フェイカル・マターズ、テッド・エド・フレッド・ブリスなど次々とバンドを作っては壊していたカートが、クリス・ノヴォゼリックと出会いニルヴァーナを結成したのは’87年12月のこと。正式なドラマーが居ないままバンドはスタートし、シアトル周辺でライヴ活動を行っていたが、’88年に初代ドラマー、チャド・チャニングが加入し形が整った。後にマッドハニーやパール・ジャムのメンバーとなる人物が在籍した伝説の’ファースト・グランジ・バンド’、
グリーン・リヴァーやサウンドガーデンなどはこの時期既に当地のシーンで活躍していた。のちに”グランジ・ロックの総本山”と呼ばれるようになるサブ・ポップ・レコードは7”シングルを中心に扱う”サブ・ポップ・シングル・クラブ”なるもの(申し込めばリリース毎にシングルを送ってくれる通販のようなもの)を展開し、アンダーグラウンド・ファンに人気を博した。
ニルヴァーナもそのサブ・ポップからデビュー。ファースト・シングルは’60〜’70年代に一世を風靡したオランダのポップス・グループ、ショッキング・ブルー(”ヴィーナス”のヒットで有名)の曲をカヴァーしA面に据えた”Love Buzz / Big Cheese”だった。またグランジのバイブルともいえる有名なコンピレーション、Sub Pop 200に参加したりもした。
Grunge どんなムーヴメントでもそうだが、'グランジ'という言葉やイメージもココからココまでという風には説明出来ない。とりあえず押さえておきたいのは本文でも触れたグランジの代表的オムニバスと言われるSub Pop 200と”伝説のバンド”グリーン・リヴァー
。前者は当時在籍したサブ・ポップ・レーベルの代表的なバンドを収録。後者はマッドハニーのマイク・アームやパール・ジャムのストーン・ゴッサードらが在籍した”ファースト・グランジ・バンド”。
Kurt’s Favorite Groups カート・コバーンが好んだバンドは数多いが、代表的なところといえば少年ナイフ、レインコーツ
、ヴァセリンズなど。どのバンドにもパンクの”D.I.Y.(自分でヤれ)”精神を感じる。レインコーツのCDライナーはカートが執筆。またヴァセリンズのカヴァー2曲は編集盤インセスティサイド に収録されている。USのバンドではメルヴィンズ、ミート・パペッツなどにリスペクトを表明していた。