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2013年2月19日 (火)

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第44回

「サヴァールのロ短調ミサと共にすごす冬の夜に」

 まだ寒い日が続いているのだけれど、こういう晩の相伴にお誂え向きな新譜といえば、やはりサヴァールが指揮したロ短調ミサだ。
 バッハ唯一のカトリック的性格を持つミサ曲。カトリック文化圏のサヴァールとその仲間たちが取り組むにはまったくもってふさわしい作品なのだが(サヴァールの《マタイ受難曲》はちょっと想像しにくいけど、かなり聴いてみたい)、これまで不思議なことに録音が無かった。まさしく、満を持して登場という気がする。

 とにかく、明るく、柔らかい響き。ソプラノ二重唱による第2曲「キリストよ、憐れみ給え」での弦楽器のソフトな肌触り、第8曲「主なる神」などの快活な音楽でのはちきれんばかりの快楽性。
 フーガの扱いも、ドイツ系にありがちなゴツゴツと構築してるぜといった姿勢はなく、空間を舞う羽毛が積もっていくようなふわふわ系。まるで羽毛布団の宣伝のようなロ短調ミサなのである。
 
 往年のバッハの宗教曲演奏に期待してしまうようなピーンと張り詰めた雰囲気とは無縁だ。そして、喜悦や黙想、そして神秘までもがもっと生々しい口調で語られているのが特徴といえる。
 たとえば、有名なアルトのアリア「神の子羊」。これまでの多くの演奏では、まるで孤独のなかを彷徨うような、とことん厳しい、凍り付くようなオブリガードがこの音楽の深遠なる世界を作り出していた。
 しかし、この場面でのサヴァールのオブリガードは、生き物のように静かに息づいている。コンクリートに囲まれた孤独な世界ではなく、木々が風に揺られ、鳥がさえずる森の中を歌い手は歩んでいるのだ。カウンターテナーのベルタンも威圧感なしに、澄んだ響きでその息づかいに応えているかのよう。
 
 このトトロ的ともいえるロ短調ミサ、まさしくカトリックの世界を表わしているともいえはしないか。より純粋性、近代性を重んじるプロテスタンティズムに対し、秘蹟や霊的な繋がりをも認めるカトリシズム。厳格な規律を持ちつつ、矛盾があってもそれを受け入れてしまうような、妙にぬくぬくとした世界。


 昨年末、アファナシエフが「ピアニストのノート」(講談社メチエ)なる新著を出した。講談社メチエといえば、若手や中堅学者がユニークなテーマで書くというイメージが強いので、海外の現役演奏家(といっても、アファナシエフは詩人でも小説家でもあるのだが)の書き下ろし翻訳がこの叢書で読めるとは意外だった。

 アファナシエフ節全開である。ヴェルサイユの街を散歩しているシーンから始まるこの本は、その足取りのおもむくまま、様々な思索を巡らせる。例のごとく多彩な引用を伴いつつ。
 現代の音楽界についての直截な批判がところどころに飛び出す。同僚のピアニストも、かなり辛辣な筆でその槍玉に挙げられる(たとえば、珍しい動物と一緒に暮らしている女性ピアニストなど)。怒りと思惟、そして音楽に向かうときの了然とした立場。

 この本を読み、これも昨年出版されたものだが、許光俊「最高に贅沢なクラシック」(講談社現代新書)と共鳴するところがあるのではと、ふと思った。
 この本は、実に矛盾に満ちた書である。冒頭、彼はこんな「定義」を読者にぶつけるーー「電車に乗って通勤している人間には、クラシックがわからない」「トヨタ車に乗って満足している人間には、クラシックがわからない」。
 要するに、「贅沢」を楽しめぬ人間には、クラシックと不可分な「贅沢」さを味わうことは不可能だと主張しているわけだ。 

 世にごまんとあふれる知識や情報だけで、その文化をわかった気分になってはいけないという警鐘と捉えるべきか。しかし、「アジアの文化で育った人間には、クラシックがわからない」「貴族以外の人間には、バロックがわからない」「人を殺したことのない人間は、ジェズアルドがわからない」「市民社会を一度も体験したことがない日本人には、ロマン主義の音楽がわからない」などととも次々と言えてしまうわけで、それこそ思い切った、しかしどこかに受け入れざるを得ない水脈をたたえた矛盾なのだ。

 ところが、この本は、おそろしくも実用に満ちた本なのである。著者が薦めるレストランやホテルの情報が旅愁を誘う体験と共に紹介される「贅沢ガイド」として。ただ、この本に記してある「旅」や「クルマ」を追体験することで、「クラシックがわかる」かどうかはわからない。ただ、「クラシックがわかる」などと銘打ったベタベタな甘言に塗り込められた本にはない、優しさと厳しさという背馳が渦を巻いているような書物とわたしは受け止めた。

 言葉が直截であればあるほど、それが指し示すものがぶつかり合い、響きを濁す。
 アファナシエフの場合、その詩的な文体でわかりにくくなっているけれども、その発言は極めて直截だ。許光俊はもっと明快な文体で、その響きの濁りを強調する。矛盾を際立たせる。

 なにせ、音楽とは、矛盾する要素を同時に示し、それを一体化させてしまう秘蹟にもっとも長けたメディアだ。音楽について語る場合だって、その矛盾を恐れてはいけない。いささか及び腰であっても構わぬ、でも、矛盾の海を彷徨ったことがない人間には、「クラシックはわからない」。
 ぬくぬくとしたサヴァールのバッハを聴きながら、そんなことを改めて思う冬の夜。

(すずき あつふみ 売文業) 

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