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Robin Trower (ロビン・トロワー) プロフィール

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1945年3月9日、イギリスのキャットフォードに生まれたロビン・トロワーは14歳でギターを始めた。そしてジミ・ヘンドリックスアルバート・キングB・B・キングオーティス・ラッシュらに影響を受けた彼は、1962年にサウスエンドのホワイトR&B/ビート・グループ、パラマウンツの一員としてデビュー。その後、元バブルス&カンパニーのデイヴ・ジョンストンと元フラワーポットのトム・ベリーと「ジャム」というロック・トリオを結成しているが、これは短命に終わっている。

ロビン・トロワーの名を高めたプロコル・ハルムへは、1967年7月に脱退したレイ・ロイヤーに代わるギタリストとして参加。同年後半に、不朽の名曲“青い影”を収録したアルバム 青い影(A Whiter Shade Of Pale) 、翌1968年に 月の光(Shine On Brightly) 、1969年に ソルティ・ドッグ(A Salty Dog) を発表していったプロコル・ハルムだが、ここでグループの転機をもたらしたのが他ならぬこのロビン・トロワーだった。トロワーは自らのアイデアをグループに提案し、プロコル・ハルム・サウンドをハードでヘヴィな方向へと転換させ、 ホーム(Home) (1970年発表)、 ブロークン・バリケード(Broken Barricades)(1971年発表)という二枚のアルバムに結実させたのだった。

大きな転換を果たした上記二作の中でも特に後者 ブロークン・バリケード は印象深い作品となった。トロワーにとって人生最大の悲劇ともいえる出来事――1970年ジミ・ヘンドリックスの死――がこの作品にもたらしたものは大きく、同作には亡きジミに捧げたという曲“ソング・フォー・ドリーマー”が収録された。またこれは同時にプロコル・ハルムとの訣別を意味する曲でもあったのだ。

1971年にプロコル・ハルムを脱退したロビン・トロワーは、フランキー・ミラー(vo, g)、クライヴ・バンカー(ds. 元ジェスロ・タル)、ジェイムス・デューワー(b, vo)と共に「ジュード」を結成。しかしながらこのバンドは数回ステージを行っただけで解散してしまう。そこでトロワーは、今度はソロへの転身をはかったのだった。

1972年9月、ジュードで意気投合したジェイムス・デューワー、そしてレグ・イサドア(ds. 元クィーヴァー〜ジョー・ジャマー・バンド)の二人を率いたソロ・プロジェクトで活動開始。翌1973年3月にアルバム ロビン・トロワー(Twice Removed From Yesterday) でソロ・デビューを飾った。

このデビュー直後から「ジミ・ヘンドリックスの再来」とまで称されるギター・ヒーローとなったロビン・トロワーは、1974年4月に 魂のギター(Bridge Of Signs) 、1975年2月に 遥かなる大地(For Earth Below)  、1976年3月に、ライヴ作 ロビン・トロワー・ライヴ!(Robin Trower Live!) と次々とアルバムを発表し、その人気を急速に高めていった。なおこの間の遥かなる大地 からドラマーがレグ・イサドアからビル・ジョーダン(元ジプシースライ&ファミリー・ストーン)へと交替しているが、魂のギター(Bridge Of Signs) が全米7位、遥かなる大地 が5位、 ロビン・トロワー・ライヴ!が10位と安定したセールスをモノにしている点もポイントで、彼の人気のほどを裏付けるデータだ。

1976年に入ると、バンドにはラスティ・アレン(b. 元スライ&ファミリー・ストーン)が加入。と同時にジェイムス・デューワーはヴォーカルに専念することとなった。同年9月に通算5作目となるアルバム ロング・ミスティ・デイズ(Long Misty Days) (全米24位)を発表。その直後の11月には初来日公演も実現し、その人気と評価は頂点に達するほど膨れ上がった。

1977年9月に 白昼の幻想(In City Dreams) (全米25位)を発表。この辺りからロビン・トロワーは、アメリカ市場を意識したようなアプローチを展開していくが、1978年8月のキャラバン・トゥ・ミッドナイト(Caravan To Midnight) が全米37位、1980年2月の地獄脱出(Victims Of The Fury) が34位と、サウンドそのものも精彩を欠くこれらの作品はセールス的にも下降線を辿ることとなってしまった。

これまで活動してきたプロジェクトにとうとう見切りをつけたロビン・トロワーは、1980年の暮れにビル・ローダン、元クリームジャック・ブルースらと共にトリオ編成となるBLTを結成。翌1981年2月には BLT(BLT) を発表し、ある程度の注目を浴びたがこれは単発に終わった。

1982年1月にはジャック・ブルース、それに旧知の仲であるレグ・イサドアと共に トゥルース(Truce) を発表。さらに1983年9月には、再びジェイムス・デューワーと組み、デイヴ・ブロンズ(b)、ボビー・クラウター(ds)と共に 虹色の戦慄(Back It Up) を発表。しかし、一時期の人気を取り戻すことのできなかったロビン・トロワーは、その後はマイナーな活動を強いられることになってしまった。

1985年2月にロビン・トロワーは、デイヴ・ブロンズ(b, vo)、マーティン・クラプソン(ds)とパーマネントなトリオ・バンドを結成。同年中にアルバム ビヨンド・ザ・ミスト(Beyond The Mist) 、1987年にPassion 、1988年に Take What You Need を発表した。

1990年に イン・ザ・ライン・オブ・ファイア(In The Line Of Fire) を発表。1991年のプロコル・ハルム再結成にも合流したロビン・トロワーだが、その復活が終了すると今度は意外なことにブライアン・フェリーのソロ作へと関わっていくようになる。トロワーは、タクシー(1993年発表)、マムーナ(1994年発表)というフェリーの二枚のアルバムに、ギターだけでなく共同プロデューサーとしてクレジットされた。一方で自身のアルバム 20th センチュリー・ブルース(20th Century Blues)も1994年11月に発表。その後1997年に Someday Blues 、2000年に Go My Way をリリースと、やや細々とした活動ながら作品を発表し続けている。

80年代にスティーヴィー・レイ・ヴォーンジミ・ヘンドリックスの後継者といわれたように、70年代にはこのロビン・トロワーがまさにジミの後継者だった。ジミ・ヘンドリックスほどの奔放さ、荒々しいサウンドはないが、サステインを十分効かせた粘りのサウンド、ワウを多用したプレイ、そしてフェイザーなどのエフェクターを効果的に使った立体感ある彼独自のサウンドを愛するファンは多い。またギブソンのレスポールやフェンダーのテレキャスターを使用することもあるものの、基本的にはジミが愛用したフェンダーのストラトキャスターに拘るところも伊達ではない。ジミから伝承したエモーショナルかつ官能的なサウンドへの拘りを挙げるまでもなく、ロビン・トロワーは、ジミ・ヘンドリックスを深いところで継承した正に「魂のギター」と呼ぶに相応しいプレイを聴かせてくれるギタリストなのだ。

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