソン、女性ドラマーのモーリン“モー”タッカーらがいた。アンディ・ウォーホールのファクトリーに出入りしていたバンドは、同じくそこに出入りするダンサーらが行うSMショウを模した演劇やサイケデリックなライト・ショウの光線とともにステージに上がり、サイケデリックな総合アート・パフォーマンス(エクスプローディング・プラスティック・イネビタブルと呼ばれた)を行い、評判を得る。またアンディと交友を持っていたバンドは、アンディの薦めもあって女優ニコをバンドに参加させる。アンディ・ウォーホール画のバナナのジャケットに包まれたデビュー・アルバムが発表されたのは1967年のこと。ここではルー・リードの書いた曲をニコルーが半々ほどで歌い分けるスタイルがとられている。このデビュー作はそれなりに評価を得るも、セールスはほとんど悲惨なものだったという。この後、ニコやアンディの存在がバンドにとって必ずしも好ましくないと考えたバンドは、彼らと結局袂を別ち、活動を続けていくが、いずれのアルバムも思ったようなセールス、評価をモノに出来なかった。2ndを最後にジョン・ケイルが脱退、実質ルー・リードがバンドを牛耳る形となったヴェルヴェッツは、再度のメンバー交替やゴタゴタを経て、結局1970年にルーの脱退によって実質的に終焉を迎えた。1972年に1stソロ・アルバムを発表したルー・リードは、70年代の時代の寵児だったデヴィッド・ボウイと親密な関係を築いたり、ある程度のヒットにも恵まれるなど、大きなヒットを飛ばすような成功からはほど遠いものの、紆余曲折を経ながら、自らの歌世界を磨いていった。その後彼の存在はヴェルヴェット・アンダーグラウンドを再発見した80年代前後のポスト・パンク〜ニュー・ウェイヴ勢、それに連なる80〜90年代のギター・バンド達からのリスペクトにより、むしろ最近のほうが重要なアーティストとして評価されているように見えるほど、かつての60年代にはなかった大きな評価を受けている。

ルー・リードの歌声は比するものがないほど個性的だが、彼に影響を受けたと公言するアーティスト達は枚挙にいとまがない。代表的なところだけ挙げると、故イアン・カーティスの居たジョイ・ディヴィジョンのメンバー達、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マカロック(愛娘キャンディのミドル・ネームは“ルー”だ)、ジーザス&メリー・チェインのリード兄弟、フィーリーズのメンバー達、元ギャラクシー500〜現ルナのディーン・ウェアハム(90年代に行われた再結成 ヴェルヴェッツ・ライヴの前座を務めた)などなど。まだまだマジー・スターヨ・ラ・テンゴソニック・ユースライドハウス・オブ・ラヴなどヴェルヴェッツに影響を受けたサイケ感覚を押し出したバンド達はたくさん居るし、ロイド・コールマーク・アーモンドニック・ケイヴなどルー・リードのソロ・スタイルに影響を受けたと思しきアーティストもたくさん居る。決してセールス的には恵まれたとはいえないヴェルヴェッツ及びルー・リードが、セールスとは無関係に自分の個性を活かした作品を遺した(残している)ことが、世界中のインディ的なアティチュードのバンドにとって大きな精神的支柱となったのは明らかだ。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代から時代の異端として、一般的な意味でのエスタブリッシュにはならないルー・リード(パンク以降のアーティスト達にとっては、彼はヒーローだが)。いわゆる何十周年といったアニバーサリーにも縁がないような気がするほど、彼は「現役」を貫き通している。またそのうたの視点、歌そのものにも未だひとつの曇りも無いことに驚く。

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