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アーノンクールのシューベルト 許光俊の言いたい放題へ戻る

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2015年9月14日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第244回


 いやはや、ずいぶんこのコラムの更新が延び延びになってしまった。例年だと「暑い」で書き出す回が必ずあるのだが・・・。紹介すべきCDがなかったわけではない。むしろ逆で、ネタがたまりすぎているほどだ。たまりすぎて、何から書いてよいのかわからなくなってしまったほどだ。
 早い話が、書く気がなかなか起きなかったのである。世界中であまりにも悲惨な事件が毎日起きている。外国ではあいかわらずテロや戦争。未然に防がれたとはいえ、アムステルダム〜パリ間の列車では、鉄道史に残る大規模な殺戮が企てられていた。幹線ゆえ、どんな高名な演奏家が巻き込まれてもおかしくなかった。
 ここのところは命からがらシリアから脱出してきた難民のニュースが報じられている。彼らがたどっているルートは、ギリシアからハンガリー、オーストリアを経てドイツへ。それは皮肉にもかつて古代文明が伝播してきた道すじではないか。しかも、彼らが乗る国際列車は、たとえばブダペスト〜プラハ〜ドレスデン〜ベルリンというルート。あるいはブダペスト〜ウィーン〜ミュンヘン。クラシックの愛好家にとって、これらの町が持つ意味はあまりにも大きい。
 国内でも、箱根や富士山の噴火、さらには広い地域を壊滅させるであろう大地震がすぐにでも起きるかのように報道されている。自然災害が後を絶たない。
 そんなとき、このCDがいい、あれは・・・などと書いていて空しさを感じないとしたら、あまりにも鈍感と言うものだろう。


 で、まずは何を取り上げようかと迷ったのだが・・・。
 昨今、あいかわらず非常にお得なCDが多く発売される。円安なのにそんな値段で買えるとは本当に驚いてしまう。むろん、それはそれでたいへん結構なことだが、逆に、決して安くないがゆえに購入に慎重になってしまうものについて書いたほうがいいだろう。
 たとえば、アーノンクールとベルリン・フィルのシューベルト・エディション。交響曲全集といっしょに、ミサやオペラも入っている。手に取ってびっくりの豪華なケース、解説書だ。オペラに関してはきっちり日本語訳もついている。
 アーノンクールにとってシューベルトはもっとも大事なレパートリーのひとつであり、交響曲全集もすでにコンセルトヘボウと制作していたが、そちらもよかった。実は、シューベルトの交響曲全集は昔から案外名演奏が多く、ベームやヴァントのきっちり端正なものもあれば、アヴァンギャルドなやる気に満ちたブリュッヘンもある。比較的最近でもミンコフスキのおもしろい録音がある。ましてや、全集に話を限らなければ、魅力ある演奏は本当に多い。今年文庫化もされたが『世界最高のクラシック』を約十年前に書いているとき、予想に反してあまりにもシューベルトを取り上げる数が多くて、これでいいのかと迷ったほどだ。
 その中で、今度のアーノンクールは、現代におけるシューベルト演奏の極致として第一に挙げられるべき録音だと思う。どれも2000年代のライヴ収録。21世紀のシューベルト演奏は、これが起点だ。
 ベルリン・フィルだからな、力ずくすぎて、シューベルトにはどうかな。シューベルト風、ウィーン風のたおやかでデリケートな味はあまりないのではないか。ダイナミックになりすぎるのではないか。と思うでしょう? ところが違うのである。
 ベルリン・フィルが予想以上に柔らかでデリケートな風情を示しているのだ。アーノンクールはベルリン生まれで、このオーケストラにもずっと客演を続けていた。しかし、彼に言わせれば、シューベルトほどオーストリア的な作曲家はいない(ちなみにグルダも同じことを言っていた)。それを徹底的にオケに教え込もうとしたようだ。柔らかな美しさと、切れのよさや衝撃性が両立している。
 アーノンクールがもっとも力を置いている表現や箇所が何なのか、彼の表現のキモはどこなのかがよくわかる。第1番の第1楽章で転調が起きるところの、まさにぞっとするような雰囲気の変化。舞曲リズムにおける民俗的な雰囲気。この楽団は普段こんなことはしないが、言われればできるのである。普段やらないことだから、いっそうインパクトが強い。
 管楽器がでしゃばったりもせず、きわめて緊密だ。特定のリズムの性格を強く打ち出す。結果として、これは完全にアーノンクールの演奏になっている。彼の手や身動きが鮮やかに目の前に浮かぶ。ベルリン・フィルのうまさが空回りしていないのがいい。
 第2番の第1楽章の丁寧な作りも見事だ。楽想の性格が生々しく表され、細かなニュアンスも生きている。
 第5番の実に優しくて美しい出だしもいい。だが、何よりすばらしいのは展開部で、まるでシューベルト最晩年の作品のごとく、冥界に迷い込んだかのような幻想的な風景が開けていく。これにはやられます。

 ミサのほうは、オケの精度が交響曲ほどではないけれど、合唱は発声が明晰で、これがどんな音楽なのかがわかる。やはり声楽曲で大事なのはまず歌なのだ。また、思いのほか壮大な趣がある。明らかに、交響曲のときとは、指揮者のアプローチが異なっている。
 アーノンクールの偉大さとは、ものすごく個性的でいながら、その個性の表現で終わらず、つまるところこの曲はこういう音楽だと教えてくれるところだ。いまだに、アーノンクールは乱暴だとか単調だとか言う人がいるのは実に残念なことである。彼ほど、この曲はこうだと、まさに口を酸っぱくしてくどいくらいに言いたがっている演奏家は、そうはいない。

 ベルリンのフィルハーモニーホールは、いざ現場に行けば、思ったより残響が乏しいことに多くの人はびっくりするだろう。東京のサントリーホール、大阪のザ・シンフォニーホール、それ以外にも、もっとたっぷりゆったりと響くホールは日本にもいくつもある。
 と同時に、まさに舞台に接するかのような席で聴けば、舞台の上ではきれいな音が鳴っていることもわかる。その感じがこの録音では本当によくわかる。やはりどうせならこういう音質で聴きたいものだ。

 ちなみに、最近のアーノンクールだが、夏のグラーツでキャンセルをやらかし、ファンを心配させた。が、その後回復し、今シーズンはベートーヴェンを集中的に指揮する予定が発表されている。その姿は、来日時よりも確実に高齢化が進んでおり、歩き方はいささか頼りなく、杖も使う。いったいいつまで指揮台に立ち続けるかは予断を許さない。
 いずれにせよ、彼が再びベルリン・フィルに客演する可能性はきわめて低いと考えねばなるまい。それだけに、このシューベルト・セットは貴重な共演の記録なのだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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