2011年6月10日 (金)
おもちゃ箱をひっくり返しふと目を遣ると、日本中のヴァイナル・アスリートたちのバイブルとしてすでに伝説となったミックステープ「KING OF DIGGIN'」が。そのインデックスに記されるは、「KEEP ON DIGGIN' 365 DAYS」、王者の刻印。揺らぐことのない、いっぽんどっこの掘り師魂に、未来永劫 ナフ・リスペクト!
ありとあらゆるジャンルのレコードを日夜ひたすら掘り続けてきた ”キング・オブ・ディギン” こと、MUROさんのネクスト・ステージが、いよいよハイライトを迎える。マイティ・クラウンのセレクター、COJIEさんとスプリットした『Dig On Summer 2009』、「ロッカーズ」 30年目の逆襲を陣頭した『Rockers Revenge』に続く、オフィシャル・レゲエ・ミックス CDの第3弾が登場。テーマはズバリ、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのJAD音源。アイランド契約以前、リー・ペリー&ジ・アップセッターズとの蜜月から生まれた愛くるしくもディープな島唄には、全米のファンキー・プレジデント連をも震えあがらせる尋常じゃない ”煙たさ” や ”黒さ” がじわりとにじむ。そして、『Kings From Kingston 12(MURO'S Bob Marley Mix)』には、そんなレゲエが最もレゲエらしい、すっぴん姿でトレンチタウンを練り歩くかのようなイキな風景がたっぷりと。
レゲエが「夏の風物詩」という企業広告に丸め込められそうになっている今だからこそ堪能していただきたい、オリジナル・ジャマイカン・ソウルの本当の奥義。選曲段階から「ミックスならではのモノを意識した」と語る、公式ミックスとしては世界でも例を見ないボブ・マーリー・ミックスを完成させたMUROさんにお話を伺いました。
インタビュー/構成: 小浜文晶 |
- --- 6月8日にリリースされたMUROさんのミックスCD 『Kings From Kingston 12(MURO'S Bob Marley Mix)』、5月にリリースされたボブ・マーリーの1980年ピッツバーグ・ライヴ 『Live Forever』、この2作品に焦点をあてながら、「MUROさんにとってのレゲエ、そしてボブ・マーリー」というテーマで今日はお話をお伺いしたいなと思います。
ボブ・マーリーは・・・入り口はベスト盤の『Legend』だったんですけどね。中学生ぐらいだったかな? でも、そんなに聴き込むような感じでもなかったんですよね、正直。みんな聴いてる感じだったから、逆にヒネくれて「俺は聴かない」みたいな(笑)。そういうのもあって、ホントに後追いの後追い。だから最近ですよ、まとめてガッと聴き込んだのは。
その中で、特に(註)JAD音源はストライクだったんですよね。ルーツ・レゲエだとかダブだとかにハマり出していた時期でもあったんで。「うわぁ、黒いなぁ」って(笑)。
(註)JAD(ジャッド)レコーズ・・・「I Can See Clearly Now」のヒットなどで知られる黒人ポップ・シンガー、ジョニー・ナッシュ、プロデューサー兼アレンジャーのアーサー・ジェンキンス、一時はボブ・マーリーのマネージャーも務めたことのあるダニー・シムズによってカリフォルニア州サンタモニカに設立されたレーベル。そのレーベル名は3人の頭文字からとっている。ボブ・マーリー&ウェイラーズは、1968年から、アイランド・レーベルと契約する1972年までに70曲余のレコーディングをJADで行なっている。ちなみに、JAD録音の初アルバムは、ボブの死後に編集された『Chances Are』(81年)。 - --- ボブのJAD音源は、MUROさんが主戦場にもしているレアグルーヴやディープ・ファンクなどにも共通する “イナタさ”がありますよね。
そうなんですよね・・・でも実は4、5年前に、所謂レアグルーヴ系のレコードは全部売っちゃおうかなって思ってた時期もあって。
- --- “掘り尽くした”感みたいなものもあったのですか?
もちろん自分の中で温めてた企画なんかもあったんですけど、その頃って、レアグルーヴ系のリイシュー量もすごかったじゃないですか? アレもコレもって。だから、掘り尽くしたっていうよりは・・・何かちょっと冷めちゃった部分があって(笑)。もっと全然違う方向、日本のアニメや和モノなんかに興味が向いてたんですよ。
- --- DJ XXXL名義で「Nippon Breaks & Beats」という和モノ・ミックスCDシリーズをスタートさせて、去年は初の和モノ・オフィシャル・ミックスCD 『KING OF DIGGIN' 〜DIGGIN' OST〜 やさぐれファンク番外地編』をリリースされていますよね。まさにその方向へと。
そうですね。で、その時期にちょうど『Rockers Revenge』のお話をいただいて、(註)「ロッカーズ」の映像を何回か観直すことになったんですよね。そうしたらもう何と言うか・・・すごくて(笑)。(註)マーリー・マールが登場するもっと前の時代に、(註)キング・タビーや(註)リー・ペリーがいたんだよなって。「ロッカーズ」のサントラもちょこちょこは聴いてたんですけど、あらためて深く聴き込んでみてびっくりしたというか、「まさにこれじゃん!」っていう感じになっちゃって(笑)。求めてたものがすべてそこに集約されてたんですよ。
(註)映画「Rockers(ロッカーズ)」・・・ギリシャでジャマイカ音楽の魅力に取りつかれたセオドロス・バファルコス監督による1978年公開のラスタ・ムーヴィ。主人公のリロイ・ホースマウス・ウォレスをはじめ、バーニング・スピア、グレゴリー・アイザックス、ビッグ・ユース、ジェイコブ・ミラーなど多数の有名レゲエ・アーティストが実名のまま出演し、ジャマイカのラスタマンの日常を垣間見ることができる。また、グレゴリー、ジェイコブほか、ピーター・トッシュらによる実際のパフォーマンスまでもがフィーチャーされている。サントラ盤『Rockers』も必聴。 - --- DJプレイにも自然と反映されていって。
今どこのクラブでもDJセットは(註)セラート(・スクラッチ・ライブ)が主流ですからね。ターンテーブルなんかほぼ物置状態。音にしても一律セラートの設定だし。いくら重いレコード・バッグを担いで行っても気持ちよくかけれないっていう感じが僕個人の中に何年かあったんですけど・・・でもレゲエの現場でちょくちょくDJをやるようになってからは、例えば地方なんかに行ってもちゃんとした(註)サウンド・システムがあって、ホント気持ちよくレコードをかけることができたんですよ。それって実はすごい贅沢なことなんですよね。
(註)RANE社 セラート・スクラッチ・ライブ・・・レーン社とセラート社の共同開発による、ソフトウェアとインターフェイスをセットで使用するデジタルDJシステム。専用のコントロール・レコードを従来のアナログ・レコードと同じように操作して、コンピュータ内のデジタル音楽データをコントロールする。コンピュータ内のデジタル音楽データを音源とするため、大量のアナログ・レコードを運ぶ必要がなく、また貴重なレコードを針で磨耗させずにDJプレイが可能となった。
(註)サウンド・システム(サウンド)・・・野外ダンス・パーティを提供する移動式の音響設備。またはそのサウンド・クルーやサウンド・マン自体を指す。巨大スピーカー・セットとアンプ・セット、ターンテーブル、レコード(ダブ・プレート)を保有し、曲をかけるセレクター、場を盛り上げるMCやディージェイ、スピーカー・セットの状態を良好に保つエンジニアらで構成されている。その歴史は古く、1940年代にジャマイカの首都キングストンのゲットーで生まれた。当初はバーの経営者などが路上にスピーカーを持ち出し、主に米国のリズム・アンド・ブルースやブギウギなどをかけていたという。スカ、ロックステディの誕生と共にサウンド・システムは多様化し、そのオーナーの多くは、コクソン・ドッドやデューク・リードのようにレーベル経営にも乗り出すようになった。サウンドの最も特徴的なショー形式が「サウンド・クラッシュ」で、一定時間で交互にそれぞれのサウンドが持っているレコードやダブ・プレートをかけ、勝敗を決めるものである。写真下は、ランキンタクシーが1984年に創立した日本最古のサウンド・システム「タクシー・ハイファイ」。 - --- 原点回帰みたいな。
まさにそうなんですよね。で、レゲエの歴史を調べてみると、1950年代からそういったサウンド・システムの文化ってあるみたいなんですよ。それが現在も変わらずある。だから、早く自分のサウンド・システムを作りたいって思いますもん(笑)。バトル云々じゃなくて、自分がいちばん気持ちいい音をレコードで出せる、そういうサウンドを作ってしまえば、もうクラブに行く必要すらないんじゃないかって。軽トラックにサウンド・システム乗っけて、それこそ沖縄から北海道まで町興ししながら回るっていうのもおもしろそうですよね(笑)。
最近は地方営業に行っても、空き地で音を出せるようなところに連れてってもらって、そこでDJやったりして。野外で音を出せるイベントなんかも増えてるし。フジロックほど大規模じゃないにしろ、そういうのって大事というか、おもしろいんじゃないかなって。そういうことも含めてレゲエの現場では教えてもらうことだらけで。ホント助けられたんですよね。だからここ2年ぐらいは、ルーツだ、ダブだっていう方向に、レコードを買うスイッチも完全に切り替えてるんですよ。- --- 持っているものをトレードに出したりしながら。
ですね。僕の中ではすごく革命的な時期でした(笑)。
- --- そうした流れがあって、COJIEさんとの『Dig On Summer 2009』、『Rockers Revenge』、『Dub Trummp』といったミックスCDにつながっていくんですね。そして今回の『Kings From Kingston 12(MURO'S Bob Marley Mix)』と。
でも、『Legend』を聴いても入り込めなかった過去がありましたからね。ただ、例えば(註)ローリン・ヒルがカヴァーした曲なんかをあらためて聴いたタイミングで「あぁ、やっぱいいよなぁ」っていうのはあって。J-WAVEで(註)「DA CYPHER」をやってる頃とかに、そのカヴァーの前後につなげてオリジナルもよくかけたりしてたんで、そういうのがきっかけにもなって、アイランド時代のアルバムは結構その時期に買い揃えたんですよね。
(註)J-WAVE「HIP HOP JOURNEY DA CYPHER(ダ・サイファー)」・・・1997年から毎週土曜日の深夜3時から放送されていた伝説のヒップホップ・ラジオ番組。パーソナリティのRIKOの軽快なトークを交えながら、毎回、国内外を問わず幅広いジャンルからのゲスト、新譜紹介、そしてMUROによる生ミックスなどがたのしめ、日本のヒップホップ/R&Bシーン普及・発展にも多大な功績を残した。番組からの企画盤として98年にリリースされた『70 Minutes Of Funk』(現在廃盤)では、MUROの真骨頂とも言えるヴァリエ豊かな選曲のパーティ・ミックスが味わえる。ちなみに番組名の名付け親は、KRSワン。
それでも、アイランド音源より先はまったく未知の世界だったんですよね。ラップやってる頃って、ボブ・マーリーの音楽にどっぷり浸かるっていうよりは、(註)「ライオンのうた」っていう詩集をよく読んでたんで、自分の曲のリリックの中で詩の一部を引用させてもらったりとか、そういう感じだったんですよ。
- --- ちなみに、アイランド時代で特に思い入れが強い曲というと?
やっぱり「Concrete Jungle」になるのかなぁ? (註)自分の曲のタイトルにも使っているし。
- --- アルバムだとやっぱり『Catch A Fire』ですか?
好きですねぇ。
- --- (註)デラックス・エディションに収録されていたジャマイカン・ミックスはすごかったですよね。
あれはすごかった! ホント信じられない音源が残ってるもんですよね。ちょうどそのときニューヨークに行ってたんですけど、(註)キャッシュ・マネーも「おい、これ買ったか!?」って大興奮(笑)。みんなやっぱり好きなんですよねぇ。
(註)DJ キャッシュ・マネー・・・80年代後半からフィリーを拠点に活動。1988年には「DMC ワールド DJ チャンピオンシップ」を制覇し、またMCのマーヴェラスと組んだアルバム『Where's The Party At?』をSleeping Bag レコーズからリリースしている。高度なスクラッチ技巧を駆使したそのDJプレイから「Kings of Spin」の異名を取り、数多くの伝説的ミックス・テープを残している。
あと、中後期だと『Kaya』や『Uprising』なんかも好きですね。リー・ペリー・プロダクションの「Kaya」は、『Rockers Revenge』でダブを入れさせてもらって、今回もヴォーカルを入れさせてもらってるんで、特に思い入れが強いというか。ちなみに『Exodus』は、アフリカでケニア盤を買ったんですよ(笑)。ジャケットの色味が微妙に違くて、オレンジ色の背景に赤字で「Exodus」っていう(笑)。- --- 全然違う皿が入っていてもおかしくなさそうですね(笑)。
でも、オリジナル・ジャマイカ盤のレコードもパンチありますよね。ジャケットがシルク・スクリーンで出来てるようなものもあったりして。そういう文化自体がすごいなぁっていう。もうひたすらヤラレてますね。
- --- 中後期辺りになると、特にリリック面などで、政治色やラスタ教義のようなメッセージ性が濃くなっていきますが、反面、JAD音源はかなり純粋なダンス・ミュージックとしてたのしめるところがありますよね。
そう、要するにそこなのかなぁって。ボブ・マーリーのJAD音源は、今の自分が求めているものにいちばん近いというか、いちばん気持ちよく聴けるんですよ。さっきのサウンド・システムの話じゃないですけど、その原点に帰れている感じがすごくするんですよね。だから逆に、政治色やメッセージ性が強くなればなるほど、わりと僕は遠ざかっちゃう方なんで・・・(註)タリブ・クウェリとかそんな感じだったんだよなぁ(笑)。
(註)タリブ・クウェリ・・・ブルックリン出身のヒップホップMC。DJハイ・テックとのリフレクション・エターナル、さらにはモス・デフとのブラック・スターといったデュオ活動で、所属レーベル Rawkusの盛栄と共に90年代後半のニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンを盛り上げた。「リリカル」「コンシャス」としばし形容されるそのMCスタイルは、ヘッズのみならず、ルーツのクエスト・ラヴ、コモン、ウィル・アイ・アム、メアリー・J・ブライジ、ノラ・ジョーンズといった多くの共演者までをも惹きつけた。最新アルバムは『Gutter Rainbows』。 - --- 先日、『Live Forever: September 23, 1980, Stanley Theatre, Pittsburgh, P.A.』という生前最後のツアー・ライヴ音源を収録した国内盤ボックス・セットがリリースされましたが、ボブ・マーリーのライヴに関してはいかがですか?
とにかくボブ・マーリーっていう人を分かりやすく説明するには、コンピとかよりもライヴがいいんじゃないかなって。特に映像ですよね。いいものがかなり残ってるんで。1975年に出たロンドン公演の『Live!』ってあるじゃないですか? たしかあのアルバムからの曲を(註)フォクシー・ブラウンか誰かがネタに使ったんですよね。で、「ボブの『Live!』やっぱヤバいね」みたいな話しになって。ボブ・マーリーの映像はそれをきっかけに色々と観直したんですよね。
(註)フォクシー・ブラウン・・・90年代中頃、LLクールJの「I Shot Ya」、ジェイ・Z「Ain't No Nigga」への客演で一気に注目を集めたブルックリン出身の女性MC。Def Jam からのデビュー・アルバム『Ill Na Na』のヒットや、ナズ、AZらとのユニット「ザ・ファーム」での活動で、瞬く間にN.Y.最強女性MCの座に登りつめた。2001年の『Broken Silence』からは、ダンスホールDeejay、スプラガ・ベンツ(当時恋人)をフィーチャーした「Oh Yeah」がヒットし、また2曲でベイビー・シャム、さらにウェイン・ワンダーが客演するなど、レゲエ・サウンドへの接近が大きく目立った。2007年、暴行罪などにより実刑判決を言い渡されて服役するも、出所した翌年にインディから『Brooklyn Don Diva』をリリースし復活を果たしている。
でまぁ、このピッツバーグ公演は映像じゃないですけど、亡くなる1年前、最後の最後、この鬼気迫る感じは、やっぱり何とも言えない凄みがありますよね。ラッパーの(註)ビッグ・Lも、凶弾に倒れる直前にラジオでフリースタイルをやってる映像というのが残ってて、たまたまそれを観たんですけど、すごい迫力でしたね。目も一点を見続けてずっとヴァースやまなくて、ホントにあれはいちばんかっこよかった。死を悟ってたのかな? って思っちゃうほど、ものすごい集中力と凄みなんですよね。ボブ・マーリーのピッツバーグ公演にしても同じことが言えるんじゃないかなって。
シンコー・ミュージックさんから90年代ぐらいに出版されてた(註)「ボブ・マーリー・ファイル」って本を最近ちょこちょこ読み返したりしてるんですけど、ひとりの人間としての苦労っていうのがちょっと異常なほど多かったんじゃないかなって思うんですよね。もちろんあれだけの人ではあるから、政治的圧力なんかも含めて周囲からのプレッシャーっていうのは常にあるわけで、それでも先頭に立って自分は光ってなきゃいけないっていう。さらに、バンド・メンバーひとりひとりにも気を配っていかなきゃいけなかったんだろうし・・・そういう意味で精神的な強さっていう部分もかなり人間離れしてたんでしょうね。
- --- だから、癌の転移が明らかになった後もステージに立つことができた・・・
多分立っているのもやっとぐらいだったと思いますよ。
(ユニバーサルミュージック 尾島氏) そういうこともあって演奏がちょっと早いんですよ。バンドが早く終わらせてあげようって、意図的にテンポアップしているんですよね。
あぁ、なるほどね。でもこのライヴはホントすごいんで、是非ヴァイナル付きのセットで手に入れてほしいなって思いますね。- --- では、『Kings From Kingston 12(MURO'S Bob Marley Mix)』にお話を戻させていただいて、今回、ボブ・マーリーというひとりのアーティストに絞ったミックス自体、MUROさんにとっては初なんですよね?
それ以前にもアイデアは色々とあったんですけど、実現したのは今回が初めてですね。あとは、ラジオとかで「このアーティストで」っていう感じで1時間ぐらいのセットで回したことはあったんですけど。
- --- そもそもボブ・マーリーのオフィシャル・ミックスCDというものがこれまでに存在していなかったという。
そうなんですよ。ホントに贅沢な話しで。神棚に手合わせましたからね(笑)。「どうかこれだけはひとつお願いします」って(笑)。
- --- (笑)信者というか、ディープなファンが世界中にいるだけに。
だから達成感もひとしおだったというか。でも、これだけ楽曲の権利を取るのが大変な人って他にいないんじゃないかなってあらためて思いますよね。
- --- ゆえにボブ・マーリー“ネタ”というのも極端に少ない。
何年か前に(註)レッドマンが「Blow Treez」で「The Sun Is Shining」を使ってたとか、ホントに数える程度ですよね。で、その時期にボブ・マーリーがまたちょっと再評価というか、聴き返されてるのかなって。
(註)レッドマン・・・90年代前半にEPMDクルーの一員としてシーンに登場したヒップホップMC。鼻づまりフロウ(慢性的な鼻炎持ち)とPファンク・ネタ連投のファンク馬鹿ぶりは当時のシーンでも異彩を放ち、1992年のデビュー・アルバム『Whut? thee Album』は熱狂的な支持を受けた。シングル曲の「Time 4 Sum Aksion」、「Blow Your Mind」、「Tonight's Da Night」はヒップホップ史に今も燦然と輝く超クラシック。マリファナ・アンセム「How High」で映画共演したウータン・クランのメソッドマンとのデュオも人気を博している。文中に登場するボブ・マーリー「The Sun Is Shining」ネタの「Blow Treez」は、2007年リリースの『Red Gone Wild』に収録されている。最新アルバムは『Redman Presents Reggie』。 - --- MUROさんと交流のあるニューヨークのトラックメイカーやDJは、また日本人とは違った感覚のボブ・マーリー像みたいなものを持っているのでしょうか?
ボブ・マーリーに限らず、レゲエに対する「得意」「不得意」は結構ハッキリ分かれているかも知れないですね。(註)ジャスト・ブレイズはまるっきりダメだったり。
- --- (註)ピート・ロックは?
ピートはレゲエ大好きですね。ニューヨークで一緒にDJやったときに、二回ぐらい交代してるんですけど、大体レゲエから始めるんですよ。80sのファウンデーションを結構よくかけてるかな。
こないだラジオで一緒のときには、久しぶりに僕からピートっていう順番だったんですけど、わざと生音で代わってやろうと思って最後にソウルをかけたら(笑)、やっぱり前半はソウルで畳み掛けてくるんですよね。あれはすごいうれしかったなぁ。- --- ピート・ロックもそうですし、KRSワン、スミフン・ウェッスンらブート・キャンプ一派、ビートマイナーズ、サラーム・レミ、あるいはタイガー、マッド・ライオン、ドン・T、テラー・ファボラスなど、80年代後半から90年代初期にかけてのシーンにはちょっと独特なヒップホップとレゲエの関係性みたいなものがありましたよね? そんなに派手な行き来はないにしろ、どこかでしっかりつながっているような感じというか。
そうなんですよ。あのクロスオーバーな感じってすごく気持ちよかったですよね? (註)スーパー・キャットとウータン・クランがやったとき(「Scalp Dem -Wu-Tang Mix」)なんかはさすがにピークに来ましたからね! それ以前に「スーパー・キャットとRZAが一緒にやったら絶対恐ろしいことになる」って思ってましたから。あれは、(註)シャバ・ランクスとKRSワンが共演したとき以来の衝撃。
- --- 「The Jam」ですね。
そうそう! 懐かしいなぁ(笑)。だから、そういったカタチの共演モノが日本でもできたらいいなぁって。最近はかなり多くなってきてますけどね。今回のミックスCDでは、シャウト・アウトを(註)ルードボーイ・フェイスにやってもらってるんですよ。最近現場で仲良くなって。パトワ語もちょっと喋れるから、シャウト・アウトしてもらったらおもしろいかなと思って。
(註)スーパー・キャット × ウータン・クラン「Scalp Dem -Wu-Tang Mix」・・・80年代後半〜90年代前半のダンスホール・シーンを代表するDeejay、スーパーキャットは、ジャマイカとインドの混血。92年のメジャー進出盤『Don Dada』の大ヒットにより、「ラガマフィン・ヒップホップ」の先駆者としてその名を残している。94年のアルバム『The Good, The Bad, The Ugly & The Crazy』からのシングル・カットとなる「Scalp Dem」のリミックスには、リミキサーにRZA、フィーチャリング・ラッパーにメソッド・マンという絶倫ウータン・コンビを迎えている。このほか、パフ・ダディ(ディディ)、ノートリアス・B.I.G、へヴィー・D、メアリー・J・ブライジ、クリス・クロス、ネプチューンズ、112といった多数のヒップホップ/R&Bアクトと共演曲を残している。
今、(註)アナーキーのアルバムのトラックを作らせてもらってるんですけど、そこにルードボーイをフィーチャリングした曲があって、その曲が何と言うか、久々に“倍返し”された感じだったんですよね。「こんなにすごいものに変えてくれたんだ」みたいな。- --- レゲエ・トラックなんですか?
いえ、ヒップホップですね。実はそのアルバムで全曲プロダクションを任されてるんですけど、それも間もなく完成する予定です。
だから今後は、そういうルードボーイとの共演にしても、現場でサウンド・システムを出してもらって、さらにそこで90年代のヒップホップも、ソウルも、ファンクもかけていくっていう。それこそいちばん贅沢なパーティになりそうな気がするんですよね。
「Live Forever: September 23, 1980, Stanley Theatre, Pittsburgh, P.A.」デラックス・エディション
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- Kings From Kings 12 MURO'S Bob Marley Mix
- キングストンのキング=ボブ・マーリーのジャマイカ時代音源を、渋谷のキング=MUROがDJミックス! マイティ・クラウン、Cojieとの『Dig On Summer 2009』、『Rockers』30周年に捧げた『Rockers Revenge 2010』に続く、”KING of DIGGIN'” によるレゲエ MIX CD企画第3弾。数あるボブ・マーリー音源の中でも「ボブが最もボブらしかった」と評されるジャマイカ時代(JAD音源)の珠玉の名曲、さらにリー・ペリーがプロデュースした音源や貴重なダブ・ヴァージョンもピックアップ。まるで70年代初頭のキングストン、砂埃立ち込めるトレンチタウンの空気を封じ込めたような最高にルーディでウィキッドなミックス。世界でも稀に見るボブ・マーリー音源のみを仕様した完全永久保存盤。
- Bob Marley / Live Forever: September 23, 1980, Stanley Theatre, Pittsburgh, P.A.
- 没後30年。ボブ・マーリー最後のライヴ・パフォーマンスがついにオフィシャルCD化! 1980年9月23日米ペンシルバニア州ピッツバーグのスタンリー・シアターで行なわれたボブ・マーリー”生涯最後のライヴ”を完全収録。亡くなる7ヶ月前、すでにボブの身体は病魔に蝕まれ、序盤数曲の歌唱力は全盛期からは程遠いものとなっているのは否めないが、徐々にヒートアップする中〜後半からは、最後の力をふり絞るかのように絶唱するボブの姿に震えがとまらない。初出となる「Redemption Song」、「Work」、「Get Up Stand Up」の3曲に加え、国内盤のみ高音質SHM-CDを採用。2枚組通常盤と、3LPに復刻版ツアー・パンフレットを付属したデラックス・エディションの2ヴァージョンでのリリース。
ユニバーサル アイランド レゲエ SHM-CD 再発シリーズ
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DIGOT
営業時間:12:00〜20:00
住所:東京都渋谷区神南1-3-3 サンフォーレスト神南MORITA BLDG 1F
電話:03-6809-0861
www.digot.jp
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本文中に登場する主要人物について |
Lee ”Scratch” Perry (リー ”スクラッチ” ペリー) 本名レインフォード・ヒュー・ペリー。50年代後半からコクソン・ドッドのサウンド・システムで働きはじめ、その後1968年に自身のレーベル「アップセッター」を設立し、最初のシングル「People Funny Boy」がヒットを記録。72年までスタジオ・バンドであるアップセッターズと共に活動し、「Return of Django」、「Clint Eastwood」、「The Vampire」といったインスト曲を生んだ。これらの曲はジャマイカはもとよりイギリスでも人気を博した。73年、自宅の裏庭に「ブラック・アーク・スタジオ」を建設。レゲエ史上最初期のダブ・アルバムとして知られる『Upsetters 14 Dub Blackboard Jungle』を制作する一方で、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジュニア・バイルズ、ヘプトーンズ、マックス・ロメオらのプロデュースを精力的に行ない、そのユニークなミキシング・スタイルを確立させた。オーソドックスなダブ・アルバムではないが、76年に発表した『Super Ape』は、『Blackboard Jungle』と並ぶリー・ペリーのレコーディング芸術の最高峰だ。78年に機材の誤配線によって生じた火災でスタジオを失ったが、その後はイギリスとアメリカを拠点に様々なアーティストと共演した。80年代後半からは、イギリス人プロデューサーでOn-U Sound主宰者エイドリアン・シャーウッドとも共同制作を開始し、この師弟関係は今も続いている。奥方と二人の子供とともにスイスに居住し、75歳になった今もレコーディングやツアー活動に勤しんでいる。愛称の「スクラッチ」は、スタジオ・ワンのオーディションで歌った自曲「Chicken Scratch」に由来している。 |
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Super Cat (スーパー・キャット) 本名ウィリアム・マラフ。インド系ジャマイカ人の父親とアフリカ系ジャマイカ人の母親の間に生まれ、インド系の人間を指すジャマイカのスラング「Cat」がその芸名の由来となっている。初ヒットは、ウィンストン・ライリーがプロデュースした1986年の「Boops」。88年から拠点をニューヨークに移し、コロムビアとメジャー・ディールを結び、第1弾となった1992年のアルバム『Don Dada』は、レゲエ・シーンのみならずヒップホップ界隈でも大きな話題となり大ヒットを記録した。これによりヒップホップ/R&Bサイドからの客演依頼も増え、以降、パフ・ダディ(ディディ)、ノートリアス・B.I.G、へヴィー・D、メソッド・マン、メアリー・J・ブライジ、クリス・クロス、ネプチューンズ、112といったアクトたちと共演曲を残している。お経のようなその独特なフロウは、ショーン・ポールにも多大な影響を与えている。 |
Lauryn Hill (ローリン・ヒル) ワイクリフ・ジョンとその従兄弟プラズと結成したフージーズで1994年にアルバム・デビュー。2ndアルバムの『The Score』、さらには98年のソロ・アルバム『The Miseducation of Lauryn Hill』(グラミー賞11部門にノミネートされ、最優秀新人賞、最優秀アルバムなど女性アーティスト史上最多の5部門を制覇)のメガヒットでたちまち女性シンガー/ラッパーの頂点に立った。また、97年にボブ・マーリーの息子で元フットボール選手のローアン・マーリーと交際し5人の子供(現在6人目を妊娠中だとか)を授かった。これまでに「Turn Your Lights Down Low」、「So Much Things To Say」など義父にあたるボブのカヴァー(あるいはサンプリング使用)を折りに触れて取り上げてきたが、没後30年にあたる2011年5月には、米NBCの追悼プログラムの中で「Chances Are」、「Could You Be Loved」の2曲を涙を流しながら歌い上げたそうだ。 |
Marley Marl (マーリー・マール) ニューヨークはクイーンズ出身のヒップホップ・プロデューサー/DJ。トラックメイカーのパイオニアとして知られ、サンプラー名器「AKAI SP-1200」製のサンプリング・ループを用いたトラック制作の手法を、次世代のアーティストに定着させた。80年代後半からは、ビッグ・ダディ・ケイン、ビズ・マーキー、クール・G・ラップ&DJポロ、マスタ・エース、ロクサーヌ・シャンテ、MCシャンら名うてのMCズを率いてジュース・クルーを結成。「The Bridge」(MCシャン)、「Nobody Beats The Biz」(ビズ・マーキー)などの軍団作品ほか、LL・クール・J「Mama Said Knock You Out」などヒップホップ史にその名を刻むロウでタフなクラシック曲のプロデュースを多数手掛けている。サンプリング・サイエンスを巧みに操りながらシーンの礎から黄金期までをあっという間に築いてしまった真のパイオニア。 |
Pete Rock (ピート・ロック) ニューヨークはブルックリン出身のヒップホップ DJ/プロデューサー/ラッパー。90年代初頭にピート・ロック&C.L.スムースの片割れとしてデビュー。「They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)」、「Lots of Lovin'」、「I Got A Love」、「Take You There」といったクラシックを次々に生み出し、90年代の東海岸ヒップホップ・シーンの黄金期を支えた。ナズ「The World is Yours」、I.N.I.「Fakin' Jax」、パブリック・エネミー「Shut'Em Down」、ダ・ヤングスターズ「Pass Da Mic」、ランDMC「Down with the King」など外部プロデュース/リミックス作品にも傑作が多数並ぶ。ジャズ、ソウル、ファンクなどから抽出した生々しく人肌温かいフィーリングのトラックは、特に日本人の琴線に触れることも多く、ヒップホップ史上最高のトラックメイカーとしてその名を挙げる者も我が国では多いだろう。 |
Just Blaze (ジャスト・ブレイズ) ニュージャージー出身のヒップホップ・プロデューサー/DJ。2001年、ジェイ・Zの『The Blueprint』を皮切りに、ビーニー・シーゲル、メンフィス・ブリーク、フリーウェイ、キャムロン、ヤング・ガンズらRoc-A-Fellaアーティストのトラックを中心に手掛けるようになり、ソウル系のネタを多用したサンプリング・センスや、ハードにヒットするキックが印象的なビーツでたちまち2000年代メインストリームの最重要プロデューサーとなった。ほか、ジョー・バドゥン、ファボラス、マライア・キャリー、エリック・サーモン、キース・マレイ、バスタ・ライムス、エミネムらの楽曲で、一聴してすぐそれと分かるトラックを提供している。また、アジアをはじめ世界中のアーティストとの交流も深く、日本ではMUROの『MURO TOKYO TRIBE2』に楽曲を提供。さらに、香港の俳優/ラッパーであるエジソン・チェンともコラボレーションを行なっている。クラブDJとしてのキャリアも長く、ハウス、ブレイクスまで幅広く対応できるそのプレイは世界中で高く評価されている。 |
Big L (ビッグ・L) ニューヨークはマンハッタン区ハーレム出身のラッパー。1993年にコロムビアとソロ契約を結び、シングル「Devil's Son」でデビュー。95年には、ロード・フィネス、ダイアモンド、ショウビズ、バックワイルドらD.I.T.C.(ディギィン・イン・ザ・クレイツ)クルー総出で全面バックアップした初のアルバム『Lifestylez Ov Da Poor & Danger』をリリースし、「MVP」、「Put It On」といったストリート・クラシックを生んだ。ハイトーン・ヴォイスから繰り出される切れ味鋭いライム&フロウで、当時のニューヨーク・シーンを席巻。D.I.T.C.の若大将MCとしてさらなる進化が期待されていた矢先の99年、ジェイ・Zが「Roc-A-Fella レコードはビック・Lと契約する」と声明を出したその翌週に、何者かに射殺された。享年24歳。すでにレコーディングを終えていた2ndアルバム『The Big Picture』は、翌2000年にRawkusからリリースされた。また、生まれ故郷のニューヨーク・ハーレムの街角には追悼のための肖像壁画が作られている。 |
Rudebwoy Face (ルードボーイ・フェイス) 横浜市出身のレゲエ・シンガー/Deejay。2007年にユニバーサルからリリースされた通算4枚目のアルバム『RUDIES』(「Rockers」サントラのジャケをオマージュ!)でメジャー・デビュー。年間100本を超えるステージや数々のコンピレーションへの積極的な参加などから、日本のレゲエ・シーンでは欠くことのできない存在に。天性のリズムに、高校生の頃からマイクを握って培った経験から発揮されるマグナム・ヴォイスは、レゲエ・シーンはもちろん多方面からも注目を集めている。 |
ANARCHY (アナーキー) 京都市出身のラッパー。京都ヒップホップ・シーンの立役者である元マグマMC'sのRYUZOが設立したR-RATED レコーズに所属。1995年にラッパーとしての活動を開始し、2000年にはJC、NAUGHTY、YOUNG BERY、DJ AKIOと共に「RUFF NECK」を結成しライブ活動を始める。交流のあった名古屋アンダーグラウンドのラッパーや全国区プロデューサーへの客演をこなし、2枚のシングル・リリースを経た2006年に1stアルバム『Rob The World』を投下。 その年を代表するラップ・アルバムとなった同作は、インディー発のデビュー・アルバムとしては異例の好セールスを記録し、「ミュージック・マガジン」、「Riddim」誌などで「年間ベスト・アルバム」に選出された。 |