サヴァール第9

2022年01月31日 (月) 17:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第296回


 本来は別のテーマをすでに昨年のうちからあたためていたのだが・・・あまりにもすごいものに出くわしてしまったので、先にこれについて書こう。
 サヴァール指揮のベートーヴェン交響曲全集の後半、第6番から9番までが発売された。5番まではすでに発売されていて、その5番がとんでもなくすばらしかったことはすでにここに記した通り。今回の「第9」もひたすら呆然、唖然として聴くしかないような、信じられないような名演奏なのだ。
 すでに第1楽章からして、オーケストラの熱量が異常で、レッドゾーンに突入している。圧倒的なエネルギー感、切迫感、次々に塊となって押し寄せる高い波のような、あるいは顔に絶えずぶつかってくる激しい雨粒のような。悩み苦しみ怒る等身大の男が目の前にいるという恐ろしく生々しいリアルな感じ。しかも、野蛮ではなく、引き締まっている。音質は、細部が明瞭なのに全体の力も失われていない。管楽器がちょっと遠目で、いちいちクローズアップしないので、ホールの1列目で聴いている感じ。
 第2楽章は出だしからしてきわめて鋭い。この楽章の中間部分でテンポを落とすか、速めるかは、ベートーヴェンの指示がどうであろうと、速めるのはテープの早回しみたいで変にしか聞こえないと思うのだが、これは速める。そこから妙な焦燥感が生まれる。
 第3楽章はハーモニーと音色で聴かせる。しかし、しんみり感が薄いということではない。逆に純粋なハーモニーがかえってしんみり感を強めているくらいだ。同時に、まろやかで流麗・豊麗に演奏されるとわからなくなる細部の仕掛けがよく聞こえて非常におもしろい。
 もちろんクライマックスはフィナーレだ。はっきり言って、珍妙な作品である。いろいろな音楽様式がごった煮になっている。そして、おおげさなメッセージ。それゆえ、少なからぬ人がこのフィナーレに違和感を覚えたはずだ。だから、映画「時計仕掛けのオレンジ」で皮肉に使われたり、「エヴァンゲリオン」では戦いのシーンに重ねられていた。ベートーヴェンは真剣だったのだろうけれど、ちゃかしたくなる音楽なのである。
 だが、この演奏は圧倒的だ。まったくゆるまない。聴き手をものすごい渦の中に巻き込んで止まらない。本当に生々しい演奏だ。絶叫だ。合唱が歌うひとことひとことの意味が、強い願いや必死の祈りが、脳みそに突き刺さってくるのには仰天した。こんな「第9」は聴いたことがない。経験したことがない。


 例の歓びの歌の旋律の登場は、きわめて素朴だ。そっけないし、飾り気がないし、田舎っぽい。それがいい。考えさせられた。この旋律は、どこかの有名オーケストラのように名器をそろえたゴージャスな弦楽合奏でやるべきものなのか。違うだろう、そういう音楽では本来ないだろう。そして、きわめつきの名歌手が美声を聴かせるための音楽でもないだろう。
 ベートーヴェンは神を褒めたたえるために「ミサ・ソレムニス」を書いた。だが、人間を褒めたたえるためには「第9」を書いた。その事実を、どの名指揮者よりも、どこのオーケストラよりも、サヴァールと彼の楽団が強烈に突き付けてくる。合唱が語りかけてくる。特に例のトルコ風の行進曲からあとはものすごい。
 この演奏を聴きながら、私はかつて自分が「第9」に対して抱いていた違和感、いや反感を思い出した。上から目線が嫌だったのだ。兄弟になるのだ、って、そういうあんたは誰よ? ついでに言うと、この曲の歌詞は日本語では昔の人が言う品格とやらを重んじた文体で訳されていたが、それも気にくわなかった。最初からエリートしか相手にしてないじゃん。召使がうようよしている豪華なパーティー会場で、私たちは平等だと乾杯しているような欺瞞。
 だが、このサヴァールの演奏には、上から目線がまったく感じられない。この曲を初めて聴いてから45年、ついに私はこの曲に納得した。俗っぽいのに崇高という奥義を目の当たりにした。
 「第9」ではフルトヴェングラーの演奏が至高のものとされている。最近もバイロイト録音の真実が明らかにされたばかりだ。だが、このサヴァールを聴いた今、あえて言いたい気がする。フルトヴェングラー盤の歴史的使命は、もう終わったのではないか。芸術は勝ち負けではない。単純なよい悪い、古い新しいの問題でもない。そんなことはとっくに肝に銘じたうえで、あえてそう言いたくなるのだ。


 ほかでは第7番がいい。これもまた変な曲である。異様な繰り返し、しつこさ。ベートーヴェンの性格のある一面が目立ちすぎている。
 と私は思っているのだが、サヴァールの演奏だと、その異様さが、遊びのような無邪気さの範囲内に収まっているのだ。たとえば、テニスで球を打ち合うような感じ。強打連発の快感に酔っていると見せかけておいて、そっとはじっこへ落としたり。そうやって打ち合いながらつい微笑がこぼれる、みたいな。深い意味などない。ただただ愉快。
 と言っても、単に元気がいいだけではないのはむろんだ。打ち込むところは打ち込むが、ところどころではきわめて繊細な音色や響きや表情の変化。それがよく伝わる録音だということも嬉しい。
 第2楽章、普通は弦楽器の優雅で荘重な響きが優先されるところ、聴いている耳がそっちへ行きそうなところでも、リズムが効いている。普通は大きく趣を変えて奏するところだって同様。バッハのパッサカリアを聴いているみたいな気がしてくる。すばらしくユニークだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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サヴァール

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