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アーノンクールの「最後」を聴く 鈴木淳史のクラシック妄聴記へ戻る

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2016年1月22日 (金)

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第62回


 だらだらと過ごしておったところ、気づいてみれば年が新しくなってしまっていたのである。毎回そんなものだが、今回違ったのは、アーノンクールの引退にブーレーズの死去という、我が音楽体験に少なからぬ、いや特大級の影響を与えた二人のニュースが舞い込んだこと。いずれ到来するものとは了解していたはずなのだが、それが現実に降ってきて脳天を直撃した際の鈍い衝撃をじわじわと反芻する日々が続いている……。

 この二人は、音楽ないし芸術がなぜプログレッシヴでなければならないのか、というテーマに挑んだアーティストであった。ブーレーズは、「現代音楽株式会社」の取締役社長として(実際そんな風貌だ)、みずから音頭を取り、前衛のすばらしさをシャープで懇切丁寧に伝え、様々な層に対しあまねく定着させた(どこぞの通販会社を思わせるが、奇しくもここの社長も最近引退したらしい)。
 そして、アーノンクールは、過去の音楽にも前衛としての要素があり、それこそが音楽の活力なんだよ、わかったかねドカーン!ということを堂々とやってのけた指揮者だった。

 アーノンクールの幕引きは用意周到に行われていた、はずだった。ここ数年のあいだに、ベルリンやアムステルダムへの最後の客演を行い、最近は手兵というべきウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとの演奏に専念していた。一度お別れしたはずのウィーン・フィルとは、一昨年の11月に共演、こいつは僥倖、さぞかし体調も良くなったのではと思ったこともあった。それが、今シーズンに入ってからは予定されたコンツェントゥス・ムジクスの演奏会の延期ないしキャンセルが続き、そして年末に健康上の理由で指揮者を引退すると発表が行われたのだ。

 ロイヤル・コンセルトヘボウ管との最後の演奏会(2013年)が映像でリリースされている。曲目は、ブルックナーの交響曲第5番。
 80年代後半にアーノンクールの演奏に出会ってすっかりトリコになってしまった挙げ句、色々と道を踏み外していると思われる自分だが、ブルックナー演奏に関しては幾ばくかの疑問符がなきにしもあらず、というのも、明確なコントラストがこの指揮者の持ち味とはいえ、固いものと柔らかいものがあまりにも頻繁に交代する変化のために、妙に落ち着かない気分になるのだ。それも、スタティックでガッツリ構築系のブルックナーに慣れてしまった因果なのかもしれぬが。

 こういったわたしのなかで落ち着かなかったものがすべて解決し、やはりアーノンのブルはとんでもない境地に至った演奏なのだ、ということを最後の際で教えてくれたのが、このコンセルトヘボウ管との5番だった。
 アーノンクールのブルックナーは、バッハのマタイ受難曲のように、生々しい。
 崇高なものと卑俗なものが入り交じり、ときにはそれが交換可能だが、最後にはそれらすべてから崇高の光がそっと放たれる。これが彼の描きたかったブルックナーなのではないか。宇宙の存在に喩えられるような人間不在の美、あるいは冷たい構築物ではなく、あくまでも人間の愚かさまでもが光輝くものに転じてしまうような美しさ。

 荒々しさと丁寧さが混在したまま、叙述的に描かれる第1楽章。流れの良さのなかで情景が様々に変化する第2楽章。第3楽章は、スケルツォ主題の生き生きとしたアーテキュレーションが印象的だ。
 最終楽章の呈示部にあるフーガを聴くと、嗚呼、これぞアーノンクールだよ、全員脱帽しろ、などといった思いが涌き上がる。フーガという音楽形式をこれほどまでに動物的に、血湧き肉躍る表現として示した音楽家はいない。
 そして、すべてが一つになって輝かしさを放つ最終楽章のコーダ。こんな力業が一つもない、柔らかいコーダはこれまで聴いたことがない。クライマックスとして大伽藍を築くのが、このブルックナーでもっともロジカルな作品にふさわしい解釈ということはよく理解できる。しかし、内側から光が灯され、それが滑らかに広がっていくこの演奏の気高さといったら。
 交響曲というよりも、合唱とオルガンによる宗教曲のように全体の響きが設計されているのも、彼ならではというべきだろう。

 演奏直後のアーノンクールのひどく寂しそうな顔が印象に残る。客席からの、いわゆるフライング・ブラボーによって響きを壊されたことによる悲しみではないだろう。なにせ、かつてウィーンでモーツァルトなどを演奏するたびに、客席から非難囂々を浴びながら毅然とした表情を変えなかった闘士だ。その歴戦の闘士の胸に、これが最後のコンセルトヘボウ、そしてブルックナーだったという万感の思いがこみ上げたのかもしれぬ。

 アーノンクールの「最後の録音」となったコンツェントゥス・ムジクスとのベートーヴェンの交響曲第4&5番のディスクも近日発売される。
 フォルムがカチッと固められたヨーロッパ室内管との全集録音と比べると、その柔軟さ、明確にして独得な楽器バランス、そして色彩感を含めた表現の幅の広さに、ひたすら引き込まれる。一瞬たりとも、老いだの、巨匠風だの、といった言葉を感じさせない、若々しいベートーヴェンである。

 ベートーヴェンに興味のある聴き手なら必聴というべき、問題意識に満ちた演奏であることは間違いない。一例だけを挙げれば、交響曲第5番のフィナーレでは、聴き手をのけぞらすような、これまで誰もやったことのないコーダが用意されている。
 わたしがすぐに連想してしまったのは、サティの《干からびた胎児》第三曲のコーダだ。古典派のパロディとして皮肉をたっぷり効かせた終止形が執拗に繰り返される音楽だ。あるいは、コーダに潜む運命動機をクローズアップさせたようでもあり、当時の聴衆が味わった前衛さを再体験させるための解釈とも受け取れる。
 いや、輝かしいコーダが「あんなふうに」なったのは、「近代という勝利」がどこかで挫折してしまった、それは失敗を義務づけられた一時の夢ではなかったか、という指揮者の思いだったのではないか。もしそうだとすれば、わたしのサティ作品への連想だって、さほど突飛なものではないような気もしてくる。
 もちろん、サティと違って皮肉なんて微塵も興味がない、大真面目人間のアーノンクールだ。肌で感じていたヨーロッパあるいは近代社会の終焉、そしてその未来について、壮大な問題意識をダイレクトに我々に突きつけてきたのだ。もし、このコーダがアーノンクールの最後のメッセージになってしまったら、実に荷が重くなってしまうけれど、それをしかと受け止めるのがアーノンクール聴きとしての義務ではないかと、身がキリリと引き締められる思いがする。ま、そういうことは明日から考えるとして、とりあえず飲みにでも行こかね。

 こういう凄まじいばかりに、示唆に富んだ演奏を聴いてしまうと、予定されていた交響曲全集に発展しなかった運命を苦々しく噛みしめるしかないのも事実だ。いや、キチンと幕引きを考えてスケジュールを組んでいたはずのアーノンクール自身がもっとも悔しがっているのではないだろうか。それを思うと、「また元気になって、指揮台に復帰して下さいね!」なんて軽々とは言えない(それでも、彼の第九は聴きたかったよ!)。うむ、こっそり奇跡を祈るほかはない。
 ただ、少なくとも、アーノンクールとコンツェントゥス・ムジクスは、ベートーヴェンの交響曲はほかに第1〜3番まではムジーク・フェラインで演奏をしている(ミサ曲ハ長調もすばらしい演奏だった)。レコーディング用のマイクが会場に張り巡らせてあったので、ゲネプロを含めた音源もソニークラシカルは確保していると思われる。いずれにせよ不完全な全集とはなるが、リリースを期待したい。

(すずき あつふみ 売文業) 

評論家エッセイ情報
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