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Tina Turner (ティナ・ターナー) プロフィール

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アンジェラ・バセットの迫真の演技で話題となった自伝映画「ティナ」(’93)で、若い世代にもその存在を強烈なまでに印象付けた、まさにポピュラー・シーンにその名を残すシンガー、そして今世紀最高のエンターティナー、ティナ・ターナー。彼女、本名アンナ・メイ・バロックは、1938年11月26日、テネシー州ブラウンズヴィルに生まれ、近隣のナットブッシュという小さな町で育った。10代半ばから音楽活動を始めていたが、’56年、両親の離婚に伴い、セントルイスに移り、そこで地元のクラブの人気バンド、キングス・オブ・リズムのリーダーだったアイク・ターナーと運命的な出会いをし、’58年結婚、同時にバンドのシンガーとして歌うようになった。そして60年、この最強のコンビとなったふたりは晴れてアイク&ティナ・ターナーとして「A Fool In Love」で全米デビューを果し、同曲はビルボードR&Bチャート2位を記録する大ヒットとなった。R&B史に新時代を切り開いたジェームズ・ブラウンは別格として、とりわけティナのその強烈な個性は当時、センセーショナルな話題を集め、その存在は明らかに他のアーティストと一線を画すものだった。


その後もふたりは「It's Gonna Work Out Fine」、「Poor Fool」、「Tra La La La La」等ヒットを連発、ローリング・ストーンズの「Honky Tonk Women」やビートルズのカヴァー「Come Together」を経て、’71年、初のポップ・チャートTop10入りを果した「Proud Mary」(CCRのカヴァーでその全盛期を迎える。腰を激しくグラインドさせ、髪を振り乱して熱唱するその独自のスタイルは、まさに世間をアッと言わせるほどに刺激的であった。しかし、その成功とは裏腹に、私生活では次第に夫アイクの暴力、ドラッグ、女性問題に耐えかねるようになった彼女は、「Baby-Get It On」のシングルを最後に’75年、バンドを離れ(翌年には離婚が成立)、ソロ・アーティストとしての道を歩む事になる。


しかし、その最初のシングル、「Whole Lotta Love」(レッド・ツェペリンの’70年のヒット・カヴァー)は、皮肉にも以後8年という長きに渡る不遇の時代の始まりとなってしまった。その間、ラスヴェガスやナイト・クラブでの活動に甘んじていた彼女は意を決し、ある日、後のマネージャーとなるロジャー・デイヴィーズにその思いをぶちまける。アイク&ティナ・ターナー時代のイメージでもあった”ソウル・クイーン”としてではなく、本来彼女がやりたかったロックンロールで自分の新しいキャリアをスタートさせたかったのだ。


そして’83年、ロジャーの尽力もあってティナは奇跡のカムバックを果す。勿論、彼女の願いでもあったポップ/ロック色を強めた新生ティナ・ターナーとしてである。まず、UKロック/エレクトロ・ポップの人気グループだったヒューマン・リーグのマーティン・ウェア等が組んだBEF(ブリティッシュ・エレクトリック・ファウンデイション)のフィーチャリング・シンガーとしてテンプテーションズの’70年のヒット曲「Ball Of Confusion」を歌って再び脚光を浴び、それがきっかけとなってキャピトル・レコードとの契約をゲット。翌年、アル・グリーンの’71年のヒット・カヴァー「Let's Stay Together」で米R&Bチャート3位,全英でも6位となるヒットとなってシーンにその存在を大きくアピールした。同年、そんな新生ティナを強烈に印象付けるドラマティックなポップ・チューン「What's Love Got To Do It(愛の魔力)」で遂にバンド時代も成す得なかった全米チャート(勿論ポップ・チャート)制覇、ソロ・デビュー・アルバム「Private Dancer」も大ヒットし、その年のグラミー賞で4部門の栄冠を手にしたのだった。


その後もロック/ポップ寄りのコンテンポラリーなサウンドと、持ち前のソウルフルでダイナマイトなヴォーカルうぃ武器に、「Break Every Rule」(’86)、「Foreign Affair」(’89)を発表、80年代のポップ・シーンにおいてロックとソウルのコンテンポラリーなミクスチュアを体現した象徴的存在として大活躍した。また、’85年に映画「マッドマックスIII」」に出演、女優として、その活動の幅を広めていった。


90年代に入ってからは、日本でもかなりのセールスを記録した「Simply The Best」や、左記のサントラ「ティナ」、007シリーズのテーマ曲、’96年リリースの唯一のオリジナル・アルバム「Wildest Dream」といった話題のみに終わり往年のファンを少々がっかりさせたが、’99年4月、ニューヨークで行なわれたVH−1(MTVと並ぶ人気音楽チャンネル)の「Divas Live '99」エルトン・ジョンシェールとともにアイク&ティナ・ターナー時代のヒット曲「Proud Mary」を披露、その映像は60歳とは思えぬ若々しさを映し出していた。この共演を期に、エルトン・ジョンとのツアーが企画されたが、これは残念ながら実現しなかったものの、”新作”という形でティナは我々の期待に応えてくれた。そのアルバム「Twenty Four Seven」は、いまだロック・スピリットを失わぬティナの”歌う”事への飽くなき意欲を感じさせてくれる、まさに45年という歌手生活の集大成とも言うべき作品である。先頃のインタビューで、”もうジャネット・ジャクソンのようには歌って踊れないは...”と言って現役からの引退を発表したティナだが、それが本意でない事をただ祈るばかりだ。

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