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権力の空間 / 空間の権力個人と国家のあいだを設計せよ 講談社選書メチエ

山本理顕

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784062586009
ISBN 10 : 4062586002
Format
Books
Publisher
Release Date
April/2015
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
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Content Description

ハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、古代ギリシャの都市に触れて「私的なるものと公的なるものとの間にある一種の無人地帯」という奇妙な表現を使っている。ここで言われる「無人地帯」とは「ノー・マンズ・ランド(no man’s land)」の訳語である。そして、このノー・マンズ・ランドこそ、都市に暮らす人間にとっては決定的に重要だ、とアーレントは言う。
本書は、この表現に注目した世界的建築家が、アーレントの主著を読み解きながら、現代の都市と人々の生活が抱える問題をあぶり出し、われわれが未来を生き抜くために必要な都市の姿を提示する書である。
ノー・マンズ・ランドとは、日本家屋で喩えるなら、空間的な広がりをもった「敷居」のようなものだと著者は言う。古代の都市では、異なる機能をもつ複数の部屋を隔てたり、家の内と外を隔てたり、私的な領域と公的な領域を隔てたりする「敷居」そのものが場所として成立していた。しかし、そのような場所は現代の都市からは完全に失われている。
それこそが人々の閉塞感を生み、人と人のつながりを破壊した原因であることに気づいた著者は、敢然と異議を唱える。その打開策として打ち出されるのが、インフラのレベルから構築される「地域社会圏」というヴィジョンである。そこでは、国家の官僚制的支配から自由になった人々が、それぞれの能力と条件に応じて協同し、住民の転入・転出があっても確固として存在し続ける都市が実現される。
誰も有効な処方箋を書けずにいる困難な日本で、幾多の都市にまなざしを向けてきた建築家が回答を示す必読の書。

[著者紹介]
1945年生まれ。1971年、東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修了。1973年、株式会社山本理顕設計工場設立。横浜国立大学大学院教授などを歴任。主な建築作品に、熊本県営保田窪第一団地、横須賀美術館ほか。主な著書に、『新編 住居論』(平凡社ライブラリー、2004年)、『建築の可能性、山本理顕的想像力』(王国社、2006年)、『地域社会圏主義』(共著、増補改訂版、LIXIL出版、2013年)ほか。

【著者紹介】
山本理顕 : 1945年生まれ。建築家。1971年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。東京大学生産技術研究所原研究室研究生を経て、1973年一級建築士事務所山本理顕設計工場設立。2002‐07年工学院大学教授、2007‐11年横浜国立大学教授。代表作に、埼玉県立大学、公立はこだて未来大学、横須賀美術館、福生市役所など。天津、北京、ソウル、台北などでも公共建築、集合住宅を手掛ける。チューリッヒ国際空港複合施設は2018年完成予定(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • かんがく

    タイトルが魅力的過ぎて手に取ったが、内容も負けず劣らず魅力的であった。建築と都市というテーマに対して、アレント、マルクス、フーコーなどの思想を用いてアプローチしていくという、今私が一番関心を持っている内容かもしれない。公的領域と私的領域の間にある閾、居住空間であり商業空間である見世など、近代社会=市場経済とともに失われていった存在に再注目し、官僚的・一元的な労働者管理のための住宅からの脱却が提言されている。まちづくりについて考える際の視野が広がった。

  • koji

    建築とは何か。著者は、Hアーレントの言葉を引用し、ギリシャにおけるポリス(公)と家(私)の関係に求めました。所謂「外面の現われ」です。そこでは建築は物化の中心にいました。しかし資本主義が進み労働者が現われ、労働者住宅という「社会」が現出すると、「ギリシャの世界」が解体されます。権力が入り込んできたのです。それ以後、建築は権力の従属物になりました。邑楽町の町庁舎コンペから理不尽に締め出された怒りが本書の契機ですが、昨今の新国立競技場建設を巡る動きの根本(著者の意見はネットで読めます)も分かる問題提起の書です

  • チャーリー

    近代の機能主義が建築に「官僚」的に一義的な機能を規定したことにより、中間団体なしで個人は国家に直接的に結びつけられた。山本は古代ギリシャからさまざまな住居を参照することで現代において「私」と思われていた空間に「公」があったことを発見していく。指摘は非常に面白いが、一方で家父長制など家庭内のヒエラルキーや地域におけるムラ社会的な小さな目に見えにく権力構造に関しては言及が薄い。もっとも官僚制による大きな権力を指摘する上でその手の権力を指摘することは二義的な課題かもしれないが。

  • アメヲトコ

    公と私をつなぐ「閾」の空間を失い、消費財に過ぎなくなってしまった現代住宅を批判し、地域社会圏の空間を提唱するもの。議論の枠組みがアレントに全面的に依拠しすぎなのが気になりますが、主張点には同意できます。もう少し自身の仕事や試みを前面に出して語った方がより面白くなったかも。

  • スズキパル

    アレント読解を通じ、近代の建築家が社会に果たしてきた役割に対する批判が展開。かつて建築において公的領域と私的領域を隔てていた「閾」は、住民が公的な場に現れ、政治的自由を行使する基盤を形成していた。現代社会における「閾」が失われた家は、単なる住人のプライバシーを守るだけの「住宅」に改編され、住宅の外部に広がる空間は住人を相互に隔離する管理空間に変貌していると筆者は指摘。建築は本来、経済的利益のために組織された社会の要請(命令)に応え、その機能を満たす消費財以上の価値を持つことを示唆している。

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