Sade
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Sade (シャーデー) プロフィール

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その退廃的なムードと相反するオシャレ感覚で80年代のロンドンの音楽シーンに大きな影響を与えたシャーデーことシャーデー・アデュー。(Sadeとは後にSweetbackとして活動する3人と彼女とのユニット名でもある)

彼女は1959年1月16日、ナイジェリアに生まれる。父はナイジェリア人(彼女のエキゾチックなルックスはここに起因する)で大学の経済学の先生、母はイギリス人で看護婦をしていた。4歳の頃まではイギリスとナイジェリアを往復していたが、それ以後はイギリスに永住。父が大のジャズ・ファンだった事から、両親の離婚後もその血を引継ぎ、いつしかレイ・チャールズビリー・ホリデイアレサ・フランクリンマーヴィン・ゲイといったR&Bの世界へと傾倒していくようになり、そしてその夢はシンガーになろ事へと駆りたてていった。

成長したシャーデーはロンドンのコベント・ガーデンにあるセント・マーチンズ・アートカレッジで、メンズ・ウェアのコースを3年間学び、、その後メンズ・ファッションのデザインを手掛けるるようになり、ニューヨーク等のファッション・ショーにも出展したりしていた。しかし、どうしてもプロのシンガーになる夢は捨てきれず「Pride」というジャズ・ファンク・バンドのバッキング・ヴォーカルに加わった。自作の曲をギタリストのアレンジで演奏の合間を利用して披露していたのが周囲の評判となり、バンドから独立、新たなユニット、Sadeを結成した。彼女がメインとなってからは、一気に注目を浴びるようになり、そのソフィスティケイトされたジャジーなサウンドは一躍ロンドンの音楽シーンの台風の目となった。

それ以後はまさに順風満帆な活躍を遂げる事となる彼等。ニュー・ミュージカル・エクスプレス紙の’84年1月28日号では2ページに渡って大きく紹介され、遂にメジャーのEpicとレーベル契約を結ぶ。デビュー・シングル「Your Love Is King」はイギリスで大ヒットを記録、彼女の魅力的なルックスも相乗して音楽紙は勿論、ファッション紙にも取上げられ、世界的名声を得る事となる。2枚目のシングル「Make A Living」を経て、同’84年の7月、デビュー・アルバム「Diamond Life」はイギリスで初登場2位に輝いたのを始め、アメリカ、日本(同11月に初の来日公演も行う)においても記録的な大ヒットとなり、世界で600万枚を超えるセールスを上げた。ここには彼女の代表作「Smooth Operator」も収められている。

翌’85年、2ndアルバム「Promise」を発表した彼女は、ロンドンのクラブ・シーンにまだくすぶっていたポスト・ニュー・ウェーブの火を静かに一掃するともに、そのロンドンのジャズ・テイストに満ちた新しい息吹きをメイン・ストリームに引き上げる牽引車となり、その後のUKソウル台頭の口火を切ったのである。本作は全英チャートで初登場1位、アメリカでも翌年、ナンバー1に輝き、「The Sweetest Taboo」の大ヒットもあって、この年のグラミー賞の最優秀新人賞も獲得、世界的名声も得る事となった。

それから3年のインターヴァルを置き、1、2作目をプロデュースしたロビン・ミラーからも離れ、エンジニアのマイク・ペラと共に所謂セルフ・プロデュースで制作したサード・アルバム「Stronger Than Pride」を’88年に発表。バハマのナッソーのコンパス・ポイント・スタジオ、南フランスのミラヴァル・スタジオ、パリのマルカデ・スタジオと、あまりジャーナリストが押しかけないひっそりとしたスタジオで1年近い時間をかけてレコーディングされた本アルバムには、今聴いても色んな意味での解放感が漂っていた。セールス面でも全英で最高3位、全米でも同7位とまたしてもスマッシュ・ヒットを記録するが、予定されていたワールド・ツアーも行なわれず、シャーデーは以後、長い充電期間に入る事となった。

シャーデーが約4年半に及ぶ沈黙を破ってシーンに復帰したのは、’92年11月の事である。アルバート・ワトソンの撮影による彼女のヌード・フォトが大きな話題と呼んだ4thアルバム「Love Deluxe」は、全英で最高10位、全米で同3位と、長いブランクを埋める好成績を記録。シングルでは「No Ordinary Love」、「Kiss Of Life」、ネリー・フーパー&マッド・プロフェッサーによるリミックスも評判を呼んだ「Feel No Pain」がそれぞれヒット・チャートを賑わせた。

翌’93年3月から約7年振りにワールド・ツアーを開始。アメリカ、ヨーロッパ、日本を廻って、その後再びアメリカで大規模なスタジアム公演も行った。この間には映画「フィラデルフィア」のサントラのためにパーシー・メイフィールドのカヴァー「Please Send Me Someone To Love」を録音。また、10月3日のサンディエゴ・オープン・エア・シアターでのコンサートはヴィデオで収録され、「Sade Live」としてリリースされた。

「Please Send〜」を含むベスト・アルバム「The Best Of Sade」がリリースされたのは’94年11月の事で、当然の事ながらこのアルバムも全英で最高6位、全米でも最高9位と、根強い人気を裏付ける成績を記録。日本でもロング・セラーとなるヒットとなった。しかし、この後、彼女が妊娠、出産(’98年7月、娘アイラ)したこともあってまたまた長い充電期間に入ってしまう。グループ、シャーデーが活動を休止している間、メンバーのスチュアート・マシューマン、ポール・スペンサー・デンマン、アンドリュー・ヘイルの3人はアメール・ラリューをヴォーカルに迎え、’96年、スウィートバックを結成、アルバム「Sweetback」をリリース。「You Will Rise」のヒット曲を生んだ。また、マシューマンはマックスウェルデビュー作をプロデュースしたり、アメリカ映画「ツイン・フォールド・アイダホ」の音楽を手掛ける等、シャーデーのキーマンである事を証明するような活動を行っていった。

そんな彼等が20世紀最後を飾る今年、約7年振りに復活を遂げ発表したのが、現在日本でも大ヒットとなっている5枚目のアルバム「Lovers Rock」だ。あの独特のムードは今尚健在であり、デビュー以来、一貫して”愛”をテーマに歌い続けて来た彼女が、今度は母親としての情感の豊かさも兼ね備えて、私達を魅了させてくれた。

ファンとしては今度こそは長いブランクとならぬ事を願いつつ、またステージで彼女の歌声が聞ける事を心から期待したい。

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