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前人未到の「英雄の生涯」 許光俊の言いたい放題へ戻る

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2014年10月25日 (土)

連載 許光俊の言いたい放題 第238回


 いやはや、パイタの「英雄の生涯」は狂気の大演奏である。これまで聴いたパイタの録音中、圧倒的に最高の大傑作であり、同時にこの曲のもっとも独創的かつ熱狂的な解釈である。これほどまでに燃えたぎった「英雄の生涯」は空前であることは間違いなく、もしかしたら絶後かもしれない。
 以後述べるように、さまざまな点でやりたい放題をやりつくした演奏で、このレベルまで至ってしまうと、もはや大演奏という言葉を奉るしかなくなる。それほどまでに強引・強力な説得力を持っているのだ。
 まず、いきなりズビーン!とくる低弦楽器の衝撃に仰天。いよいよイケイケの完全に肉食系「英雄の生涯」が開始される。
 正直言って、この最初の数秒、数十秒で、このCDは聴いていられないと怒り出す人もいるに違いない。また、いて当然だと思う。何しろ、最大の効果をあげるために、ボリュームをいじったり、低音を強調したり、あまりにも露骨な操作が行われているのだ。オーケストラの自然な音響など鼻で笑うがごとき音質なのだ。音響のリアリティではなく、表現や心理のリアリティが追及されているのだ。その結果、あちこちで意外な発見が生まれる。
 だが、音質をさておいても、音楽の勢いがただものではないことは誰でも気づくだろう。まさにエネルギーそのもののような弦楽器の高潮を経て、尋常でない陶酔の世界に突入するのである。ここに限ったことではないが、テンポを落として力をためるところの味の濃さ、逆に煽るところの重量感、パイタがフルトヴェングラーの再来と言われた理由が完全に納得できる。本当に、フルトヴェングラーが指揮したらこういう演奏になったのかもしれない。さらに、ところどころで、パイタが気合を入れる声が聞こえる。たぶんこれもクローズアップされているはずだ。ここまでやりますか・・・。
 この圧倒的な導入部が過ぎ、英雄をコチャコチャと茶化す木管楽器群が登場する。これまた呆れ返るほどのクローズアップ。すごい音量になっている。そこに絡む弦楽器のこれまたこれでもかという粘り方。いやはや実にいやらしい。とにかく「いやはや」とか「これでもか」という感想を連発するしかない演奏である。
 英雄の妻が登場したあともすごすぎる。まず間の取り方が異常だ。出るべき音が全然出てこないので、ぎょっとしてしまう。何ですかこの意味ありげな休符は! いちいち説明しなくても聴けばわかるだろうが、妻の妖しい目つきが容易に想像できる沈黙なのだ。この解釈、完全に納得できる。
 ヴァイオリン独奏は、オケ全体を軽く打ち負かすほどの大音量。この小さな弦楽器ひとつが、巨大な音像となって全体を支配する。しかも特定周波数の強調つき。時々はわざと音がこもったりする。こうなるとポルタメントは俄然艶っぽくなり、過剰なまでに女っぽい妻があれやこれやという、まさしく演劇的な様相を呈する。音のひとつひとつが異様な雄弁さで迫ってくる。視覚的イメージの氾濫。これには驚くしかない。
 そして、それに応える筋肉隆々のマッチョな英雄! 女の媚態に男が猛り狂う様子があまりにも明快に描かれていて度肝を抜かれる。いや、恥ずかしくなる。官能美というよりエロそのものだ。コンサートで聴いたら、身の置き所に困るのではなかろうか。
 13分過ぎからのやりとり、否、対決は、空前の濃厚さ。15分過ぎからのクライマックスでは、弦楽合奏は甘い蜜にしとどに濡れ、ハープも快楽の洪水を巻き起こす。ドロドロの官能の楽園が目の前に出現する。これを聴いてクラシックは高級で上品な音楽と感じる人がいたら、完全に間違っているだろう。比較的冷静に鳴る私のステレオでこうなのだから、機器によってはまさに鼻血が噴き出す猥褻さで再生されるのではないか。それを想像すると空恐ろしくなる。
 こんな演奏を聴いて大笑いする人もいるだろう。だが、真剣と滑稽は紙一重である。それどころか、同じことである。ドストエフスキーの登場人物は深刻かつ滑稽である。パイタがやっているのはそういう類の音楽である。
 オーケストラはいやいや奇人指揮者につきあっているのではない。もうノリノリである。オーボエの切ない歌といい、弦楽器のたっぷりしたフレージングといい、ハーモニーの豊かさといい、オーケストラが指揮棒にくらいついているのがよくわかる。白けている様子は皆無だ。でなければ、これほど濃厚な音楽が湧き上がるはずがない。
 一転してぐんぐん突き進む戦闘シーンも最高だ。意図せぬ合奏の危機が、かえって戦場らしい臨場感を高める! マンガチックな音響のすさまじさを聴かせるのではなく、戦意あふれる意気揚々とした情熱が爆発する。「英雄の生涯」とは、一通り成功した人物が、半生を振り返った音楽ではないのか? でも、パイタはそうは振らない。戦いも愛も現在進行形だ。
 曲の後半になってもだれない。オーケストラは限界までロマンティックに歌い、大きくうねる。繰り返すが、ここまでやった指揮者はかつていなかった。ニセモノでない、本当の熱血漢、本当のロマンティストの音楽だ。
 最後の蟻が這うような遅いテンポにも唖然。まさに万感迫る、ここまで感情移入するかという音楽。そして、圧倒的な終結に至るのである。しばし呆然としたあと、パイタ万歳を叫びたくなる。すごいぞパイタ、偉いぞパイタ。
 とにかく、最初から最後まで押して押して押しまくる演奏だ。あまりの迫力ゆえに、音楽の巨大な渦に巻き込まれ、批判精神など木端微塵に打ち砕かれて、もう好きにしてください、どこまでもついていきますという気持ちにさせられてしまう。この録音を聴いている間、時間も空間も忘れて夢中にさせられてしまう。文字通り寝食を忘れる。まったく途方もない演奏だ。 近年、これほどまでに手に汗握るCDはなかった。強い確信をもって、(よくも悪くも)伝説となる演奏だと言い切ることができる。
 私はこれまでまさに品格が高いとしか言いようがないベーム指揮ウィーン・フィルの演奏をもっとも好んできた。しかし、パイタは、そういう大人の余裕と抑制で仕上げた音楽の正反対だ。それでいてベーム同様、シュトラウスのわざとらしさやインチキくささをいっさい感じさせない。
 ライヴ録音ということだが、いつどこの表示もない。それに、これまた法外なことに、トラック番号が入っていない。CD創生期じゃあるまいし、いまどきありえないことだ。全体でひとまとまりということを強調したいのだろうか。あるいは、ただの怠惰か。まったく謎である。
 1932年生まれというからもう80歳を超えたパイタ。おそらく生で彼の演奏に触れるチャンスはもはやあるまい。それがあまりにも悔しい。
 ああ、パイタさま、あなたは今どこで何をしているのですか?

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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