「わが祖国」に感嘆

2023年01月17日 (火) 18:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第303回

 昨年の秋以来、ラトルとロンドン交響楽団をはじめ、最近のポゴレリチまで、かなりの数の来日公演が実現している。しかも、さらに嬉しいことに、ようやく海外に行きやすくなり、11月に2年9か月ぶりで本場の音楽を満喫することができた。
 久々のヨーロッパで私が最初に訪れたコンサートは、プラハで行われたビロード革命記念日のマーラー9番、ラトルとチェコ・フィルだ。しかし、私を乗せた飛行機はプラハが悪天候のため、途中ミュンヘンに一時着陸。こんなことはめったにありません。いつ出発できるかわからないというので、アニメ「天気の子」を思い出しましたよ。お願い、晴れてください。
 ようやくたどり着いた酷寒のプラハ、会場のルドルフィヌムに到着して驚いた。ほとんどのみなさん、ドレスにタキシードじゃないか。確かにチケットは高めだけれど。そこでようやく私は、この記念日が、はるかかなたの外国人にはわからないくらい大事な日なのだと悟った。それは約30年前に起きた、きわめてはっきりしたできごとを表す日、具体的には社会主義体制が崩れて自由が獲得された日であり、そのリアリティや重みはたとえば日本の建国記念日などとは比べものにならないのだ。
 そこで奏されたマーラーの9番は、期待をはるかに超えた、想像を絶して激しく、熱く、圧倒的なものだった。チェコ・フィルからは、クーベリックと来日して「わが祖国」をやったときと同じ響きがするのに驚愕した。あのころの楽員などもうあまり残っていないだろうに、あの音楽、あの響きは若い世代にも受け継がれていたのだ。管楽器もすばらしかったけれど、弦楽器の独特の熱っぽさに、大昔の評論家たちが「チェコは弦の国」と言っていたことが腑に落ちた。
 映像で中継されたので、いつか製品化されることもあるのかもしれない。


 さて、チェコと言えば「わが祖国」。最近、コレギウム1704という団体のCDが。えらく気に入った。
 この演奏家たち、ふだんはバロックを演奏していて、その際には至ってお行儀がいいのだけれど、スメタナになると妙に血が騒ぐようだ。適度に素朴な音色。わざとらしくなく端正なフレージング。だが、いったん火が付くと心地よい熱さに達する。「モルダウ」の最後のほうは、チェコの人はやっぱり弾いていると万感迫るものがあるのだろうか。この演奏にもその気配がある。
 古楽器による演奏ということだけれど、一般的に古楽演奏を苦手とする人が嫌いそうなちまちました感じ、あるいは力みかえった爆走はない。歌うところは大きく歌い、壮麗。ドラマが切り替わるようなところも緊張感があって巧み。「シャールカ」の追い込みなんて、これを聴いて喜ばない人はいないでしょう。第3曲以降も、音色の混ぜ合わせのおもしろさ、美しさが快い。「ターボル」冒頭の緊迫感とか。
 リズムも音色も打楽器のバランスも民族音楽っぽい感じがはっきり出ているのが新鮮。熱っぽいのにアジテーション音楽にならない繊細な美しさが楽しめるこのCD、たいへん気に入りました。21世紀の「わが祖国」演奏として屈指のできばえ。


 さて、最近のムーティがすごいということはここでもすでに書いているが、シカゴ響とのライヴ録音、「カヴァレリア・ルスティカーナ」が、冒頭からして息を呑む美しさだ。あまりにも透き通っていて、あまりにも清らかで、あまりにもしんみりとしている。オペラの最初でこんな音楽を奏でたら、あとはどうすればいいのでしょう?
 いやいや、心配ない。幕が開いたあとも、とにかく気品の高さ、神々しさに圧倒される。本来なら大衆的な踊りや合唱であるはずが、まるで宗教曲のようだ。それにしてもシカゴ響、確かにうまいはうまいが、アナウンサーがニュースを読んでいるようで味気なく、私は全然好きではない。だが、この演奏に限っては、そのうまさからエレガンスが立ち上る。弦楽器の優雅なレガート、なめらかな強弱、悪目立ちしない管楽器。ごめん、参った。
 劇的な重唱では驚くほどの快速テンポで一気に駆け抜ける。そこから、微速前進の間奏曲へ。ものすごいコントラスト。間奏曲は、透明な氷の涙で濡れそぼつようだ。これほどまでに至るところが美しいという「カヴァレリア」は空前であり、絶後かもしれない。まったく別の曲を聴くような新鮮な気持ちにさせられる。最後の、世界が崩壊するような異様な巨大さにもびっくり。
 それにしてもマスカーニは、どうでもいいと言えばどうでもいい物語に、意味不明にきれいな音楽を書いたものだと、この作品を聴くたびに思う。名作ですよ、人生に一度だけ奇跡的に書けたという、すごく残酷な名作。その奇跡的な名作の奇跡的な名演奏。畏怖を覚えさせるような音楽。
 やや距離を取って全体を俯瞰するような音質。もうちょっと近寄ってもいいと思う瞬間もあるが(歌手の子音がホールトーンでつぶれてしまったり)、全体のまろやかなバランスはよく伝わる。

 ところで、今月、『はじめてのクラシック』(講談社現代新書)という本を出します。もう入門書はこれで打ち止め。今回のテーマは「淡々と」。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
コレギウム1704を検索
ムーティを検索

評論家エッセイへ戻る

5件中1-5件を表示
表示順:
※表示のポイント倍率は、ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

チェックした商品をまとめて

チェックした商品をまとめて