Rainbow
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Rainbow (レインボー) プロフィール

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結成: 1974年
解散: 1984年

元Deep PurpleであるギタリストRitchie Blackmoreという創始者とカリスマ性あふれるフロントマンRonnie James Dioという二人の力でRainbowは瞬く間に70年代で最も成功したヘヴィメタルバンドとなった。二人はRainbowとして強力なアルバムを何枚か生み出しているが、いずれもメタルにおける名作として名高い。しかしDio脱退後バンドは音楽性を数え切れないほど変え、最終的には多くのファンを混乱させバンドから遠のかせてしまった。10年もの活動期間中8枚のアルバムをリリースしたが、Blackmoreが1984年にDeep Purpleがオリジナルメンバーで再結成するためにバンドを脱退すると同時にRainbowは終焉した。Rainbowの影響力は時につれどんどん弱くなってしまったが、へヴィメタル・ハードロックというジャンルにおけるその決定的な重要性はやはり否めない。

70年代中盤、混迷状態のDeep Purpleに飽き飽きしたギタリストRitchie Blackmoreは1975年5月、自ら立ち上げ7年以上も牽引してきたバンドを脱退し一からやり直すと突然宣言し周囲の度肝を抜いた。新進気鋭のアメリカ人ヴォーカリストRonnie James Dioと手を組み、BlackmoreはDioがいたバンドElfを基盤に新たにバンドRainbowを結成する。バンドはすぐデビューアルバム「Ritchie Blackmore’s Rainbow」をリリース、同アルバムから「Man On The Silver Mountain」をシングルカットし、あっと言う間にヨーロッパのファンに受け入れられることとなった。

しかし二人はアルバムの出来が気に食わずメンバーを解雇、代わりにベーシストJimmy Bain、キーボードのTony Careyと、元Jeff Beck Group のドラマー Cozy Powellを加入させ1976年、後々に永遠のへヴィメタル名盤とKerrang!誌の読者投票で称えられるほどの名作「Rainbow Rising」をレコーディングする。Blackmore、Dioがそれぞれクリエイティブ面でピークを迎えていたためアルバムの楽曲・歌詞ともに唯一無比かつメタルの最高峰と言えるほどのクオリティを放っている。

その後バンドはワールドツアーを成功させ、そのツアーの一環で行われたソールドアウトのヨーロッパ公演はライブアルバムの名盤「On Stage」として1977年にリリースされた。1978年にはまたも名作との誉れ高いアルバム「Long Live Rock'n'Roll」をリリース(この時のベーシストはBob Daisley でキーボードはDavid Stone)し、Rainbowはヨーロッパで最もアルバムセールスが高くライブの観客動員数が大きいバンドの1つとなった。しかしその頃にはBlackmore とDioの関係が悪化する。

いよいよ自分の母国でもバンドがブレイクしつつある中Dioがヴォーカリストであるにも関わらず常にBlackmoreの影に隠れていることに耐えられなくなってきたのが原因だが、間の悪いことにBlackmoreはシングル「Long Live Rock n’ Roll」の成功に味をしめよりメインストリームなハードロック的アプローチを目指そうとし始めており、この方向性はまさにDioが全く興味がないものだった。そんな中DioはBlack Sabbathを辞めたばかりのTony Iommiと意気投合し、1979年彼のバンドthe Sabsに加入するためRainbowを脱退した。

Dioに匹敵するカリスマ性を持ったヴォーカリストを見つけるのは至難の業だったが、元Deep PurpleのRoger GloverとDon Aireyを迎え音楽性も様変わりさせたのに合わせ、最終的には元MarblesのヴォーカリストGraham Bonnettを起用した。1979年に「Down To Earth」を発表、神秘的な歌詞と叙情的なメタル楽曲は影を潜め、より商業的なハードロックスタイルを踏襲した本作品は「All Night Long」や「Since You’ve Been Gone」といったRainbow史上最大のシングルヒット2曲を放ったにも関わらず売上的にはDio時代に遥か及ばなかった。BonnettのステージングもBlackmoreの期待する高いレベルに達しておらず、1980年夏に英Castle Doningtonで行われたMonster Of Rockフェスでの泥酔パフォーマンスでBonnettは程なく解雇。

再びヴォーカリスト不在に悩まされたBlackmoreはアメリカ出身のシンガーJoe Lynn Turnerを発掘、もう1人のアメリカ人であるドラマーBobby Rondinelliも加入させた。2人のアメリカ人はDioのイメージに引きずられた欧州風メタル色を今一度払拭しアメリカでの成功を再度目指す起爆剤となった。それを反映した1981年リリースのアルバム「Difficult to Cure」は高い評価を得、シングル「I Surrender」がRainbow史上チャート最高位を記録しバンドの勢いが取り戻されたかに見えた。しかし翌年1982年に発表された「Straight Between the Eyes」はシングルヒットに恵まれず、Blackmoreの楽曲から毒気や革新性がますます抜けていくのに伴いバンドの評判は再び凋落する。

1983年作品の「Bent out of Shape」(この頃新メンバーとしてキーボードのDavid Rosenthal、ドラマーにChuck Burgiが加入)も大した結果は出せず、Blackmoreは遂にRainbowに見切りをつけ始め、長い間噂されていたDeep PurpleのMark IIラインナップでの再結成にいやいやながら参加することを決意。しかし静かに場を去るのをよしとしない性格を反映してかBlackmoreは1984年3月、日本でフルオーケストラをバックにライブを行ったのを最後にRainbowを脱退する。同ライブは解散後1986年に「Finyl Vinyl」としてリリースされた。

その後1994年にDeep Purpleを再度脱退してからはRitchie Blackmore's Rainbowとして再結成するが短命に終わる。最近ではBlackmoreはフィアンセのCandice Night と中世風のフォークデュオBlackmore's Nightを組み活動している。

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