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「ベルリン・フィル・ラウンジ」第21号:アバドがベルリン・フィルに凱旋。秘曲のカンタータ《リナルド》を演奏 ベルリン・フィル・ラウンジへ戻る

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2010年5月5日 (水)

ドイツ銀行 ベルリン・フィル
ベルリン・フィル&HMV提携サイト
 ベルリン・フィル関係ニュース

ベルリン・フィル、ヨーロッパ・コンサートがオックスフォードで開催
 毎年5月1日に開催されるベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサートが、イギリスのオックスフォードで行われました。会場は、オックスフォード大学のシェルドン講堂で、建物は1668年にギルバート・シェルドン(当時の学長でカンタベリー大主教)により建立されました。音楽会にもしばしば利用され、1733年にはヘンデルがオラトリオ《アタリア》の初演を指揮。今回の客演では、イギリスでの演奏会ながら、サー・サイモン・ラトルではなくダニエル・バレンボイムが指揮しています。

バレンボイム、ビエロフラーヴェクの映像がデジタル・コンサートホールのアーカイヴにアップ
 4月後半の定期映像が、アーカイヴにアップされました。バレンボイムの演奏会では、彼がかつてジャクリーヌ・デュ・プレと演奏したエルガーのチェロ協奏曲が、アリサ・ワイラースタインを起用して演奏されています。このプログラムは、上記のヨーロッパ・コンサートでも同一でしたが、ベルリンでの彼女の演奏は「非凡なダイナミックの変化により、作品に息吹を吹き込んだ」と評されています。後半の曲目は、ブラームスの交響曲第1番です。
 ビエロフラーヴェクの回では、同じくブラームスの交響曲第4番に興味がそそられます。普通ブラームスは首席指揮者のプログラムであり、ラトル自身も定期的に取り上げていますが、客演指揮者に任せる彼の「余裕」にも、注目したいところです。ラトルとはまったく違うスタイルで演奏するオケのフレキシビリティにも、驚かされます。

バレンボイムの演奏会のハイライト映像を観る!(無料)
バレンボイムの演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く!
ビエロフラーヴェクの演奏会のハイライト映像を観る!(無料)
ビエロフラーヴェクの演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く!

 次回のデジタル・コンサートホール演奏会

ルノー・カピュソンのリゲティ!
(日本時間5月9日早朝3時)


 フランスの人気ヴァイオリニスト、ルノー・カピュソンは、ベルリン・フィルにも2002年にデビューしています(ハイティンク指揮によるコルンゴルトのコンチェルト)。2回目となる今回では、リゲティのヴァイオリン協奏曲という特殊な作品を取り上げ、意外な印象を与えます。今シーズンは、「ハンガリー」が隠れたテーマとなっていますが、当晩でも3人のハンガリー人作曲家が登場。リゲティは、極めて個性的な語法を持ち、普通の耳にも「面白く」聴ける作品を書いた作曲家です。このヴァイオリン協奏曲(1992年)も、その代表に数えられるでしょう。
 デイヴィッド・ロバートソンは、CDが少ないため日本ではややマイナーな指揮者ですが、ベルリン・フィルには定期的に客演しています。デビューは2002年で、その後2005年に再登場。現代音楽のエキスパートとして名を成しましたが、今シーズンはバイエルン放送響やドレスデン・シュターツカペレにブラームスやシベリウスで客演するなど、伝統的なレパートリーでも評価されつつあります(写真:©Virgin Classics/Simon Fowler)。

【演奏曲目】
リスト:交響詩《オルフェウス》
リゲティ:ヴァイオリン協奏曲
バルトーク:《かかし王子》組曲

ヴァイオリン:ルノー・カピュソン
指揮:デイヴィッド・ロバートソン


放送日時:5月9日(日)午前3時(日本時間・生中継)

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アバドのベルリン・フィル凱旋。メインはブラームスの秘曲《リナルド》、独唱は人気テノールのJ・カウフマン!
(日本時間5月17日早朝3時)


 毎年5月にベルリン・フィルに凱旋するクラウディオ・アバドの演奏会です。ここ数年は、やや変わったプログラム構成を取ることが多くなっていますが(昨年は《ロザムンデ》、《不思議な子供の角笛》、《海》という組み合わせ)、今年はその頂点を極めた印象。《グレの歌》から間奏曲と山鳩の歌を演奏した後、ブラームスのレアなカンタータ《リナルド》を取り上げます。この曲、ベルリン・フィルで演奏されるのは、なんと今回が初めて。ブラームスで未上演の曲があるということ自体驚きですが、アバドが敢えてこの作品をチョイスした理由にも興味が尽きません。ソリストにスター・テノールのヨナス・カウフマンを起用している点も、豪華です。
 《グレの歌》はシェーンベルク初期の大作で、後期ロマン派的な甘美な曲調が魅力。アバドの枯淡で深遠な音楽性が、音楽的頂点とも言える山鳩の歌でどのように発揮されるのかが聴きものです。アバドの演奏会は、1回ごとが礼拝のように神聖な雰囲気で満たされますが、今回も彼ならではのマジックが体験できるでしょう(©Reinhard Friedrich)。

【演奏曲目】
シューベルト:<糸を紡ぐグレートヒェン>、<夜と夢>、<魔王>
シェーンベルク:《グレの歌》より間奏曲(第11番)と山鳩の歌
ブラームス:カンタータ《リナルド》

メゾ・ソプラノ:クリスティアンネ・ストティーン
テノール:ヨナス・カウフマン
合唱:ベルリンおよびバイエルン放送合唱団(男声)
指揮:クラウディオ・アバド


放送日時:5月17日(月)午前3時(日本時間・生中継)

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 アーティスト・インタビュー

トゥガン・ソヒエフ
「ムーシンのもとで学ばなかったら、指揮者として活躍することはなかったでしょう」
聞き手:ユルゲン・オッテン
定期演奏会(2010年1月8〜10日)


【演奏曲目】
ホリガー:リストの2作品のトランスクリプション
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ラフマニノフ:交響曲第2番

ピアノ:エレーヌ・グリモー
指揮:トゥガン・ソヒエフ


 近年注目を集めている指揮者のトゥガン・ソヒエフ(ソキエフ)が、1月にベルリン・フィルにデビューしました。ソヒエフは、1977年北オセチア生まれ。サンクトペテルブルクでイリヤ・ムーシンとユーリ・テミルカーノフに師事して頭角を現しました。現在、トゥールーズ・キャピトル管の音楽監督を務めていますが、ウィーン・フィルやロイヤル・コンセルトヘボウ管にも客演し、今旬の音楽家として注目されています。
 当インタビューでは、ソヒエフがムーシンから学んだものを語っているところが印象的です。ムーシンは、「ロシアの齋藤秀雄」とでも呼ぶべき存在のようで、指揮のテクニックを極めた人物であったことが分かります。ムーシンはゲルギエフやテミルカーノフの師でもありますが、ロシアの指揮の潮流を見る上で興味深いコメントと言えるでしょう。

オッテン 「ソヒエフさんは、ロシア文化圏の出身です。ロシアものを指揮する場合、例えばマリンスキー管と、ウィーン・フィルを振るのとでは、文化的にアプローチの仕方が違いますか」

ソヒエフ 「アプローチの仕方は同じです。というのはオーケストラの前に立つ理由は、自分の音楽をするということだからです。それが実現されるように、オーケストラに対してあらゆる手段を尽くす必要があります。その点では、オーケストラがどれであろうと同じです。違うのは、オーケストラ自体のレベルでしょう。それよりもずっと重要なのは、音楽を演奏するに相応しい雰囲気が生み出せるか、ということです」

オッテン 「ソヒエフさんはまだ32歳ですが、すでに有名オーケストラを数多く振られています。どのようにすれば、団員に言うことを聞いてもらえるのでしょうか」

ソヒエフ 「心理的に、また音楽的に充分な準備をすることが重要です。メンバーが言うことを聞くかは、私が偉そうにすることではなく、私がどのような音楽をするかに掛かっています。指揮者にとって唯一の権威は、音楽そのものなのですから。ある意味で指揮者は、オーケストラと聴衆の橋渡しをする媒体に過ぎないと言えるでしょう。それはもちろん、指揮者に責任がないということではありません。音楽的な責任を一手に引き受ける力があれば、楽団への説得力は自然に生まれてきます。指揮者は、100人の部下を持つボスのように振舞う必要などないのです」

オッテン 「とはいうものの、セル、ヴァント、チェリビダッケ、トスカニーニ、カラヤンといった昔の指揮者は、皆ナルシストでした」

ソヒエフ 「でも今挙げられた人々にとっても、音楽が重要だったはずです。彼らは自分のエゴを満たすために指揮台に立っていたわけではありません。同時に今日の指揮者とオーケストラの関係は変わりました。数十年前よりもずっと民主的になっていることは間違いありません。しかしここでの“民主的”とは、誰もが平等ということではないですね……。実はオーケストラは、本質的にリーダーシップを必要としています。そして指揮者には、今でも権威があります。もちろん我々指揮者は、楽団に向って怒鳴り散らす必要はありません。自分がほしい音楽が実現しさえすればいいのですから。そこに至るやり方は、確かに昔ほど表立って権威的ではない、スマートな形になったでしょう」

オッテン 「あなたはどうして指揮者になったのですか。聞くところによると、プロとして通用するほどのピアニストだったそうですが」

ソヒエフ 「決定的だったのは、私の最初の教師アナトリ・ブリスキンがウラジカフカスで指揮した時のことです。その日以来、音楽を浴びるほど聴き、スコアを読み、作品の構造に魅了されたのでした。そしてたった一人の音楽家が、これほどたくさんの団員に対して影響力を持ちえることに感動したのです。私はブリスキンに、レッスンをしてくれるようにお願いしました。授業を受け、私のやる気もどんどん上がったのですが、やがて決定的なことが起こりました。ブリスキンは、イリヤ・ムーシンの弟子だったのです。ブリスキンのもとで2年勉強した後、私はムーシンのもとで勉強すべくサンクトペテルスブルクに行きました。これこそが、私の人生で起きた最も幸運なことだったと言えます。ムーシンは当時すでに90代前半でしたが、本当に素晴らしかった。すべてが変わったのですが、もし彼のもとで勉強していなかったら、私は今ここに座ってあなたとお話しすることもなかったでしょう」

オッテン 「ムーシンの何が、それほど素晴らしかったのでしょうか」

ソヒエフ 「彼はロシアにおける指揮のメソードを生み出したのです。彼はいくつかの指揮法の本を書きましたが、これは眠気がさすような学問的なものではありません。彼は指揮の技術をシステム化することによって、理論的に学べるものにしたのです。テクニックは、驚くほど明快なものでした。それは、車の運転を学ぶようなものだと言えるかもしれません。運転をマスターしさえすれば、実際にどう走るかは運転手の自由でしょう。彼は、“音楽の表情は手によってのみ表現されるべきだ”と教えました。ジェスチャーでも、顔の表情でも、長々と続く講釈でもなく、手だけなのです。そうでなければ、何かが間違っている。ムーシンは、ベートーヴェンやチャイコフスキーを指揮することを教えたのではありません。そうではなく、オーケストラのメンバーに正しいことをさせることを教えたのでした。そして、彼らの自発性を殺してしまわないことです」

オッテン 「そのようにおっしゃると、まるで指揮が簡単なことのように聞こえますね」

ソヒエフ 「しかし実際には、実現するのがたいへんに困難なことです。団員は、時にちゃんと指揮を見ていなかったり、間違った音を弾いたりしますから」

オッテン 「良い指揮者は大げさなジェスチャーを必要としないように感じられます」

ソヒエフ 「そうですね。優れた音楽家は、大きな身振りを必要としません。その例がベルリン・フィルです。彼らは指揮者なしでもすべて演奏することができます。彼らに必要なのは、オーケストラに“自由に演奏させる”人物、そして特別な“一味”をそれとなく付け加えることのできる人物なのです」

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 ベルリン・フィル演奏会批評(現地新聞抜粋)

ラトルのシベリウス・ツィクルスは、アンチ・ロマン派的モダン性がポイント
定期演奏会(2010年2月3〜20日)

【演奏曲目】
シベリウス:交響曲第1〜4番
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1〜5番
その他、リゲティ、クルタークの作品

ピアノ:内田光子
指揮:サー・サイモン・ラトル


 2月には、内田光子のベートーヴェン・ツィクルスが話題を呼びましたが、これは同時にラトルのシベリウス・ツィクルス(前半)でもありました。4回の演奏会で、彼は第1番から第4番までの交響曲を指揮しています。
 批評は、興味深いことにほとんどが好評です。その理由は、ラトルの音楽作りがシベリウスのモダン性に重点を置いているからのようです。基本的にドイツでは、シベリウスはあまり人気がありません。それは彼の音楽が、チャイコフスキーをコピーしたような“キッチュ”だと捉えられているためです。ラトルの解釈は、従来の自然性やセンチメンタリズムを拒否したところから出発しているため、ドイツの批評家にも受け入れやすいのでしょう。音調は洗練を極め、クリアー。かつてのカラヤンに挑むようなツィクルスですが、意外に後年、ラトルの主要功績として認められるかもしれません。

「ラトルのシベリウス・ツィクルスは、初回から目の覚めるようなものであった。交響曲第1番は、しばしばチャイコフスキーのエピゴーネンと感じられるものである。ラトルはしかし、そうした様式的な類似を退けて、我々の耳には聴こえなかった構造の前衛性を示す。シベリウスは、すでにこの曲で、交響曲を幻想曲へと変化させる傾向を持っていた。彼はそこで、マーラー風のテーマ展開の巨大化ではなく、その自由化を図ろうとしていたのである。これを描き出すにあたって、ラトルは大きな力を発揮する。それは絶大なエネルギーを孕んだ冒頭のテーマ告知においてすでに明らかであった。第1主題がアンダンテで回帰する時、それはより大きな表情と重みを獲得する。各主題は、回帰する時でさえ同じ形ではなく、常に展開の要素を内包しているのである(2010年2月5日付け『ベルリナー・ツァイトゥング』ペーター・ユーリング)」

「第1交響曲の演奏において、ラトルはシベリウス指揮者としての特別な才能を示した。シベリウスはフィンランドの外では、ふさぎこんだ変人の音楽として軽くあしらわれている。しかしここでは、彼の独創性、堰を切って流れるような楽想が、きわめて分かりやすく表出されたのである。ブラボー、サー・サイモン!(2010年2月5日付け『ベルリナー・モルゲンポスト』クラウス・ガイテル)」

「ベルリン・フィルは、ラトルの意図を実現する理想的な楽器となった。ツィクルスの初回における交響曲第1番からして、ラトルは初期のシベリウスにすでに後期の姿を求めているようであった。この曲は、伝統的な19世紀の交響曲語法で演奏しても、充分に説得力のある解釈が可能だったろう。しかしラトルはここで、音符の行間にあるものをすくい出そうとするのである。冒頭のティンパニーのトレモロからして、懐疑的に鳴り響き、スケルツォは地面に触れることがない。アンダンテでは、大きな盛り上がりを常に萎えさせるが、それはまるで作曲家が本当の頂点を書くことを拒んでいるかのようであった。とはいうものの、ラトルのこうした解釈は、作品のモダン性や、ロマン的なスタイルからの乖離が、明らかであればあるほどうまくゆくようであった。それゆえツィクルス前半の頂点は、有名な第2番ではなく、辛口の第4番であった。ここでラトルは、曲のフォルムを形作る試みそのものを、ヒステリックに繰り返すのではなく、レトリックな哲学的思索行為として美的に表現したのである(2010年2月15日付け『ターゲスシュピーゲル』イェルク・ケーニヒスドルフ)」

ラトルのシベリウス・ツィクルスをデジタル・コンサートホールで聴く!

 ドイツ発最新音楽ニュース

本コーナーでは、ドイツおよび欧米の音楽シーンから、最新の情報をお届けします。

コパチンスカヤのグァルネリが空港税関で押収
 パトリシア・コパチンスカヤのグァルネリ・デル・ジェズが、チューリヒ空港で税関により押収された。コパチンスカヤはロッテルダムからスイスに入国するところだったが、検査時に(このヴァイオリンで税関を自由に通れる)国際証明書を所持していなかったという。問題の楽器は、時価450万ユーロ(約5憶6千万円)と言われる1741年製の名器で、オーストリア国立銀行より4月初頭に貸与されたばかり。コパチンスカヤは、スイス国内で他人に売却した場合の消費税分45万スイス・フラン(約3千9百万円)を保釈金として支払うように要求されたが、払えなかったために空港で押収となった。数日後に彼女は、楽器をオーストリア国立銀行に返還することを表明し、同行職員がウィーンから飛んで空港でグァルネリを受理。スイス国内に持ち込むことなく、オーストリアに持ち帰ったという。今後、スイス国税局がコパチンスカヤに最高1万フラン(約86万円)の罰金を要求するかは、現在のところ不明。一般に非EU国であるスイスの税関では、貴重品の持ち込みは厳しく検査される(写真©Marco Borggreve)。

ルイージがメットの首席客演指揮者に
 『ニューヨーク・タイムズ』によると、ファビオ・ルイージがメトロポリタン・オペラの首席客演指揮者に就任するという。メットでは、ジェイムズ・レヴァインの健康状態悪化のため、指揮者のプランニングが不安定になっているが、ルイージはその穴を埋めるために登用される格好。契約は3年で、ルイージは年間2ヶ月から3ヶ月の間ニューヨークに滞在することになるという。しかしメット総監督のピーター・ゲルプは、今後の見通しについて「ルイージがレヴァインの後継者として音楽総監督になるわけではない」と語っている。なおルイージは、2012年よりチューリヒ歌劇場の音楽総監督になることが決まっている。

ヴィットーリオ・グリゴロがソニーと専属契約
 イタリア人テノール、ヴィットーリオ・グリゴロがソニー・クラシカルと専属契約を結んだ。最初のアルバムは今年の秋発売で、イタリア・オペラのアリア集が予定されている。グリゴロは、ヨーロッパのオペラ・シーンで注目されるようになり、ミラノ・スカラ座に23歳でデビュー。テレビ中継された「チューリヒ中央駅の《椿姫》」で、一躍名声を高めるようになった。


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