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パヴァロッティ〜グレイテスト・ヒッツ50

2013年8月22日 (木)

パヴァロッティ〜グレイテスト・ヒッツ50(2CD)

パヴァロッティ、デッカ録音50年!
すべて新リマスターで全50トラック

2014年にデッカ録音50年を迎えるルチアーノ・パヴァロッティ。『誰も寝てはならぬ』等オペラ・アリアの名曲から、ポップス・ソングまで、全50曲すべて新リマスターで収録した2枚組。2時間47分パヴァロッティ漬け!
 史上最高のテノール、キング・オブ・ハイCなどと呼ばれ、没後6年を経てもなお人気が衰えないルチアーノ・パヴァロッティ。2014年にデッカ録音50年を迎えるのを記念して、パヴァロッティの名唱を50曲、2時間47分たっぷり収録したベスト盤がリリースされます!
 ソロと3大テノールの2バージョン収録された『誰も寝てはならぬ』をはじめ、『衣装をつけろ』『清きアイーダ』等のオペラ・アリアから、『オー・ソレ・ミオ』『帰れソレントへ』『グラナダ』といったナポリ民謡からポップス・ソングまで、パヴァロッティを語る上ではずせないトラックばかりを50曲収録しています。さらに、1961年の記念すべきオペラ・デビュー公演のライヴ音源も収録! スティーヴィー・ワンダーやエリック・クラプトンとのコラボレーションも入って全部で2時間47分! 世紀のテノールによる圧倒的な歌声をたっぷり堪能できる決定盤です! しかも、すべて最新リマスター音源を使用! 1964年のデッカ初録音となったアリア『あの娘の涙が見えるようだ』(ヴェルディ:歌劇『リゴレット』から)も収録されています。(ユニバーサルIMS)

【収録情報】
・誰も寝てはならぬ(プッチーニ:トゥーランドット)
・なんて冷たい手(プッチーニ:ボエーム)
・あの娘の涙が見えるようだ(ヴェルディ:リゴレット)※デッカ初録音からの1曲
・女心の歌(ヴェルディ:リゴレット)
・人知れぬ涙(ドニゼッティ:愛の妙薬)
・おまえの投げたこの花を(ビゼー:カルメン)
・衣装をつけろ(レオンカヴァッロ:道化師)
・妙なる調和(プッチーニ:トスカ)
・星は光りぬ(プッチーニ:トスカ)
・清きアイーダ(ヴェルディ:アイーダ)
・誰も寝てはならぬ(プッチーニ:トゥーランドット、3大テノール版)
・オー・ソレ・ミオ(カプア)
・フニクリ・フニクラ(デンツァ)
・帰れソレントへ(クルティス)
・マティナータ(レオンカヴァッロ)
・ヴォラーレ(マンシーニ)
・マンマ(ビシオ)
・サンタ・ルチア(民謡)
・カルーソー(ダッラ)
・グラナダ(ララ)
・ミス・サラエボ(ボノ)
・マイ・ウェイ(フランソワ)
 他(全50曲収録)

 ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)

 録音:1961-1998年


【プロフィール】
ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)は、1935年10月12日、北イタリアのモデナに、パン焼職人でアマチュア・テノール歌手でもあった父親のもとに生まれました。同郷の名ソプラノ、ミレッラ・フレーニとは幼なじみで、同じ乳母によって育てられたという逸話は有名です。父親とともに地元のコーラスで歌い、師範学校を卒業後、声楽をテノール歌手アッリーゴ・ポーラに師事しています。
 1961年、レッジョ・エミーリアでおこなわれた声楽コンクールで優勝し、同年の4月29日、同地の市立劇場で『ボエーム』のロドルフォ役を歌ってオペラ・デビューを飾ります。このロドルフォ役はパヴァロッティの十八番となり、1963年のウィーン国立歌劇場とロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、1965年のミラノ・スカラ座へのデビューもこの役でした、1964年には英デッカ社にオペラ・アリア集を録音、レコード・デビューも果たしています。アメリカへは1965年に進出(マイアミ)、1968年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場に、やはりロドルフォ役でデビューしています。
 1972年2月、メトロポリタン劇場で上演されたドニゼッティの歌劇『連隊の娘』に出演、パヴァロッティはトニオ役のアリアでハイC(高いハ音)を9回、苦もなく歌って喝采を浴びて名声を決定付け、「キング・オブ・ハイC」という異名をとるに到りました。
 80年代からは音楽コンクールを主催し、若手声楽家の育成にも乗り出しました。
 90年代以降の活動はオペラの領域を越えて展開。ニューヨークのセントラル・パークやロンドンのハイド・パークでの大規模な野外コンサートなども実現させ、ポピュラー歌手を思わせる音響設備の使用や高額な入場料でも論議を呼びましたが、音楽をより広い聴衆へ伝えようとするその活動は衰えることがありませんでした。有名なものでは、1990年7月、サッカー・ワールド・カップ決勝前夜のローマでプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに特設舞台に立った、いわゆる「3大テノール」公演の大成功があげられます。この公演は、1994年、1998年、2002年のワールド・カップでもおこなわれました。
 70歳になる2005年10月での引退を表明、日本では2004年に引退コンサートをおこないましたが、2006年2月にはトリノ冬季五輪の開会式に登場、これも十八番の「誰も寝てはならぬ」を歌って健在ぶりをアピール。4月からはヨーロッパでの「さよならツアー」が始まりましたが、6月に膵臓がんと診断されて中断。7月に手術を受けるものの、2007年9月6日、モデナの自宅にて腎不全により亡くなりました。(HMV)
【簡易年表】
  • 1935年
    10月12日イタリアのモデナに誕生。父親はパン焼き職人で、アマチュア・テノール歌手として合唱団などで活躍。母親はタバコ工場に勤めており、ミレッラ・フレーニと同じ保育所で育っています。
  • 1951年
    モデナのサッカー・チーム「レパント」に加入。その後モデナの師範学校に学び、2年間だけ教壇に立つ。 なお、師範学校通学中は、父親の参加する合唱団にも加わっていました。
  • 1952年
    日本にも長く滞在して多くの弟子を育てた高名な声楽教師、アリゴ・ポーラに師事し、本格的な声楽の勉強が始まります。
  • 1957年
    マントヴァでエットーレ・カンポガッリアーニに師事。
  • 1961年
    レッジョ・エミーリアの国際コンクールに優勝し、同地のテアトル・ムニチパーレで“ボエーム”のロドルフォ役でデビュー。同年、アウダ・ヴェローナと結婚。
  • 1962年
    長女ロレンツァ誕生。
  • 1963年
    アムステルダムの歌劇場で“ランメルモールのルチア”のエドガルドを歌い国外デビュー。次いで“ボエーム”のロドルフォでコヴェント・ガーデンにもデビュー(ディ・ステファノの代役)。バルセロナで“蝶々夫人”のピンカートン。
  • 1964年
    グラインドボーンで“イドメネオ”のイダマンテ。デッカと録音契約を結びます。
  • 1965年
    “リゴレット”のマントヴァ公役でスカラ座デビュー。 マイアミで“ランメルモールのルチア”のエドガルドを歌い、アメリカとオーストラリアにデビュー。
  • 1966年
    スカラ座で“カプレーティとモンテッキ”に出演。同年、初のオペラ全曲録音“テンダのベアトリーチェ”。
  • 1967年
    スカラ座のトスカニーニ生誕100周年記念公演で、カラヤンの指揮によりヴェルディのレクイエムを歌い決定的成功を収めます。同年、“ボエーム”のロドルフォでサンフランシスコ歌劇場にデビュー。
  • 1968年
    “ボエーム”のロドルフォでメトロポリタン歌劇場デビュー。次いで同劇場で“連隊の娘”にも登場。 “胸声のド”の凄みで評判になりますが、つけられたニック・ネームは“キング・オブ・ハイC”。
  • 1971年
    イタリア歌劇団の一員として初来日。“リゴレット”の公爵を歌い、興奮した音大生が感激のあまり舞台に上がり、抱きつかれるというハプニングに見舞われます。
  • 1972年
    “ボエーム”のロドルフォでパリ・オペラ座デビュー。
  • 1975年
    メトロポリタン歌劇場の来日公演に参加、“ボエーム”のロドルフォを披露。
  • 1977年
    単身での初来日。
  • 1981年
    メトで初めてドラマティックな役柄の“アイーダ”のラダメスを歌います。
  • 1982年
    パヴァロッティ主演の映画“イエス・ジョルジョ”が制作、公開されます。
  • 1985年
    スカラ座10年ぶりの“アイーダ”公演でラダメスを歌います。
  • 1986年
    デビュー25周年を盛大に祝う。中国ツアーを実施。
  • 1989年
    この頃からアリーナ・コンサートが始まる。12年ぶりに来日。東京ドームと大阪城ホールで公演。
  • 1990年
    ローマのカラカラ浴場跡で、ドミンゴ、カレーラスとともに“3大テノール/世界の競演”に参加。ベスト・アバム“Essential Pavarottli”がイギリス・ポップ・アルバム・チャートの第1位に。
  • 1991年 “Essential Pavarottli II ”もイギリス・ポップ・チャートの第1位。ボローニャでデビュー20周年記念コンサート。ロンドンのハイド・パークで20万人を集めてコンサート。
  • 1992年
    メトロポリタン歌劇場との初レコーディング“マノン・レスコー”。スティング、スザンヌ・ヴェガ、ネヴィル・ブラザーズ、ズッケロ等ポップ/ロック系のアーティストと故郷のモデナで共演。このコンサートは“パヴァロッティ&フレンズ”というタイトルで以後、毎年おこなわれます。
  • 1992年 6月26日、
    ニューヨークのセントラル・パークで50万人を集めコンサート。
  • 1993年
    ロサンジェルス・ドジャーズ・スタジアムで3大テノールのコンサートが行われる。この時点でローマでの“3大テノール/世界の競演”は全世界で1,000万枚のセールスを記録。
  • 1995年
    ロンドンでチャリティー・ガラ・コンサート。同年、ボスニアの子供たちを救うために“パヴァロッティ&フレンズ2”がU2のボノ、クランベリーズのドロレス、マイケル・ボルトン等とともに行われます。
  • 1996年
    東京を皮切りに3大テノールの世界ツアー。
  • 1998年
    パリのシャン・ド・マルス広場で3度目の3大テノール・コンサート。
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    ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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    ルチアーノ・パヴァロッティ〜ザ・グレイテスト・ヒッツ50(2CD)

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    発売日:2013年09月13日
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