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ラヴェル的「幻想」に驚く 許光俊の言いたい放題へ戻る

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2014年11月18日 (火)

連載 許光俊の言いたい放題 第239回


 今年はチェリビダッケのすばらしいCDがいくつも発売されたが、もうひとつ、驚いたことにスウェーデン放送響との「幻想交響曲」が秋に世に出た。
 チェリビダッケのようなオーケストラを扱う名人にとって「幻想交響曲」はお手の物に違いない。色彩豊かで、生々しく描写的で、精密かつ巨大スケールの演奏が実現されるはずだ・・・ところが、この想像を裏切って、彼が「幻想」を指揮した回数はさして多くはないのだ。不思議な話ではないか。彼ならば、きわめてユニークかつ説得力ある演奏をなし遂げて当たり前ではないか。チェリにはいくつも謎があるが、「幻想」への冷淡さもそのひとつだった。
 さっそく聴いてみよう。第1楽章からして特徴的なのは、期待通りの緻密さだ。序奏の透き通った響き、端正なフレージング、バランスの絶妙さが美しい・・・しかし・・・冷たい。まるで熱っぽくないのだ。楽譜に書かれていることがきちんと音になっている。だが、若き作曲家の胸の鼓動はまったく表れてこない。ミュンシュのようなやむにやまれぬロマン主義芸術家の大興奮の正反対だ。
 第1楽章の高揚がこれほどまでに整然と気品をもって示された例もあまりないかもしれない。そして、若きチェリなら当然ここで叫び声をあげるだろうという箇所で何の声も聞こえない! さすがへそ曲がりのチェリビダッケというしかないだろう。熱狂が期待されるところでも冷静で抑制的なのだ。第1楽章を聴き終わって、あれ、今「幻想」を聴いているんだっけ?と奇妙な気分にさせられるほどだ。
 第2楽章も当然精密。出だしからして克明だ。ひとつひとつの音は明快きわまりなく、全体の響きの見通しもきわめてよい。が、これもまたなんという冷たさ。ワルツは色気ゼロ、昂揚感ゼロ、情感ゼロ。心理性ゼロ。シンセサイザーを連想させるほどだ。いかなる過剰な表現も伴わないままにテンポを速めて楽章は閉じられる。そう、とにかくこの演奏では、描写性やドラマ性は完全に無視されているのだ。もちろん確信犯である。あの感情の起伏が激しいチェリが、わざとこんな演奏をやっているなんて、ほとんど笑いたくなるほどだ。
 第3楽章では木管楽器が吹き交わしたあと、恐るべき超ノロノロ状態になる。そして、作曲家の心情とはまったく別世界の、すさまじい音響美が繰り広げられる。冷たいと同時に官能的な、あまりにもミステリアスかつ場違いな美しさ。もしかして、ここを全体の中のツボと認識しているのか? チェロとヴァイオリンの明晰な動きを聴いていると、わかってくる。あ、これはベートーヴェンなんだと。ベルリオーズはベートーヴェンの強い影響下にあった。それを主張する演奏なのだ。それが理解できると、ここは第5みたい、「エグモント」みたい、第9みたい、と次々にベートーヴェンの姿が見えてくる。いやはや、この楽章の後半は、本当にベートーヴェンを聴いているような気持ちにさせられる。これにはびっくりです。
 こうなると、第4楽章が描写力まったくなしでも驚かない。この楽章をいかなるドラマとも色彩とも無縁に、純粋に構築性だけで聴かせようという、言い換えればバッハのフーガを演奏するような、ものすごい力技が展開する。その意味で、これは聴く者を「いったいこの先はどんなことになるのか?」とドキドキさせる演奏である。恋する気持ちではちきれんばかりのラブレターを、ニュースのアナウンサーが淡々と歯切れよく朗読するような途方もなさ! ギロチンが落ちる直前に回想される愛しい女、あの箇所がベートーヴェンの第5交響曲第1楽章そっくりだということに愕然とさせられる。
 フィナーレでは、魔女や怪物が浮かれ騒ぐ様子が、わざとらしいほどにまじめに奏されるのが可笑しい。「怒りの日」も意味をはぎ取られている。透明なフーガから、息が長いしかし冷静なクレッシェンドを経て、思いがけずテンポを上げて(ただし、温度は上げないまま)曲尾に至る。たぶん、生で聴けば、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」のようだったのではないか。推測するに、ついつい当たり前に気持ちを込めて弾きたがるオーケストラの手綱を引き締めて勝手を許さないという点に、この演奏の成功不成功はかかっていたはずだ。
 スコアに何が書かれているかをはっきり示したという点では、おそらくクレンペラーと双璧だ。それでいてベルリオーズの熱狂とはまったく別の音楽美を完成させている。「あなたはこういう楽譜を書きましたねえ」とこの演奏を聴かされたベルリオーズは怒りに震えるかもしれない。ブーレーズの「春の祭典」を聴いたストラヴィンスキーが、興奮的要素皆無なのに愕然としたように。
 拙著『クラシック魔の遊戯』で記したように数十の「幻想」録音を聴き比べたが、これくらい独特の解釈もなかなかない。「幻想」が好きな人は聴いておくべき演奏だ。一度聴いただけでは違和感が先に立つだろう。が、繰り返し聴けば、ここにはほとんどラヴェルのような古典美があることがわかる。
 チェリビダッケは、マーラーの交響曲にまったく興味を示さなかった。この「幻想」を聴くとその理由が推測できる。おそらく、彼がマーラーを指揮したら、こうなっただろう。いや、これ以上に冷たさを感じさせる構造的な演奏になっただろう。それはそれで聴いてみたかったが。

 「魔法使いの弟子」は、チェリお得意のレパートリーだ。「幻想」とは打って変わって、ユーモラスな語り口の巧さが際立つ。この曲は、音楽の書き方という点では、ワーグナーと強い関連性がある。弟子が師の技をまねしてひどい目にあるという音楽を、デュカスは「ジークフリート」第2幕、つまり、弟子が見よう見まねで師を超えてしまうという音楽を下敷きにして書いたのではないか。だとしたら、実に知的な遊びではないか。チェリビダッケは、そのパロディー性をはっきりとわからせてくれる数少ない演奏のひとつである。これがわからないと、この曲のおもしろさは半減する。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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