Luther Vandross

Luther Vandross (ルーサーヴァンドロス) プロフィール

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ルーサーが倒れたという第一報を聞いたとき、正直そんなに驚きはなかった。かつて活躍したブラック・ミュージシャンの殆どは若い頃の破天荒な生活で身体がボロボロだということをよく耳にしていたし、ルーサーの場合、かつてのふくよかな体型からセクシーでスレンダーなボディラインへの変貌からしても、かなり身体に無理を強いていたように思っていたからだ。 が、しかし、彼が危篤で意識不明だという続報を聞いてから、遅ればせながらルーサーの偉大さを改めて痛感している今日この頃である。

最近、私は「Never Too Much」「Forever, For Always, For Love」ばかり聴いている。個人的にこの2枚はルーサーの最高傑作だと信じている。ソロになってからの初のリーダー・アルバムとなる「Never Too Much」。この作品から放出されるルーサーのエネルギーは尋常ではない。80sR&Bの持つワクワクするような高揚感のあるメロディ、ルーサー節と呼ばれる抑揚のある歌い方、そして後も長い付き合いを続けたMarcus Millerの跳ねるベースとNat Adderley Jrの美しいキーボード、全てが見事に溶けあい、聴くものを幸福感200%にさせてくれる。 82年の「Forever, For Always, For Love」もルーサーの代表作の1枚だ。「Never...」同様、ルーサーは全曲セルフ・プロデュースをしており、アレンジ、ミキシングまで手がけている。完璧なバック・サポートを得て完成したこのアルバムは、ライトなミディアム・ダンサーな曲からお得意のバラード・チューン、さらにはSam CookeTemptationの名曲でさえも、鮮やかな魔法のようにルーサーはモノにしてしまっている。

Luther Vandrossは日本では想像つかないほど、アメリカではトップ・スターであり音楽シーンに多大な影響を与えたアーティストとして認知されリスペクトされている。彼は今までグラミー賞を5回受賞、“最優秀男性R&B ヴォーカル・パフォーマンス”部門にて"Here And Now"(R&Bチャート1位 /全米ポップス・チャートTop 10)、"The Power Of Love /Love Power"、"Your Secret Love"で3回受賞。両面シングル"The Power Of Love /Love Power"で“最優秀R&B楽曲”部門にて2曲分受賞している。2000年にはBET (=Black Entertainment Television) の特別賛辞で殿堂入りし、賞賛に値するコンサート活動を褒め称えられた。

ショウは毎年ソールドアウトとなる程の高い評価を受けている。そして何といってもルーサーは「発売した13枚のアルバムがプラチナ・ディスクを獲得した、初のアフロ・アメリカン系男性ヴォーカリスト」なのである。また、Janet Jacksonとのデュエット"The Best Things In Life Are Free"や、Mariah Careyとのデュエット曲"Endless Love"などでもわかるように、トップ・アーティストたちがこぞって共演のオファーを望む数少ないシンガーの1人だ。

ルーサーは3歳でピアノを始め、ハイスクール時代にAretha FranklinDiana RossDionne Warwickなどの音楽に心酔。1972年に彼の作曲した曲がブロードウェイ・ミュージカル「ウィズ」に採用されたことから、ルーサーのショウビズ界でのキャリアがスタートした。

2年後、かのDavid Bowieがアルバム「Young Americans」のアレンジとバックヴォーカルを依頼。彼のツアーにも同行し、ボウイを通じてBette Midlerと出会い、彼女のアルバムに参加し、ツアーにも同行する。間もなくルーサーは売れっ子セッション・ヴォーカリスト兼ヴォーカル・アレンジャーとして知られるようになり、Average White BandからBarbra Streisandまであらゆるシンガーのバックヴォーカル、Change「The Glow Of Love」(タイトル曲の12インチは超レア盤)とBionic Boogieの"Hot Butter-fly"ではリード・ヴォーカルを担当、またたくさんのCMジングルも手がけた。

1975年ルーサーは自身のヴォーカル・グループ、Lutherを結成、アトランティック・レーベル傘下のコチリオン・レコードから76年の「Luther」、77年の「This Close To You」の2枚のアルバムを発表しているが、こちらもオリジナル盤はかなりの高値で取り引きされている(このLutherでのアルバムは後に彼自身、まだCD化の時期は様子を見ているとインタビューに答えていた)。

そして1981年にEpicと契約、「Never Too Much」を発表する。その後、Aretha FranklinCheryl LynnTeddy Pendergrassなどに楽曲を提供するようになる。翌 82年「Forever For Always For Love」、83年「Busy Body」、85年「The Night I Fell in Love」と立て続けにアルバムを発表し、R&Bチャートを席巻。

86年「Give Me the Reason」から"Stop to Love"がポップチャートでも大ヒット。続くGregory Hinesとのデュエット"There's Nothing Better Than Love"スマッシュ・ヒットとなった。 88年「Any Love」発表。タイトル曲がシングルヒット。89年2枚組ベスト「The Best of Luther Vandross」をリリース。全米でダブル・プラチナを記録する一方R&Bトップ10シングル"Here And Now"が生まれた。この曲でルーサーは初めてのグラミーを最優秀R&B男性シンガーで受賞。 翌年アルバム「Power of Love」がシングル"Power of Love"とともに大ヒットとなり、この年のグラミーで最優秀R&B男性シンガーの他最優秀R&Bソングも受賞した。

91年9月から92年1月までLisa FisherとSounds Of Blacknessと共に全米ツアー。NYのマジソン・スクエア・ガーデンを4夜ソールドアウトにしてトータルで1500万人という驚異的なオーディエンスを動員。 93年「Never Let Me Go」(愛はミラクル)リリース。94年初の全曲カバー・アルバム「Songs」発表。95年にはクリスマス・アルバム「This Is Christmas」、96年「Your Secret Love」を発表。 コンスタントにアルバムを発表する傍ら、ルーサーはソウル・トレイン・ミュージック・アワードのホストを勤め、Janet Jacksonとのデュエット"The Best Things In Life Are Free"がトップ10入り。 93年夏にはロバート・タウンゼンドの映画「The Meteor Man」ではついに俳優でもデビューした。

そして98年ヴァージンに移籍したが、昔からの盟友であったクレイグ・デイヴィスがJ Recordsを立ち上げたのを機に移籍。そして2001年、20年のキャリアで始めてセルフ・タイトル・アルバム「Luther Vandross」を発表。

最近のルーサーは、酒もタバコもせず、次の日にステージがある日は極力パーティーにも出席しない程、咽に細心の注意を払っていたという。しかし天はルーサーを見放してしまったのだろうか、2003年6月にリリースする最新アルバム「Dance With My Father」の発表を前に、4月16日脳卒中で倒れ、治療のため歌手の命である気管切開を余儀なくされた。2003年5月13日現在未だに意識不明の状態が続いている。

52歳で逝ってしまうにはあまりにも早すぎる。だってルーサーはまだ来日したことがないではないか!日本のファンは彼のライブの実現を何年も何年も心待ちにしているのに...。
一日も早いルーサーの回復をお祈りします。

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