Mick Jagger

Mick Jagger (ミック・ジャガー) プロフィール

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現存する世界最大級のロックンロール・バンド、ローリング・ストーンズのフロントマンにして、そのステージングも含めて後の数多くのロック・シンガー達に多大なる影響を与えたミック・ジャガー。初期のメンバー、ブライアン・ジョーンズの死後、70年代以降のストーンズのトレイドマークとなったのはミックの部厚くセクシーな口唇を模したあの「ベロ・マーク」であり、リズム・ギタリストで共同作曲者であるキース・リチャーズとともにミックは偉大なるロック・バンドにおける「真の」顔となった。

ミック・ジャガーは1943年7月26日、英ケント州ダートフォードに生まれる。父親は体育の教師でブルジョア、母親は典型的な労働者階級の出だった、とミック自身は語っている。父親からの影響は受けなかった、ともミックは語る。彼は英国で人気のあるサッカーの試合を観たいと思ったことはないと語っており、後の学生時代、授業で球技をやらなければならない場合には、さも熱中しているようなフリをして適当にやり過ごしていたそうだ。また、彼が生まれた家庭はレコード・プレイヤーもなく特に音楽好きの家というわけではなかったという。ただ子供の頃は自分の声が好きだったらしく、童謡を覚えると大きな声でガナるように歌っていたという。7歳の頃のミックは後にローリング・ストーンズを一緒にやることになるキース・リチャーズと同じ学校に通っていた。同じブロックに住んでいたが、当時はそれほど仲が良かったわけではなく、顔見知り程度だった。

楽しい思い出があまりないという12〜15歳の頃は勉強一本だったようだ。ミック自身が、勉強が好きでごく普通に反抗的でまじめな子供だったと語る。13歳の頃に好きだった音楽はリトル・リチャードエルヴィスビル・ヘイリーは確かに良かったけれどそれほどガツンとくるような感じではなかったらしい。それよりはジェリー・リー・ルイスチャック・ベリーのほうが好きで、少し後になるとバディ・ホリーなども好きになったという。またマディ・ウォーターズビッグ・ビル・ブルーンジィなどのブルースとの出会いも13〜14歳の頃だった。16歳の頃にはジャーナリストを志望。のちにロンドン経済大学に入り政治学、経済学を学び、政治のほうに進むつもりだったそうだが、大学は2年でドロップ・アウトし、結果的には音楽活動の方にのめりこんでいくことになる。ミックは17歳の頃にはキース・リチャーズの家へ行ってレコードを聴いたり、ギターを弾いたりしてツルんでいた。そこに絡んでくるのがキースと仲の良かったブライアン・ジョーンズ。後のローリング・ストーンズの三人は顔見知りとなった。

1960年代初頭ロンドンのアンダーグラウンドでアレクシス・コーナーを中心に盛り上ったブルース・ブーム。この中からローリング・ストーンズは生まれた(ミックアレクシス・コーナー・バンドのシンガーの一人として活躍したりしていた)。1962年末〜63年初頭にかけてベースのビル・ワイマンやドラムスのチャーリー・ワッツなども揃いローリング・ストーンズは本格的に活動を開始する。

「マーキー」を始めとするロンドンのクラブに出演していた彼らは、エネルギッシュな演奏を聴かせ、英国では流行っていないようなアメリカのR&Bヒットをバンドのレパートリーに取り入れるなどして人気を博していった。1963年4月、アンドリュー・オールダムがマネージャーに就任。同年5月に英デッカ・レーベルと契約。同月にロンドンのオリンピック・スタジオで録音したチャック・ベリーーの曲“カム・オン”で6月にデビューを飾る。デビューを果たしたその後、1965年には初の全米ナンバーワン・ソング“サティスファクション”というヒットを放つなど、世界的なロック・バンドとしての地位を確立していき、初期の中心メンバーだったブライアン・ジョーンズ脱退、急死という大転換期をはじめ、いくつもの紆余曲折を経ながら、現在では現存する世界最大のロックンロール・バンドとしての地位を不動のものにしている。

ミック・ジャガーのソロ・ワークスとしては1970年に公開されたネッド・ケリー、パフォーマンスという二本の映画に俳優として出演したのが最初で(80〜90年代には ランニング・アウト・オブ・ラック 、フリージャック に出演)、本業の音楽のほうでは自身のソロ・アルバム シーズ・ザ・ボス (1985年)、 プリミティヴ・クール (1987年) ワンダリング・スピリット (1993年)、ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ(2001年)を発表しており、その他コラボレーション的なものも幾つかある。

冒頭でミック・ジャガーの歌唱やステージングの手法が及ぼしたロック・シンガーへの多大な影響について触れたが、その影響の数々を列挙すればそれこそ枚挙にいとまがない。ルーズでダーティな激しいロックンロールを主体とするバンド達におけるミックの影響は特に凄まじいといえるほどだ。ローリング・ストーンズミック・ジャガーの歌唱が、60年代の同世代かやや下の世代に大きな影響を与えたことは、数々のローカル・ガレージ・バンドの音源を聴いてみれば明白であるし、また70年代以降、エアロスミスニュー・ヨーク・ドールズが「第二のストーンズ」などと呼ばれたこと、80〜90年代のガンズ&ローゼズブラック・クロウズなど孫の世代(!?)がサウンドのみならず、ミック・ジャガー的なロックンロール・スター・アイコンを受け継いでいるのを見ればそれほど説明は要らないだろう。

上記したようなミック・ジャガーの華やかなロックンロール・スターの原型ともいえるイメージや、またブルースをベースにした英国白人ならではのその独特な歌唱の質感は、既にスタンダードといえる風格を持ち合わせている。そしてローリング・ストーンズはまだ現役のロックンロール・バンドであり続けている。スタジアム・バンドの原型であるストーンズは、よくカネ儲けのバンドというような罵声にも遭うし、その歌声のダーティさとは裏腹な理知的なミック・ジャガーのセンスについてはいろいろと悪口が言われがちだが、基本的に彼らを支えているのは(かっこ悪い言い方になってしまうが)音楽への情熱、そしてそれを持ち続けることであったりする。それは個人的には他人事とは思われないのだが(スーパースターといちリスナーを同列に置くなんて可笑しい?いやほんと音楽への興味がなくなったらこんなこと書くような仕事は格好つけだけでは出来ないんだから仕方ない)、その音楽に対する情熱が消え失せない限りストーンズは前進を止めないだろう。またミック・ジャガーはその辺りのキーとなりうるキャラクターでもある。

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