伊集院幸希について （湯浅学 編） 伊集院幸希についてへ戻る

『正しき不埒な歌』

　歌の真ん中に謎がある。身を乗り出したくなる謎がある。曖昧な美しさがある。同時に明瞭な聡明さがある。ソリッドな切れ味がある。未知なのに既知感が微かにある。昔どこかで逢ったようで、しかし見知らぬ冷徹な視線をこちらに向けているのを感じさせる。多感でクールなのは当然としても、この心地よい異和感は極めて貴重だ。

　伊集院幸希は、等身大、という言葉が都合のいいまやかしであることを伝える歌声の持ち主である。
　自分自身の精一杯を正直に伝える、というのはわからなくはないが、歌手としては言い訳に過ぎない。常に自己拡張や解体を秘かに目論んでしまうから歌手になったのではないか。と問いたくなる。歌は小さくも大きくもなっていくからこそ、時を渡り、生きることがあるのに、と思う。歌手はミクロとマクロを行き来する術を糧にこの世界と対決していく。そういう特殊技能を天だか地だかから授かったがゆえに、曲を作り歌うことができるのだ。それは歌手の宿命というより基本だ。そういう基本すら疎かにしている自称音楽家の等身大など聴いたり見たりしている隙は、もはやない。

　巨大な自分と豆粒のような自分を歌で、どちらも入念に、時に豪快にしばしば同時に表現できるからこそ音楽家であり歌手なのだ。少なくとも生業として歌手を選ぶとはそういうことだ。蟻の眼にも鳥の筋肉にも雨の雫にもなれるし、男にも女にも両性具有にもなれる。伊集院幸希はきっとそういう人である。幅広いとか柔軟とか、そのようなことは当然だからこそ、今このような音楽を生み出したのだ。、と感じなければならない。おそらくこの言葉とビートの関係の鮮やかな分析力と結合術は天性のものである。日本語の中のシンコペイションを本能的に判断している。知識を積み重ねたわずらわしい体験談的音楽性はここにはない。ソウル・ミュージックの弾力を多くの日本の歌謡曲の達人たちがそれぞれ独自の解釈を加え我々を楽しませたが、そこにあった実験精神と同じ臭いが伊集院幸希の作品にはある。

　歴史は本当に目の前で残酷に変わっていく。それを体験的に知ってしまった我々に、慈しむ未知や希望に満ちた闇を伝える使徒としてこの女性は現れたのかも知れない。そんなことさえ思わせる。簡単にわからせない。無重力のようで根が太い。かといってトリックアートのようなものではない。手が届くと逃げている。性悪なのではなく、心底しなやかな精神だ。まさか体育会系のディーヴァだったり、テクノポップのマニアだったり、かつてラクロスの選手だったり、市議会議員だったりしても驚かない(少し動揺する)が、この音楽が、歌が、どうして生まれたのか、それについては考えたいし、知りたいと心底思う。何より我々に必要なポジティヴな不穏さと健かな不埒がここにあるのだから。

- 湯浅学 -