指揮者サヴァールの最高傑作は?

2023年04月24日 (月) 17:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第304回

 指揮者としてのサヴァール最高の録音はどれか? 
この問いに対する答えは、私にとってはただひとつしかない。すでにここでも書いたベートーヴェンの交響曲全集は猛烈にすばらしかった。だが、そのすばらしさはそれはそれとして、ベートーヴェン作品においてきわめて集中度が高く熱っぽい演奏が行われること自体は、不思議なことではない。
 それよりもやはり、ただ一点だけ指揮者サヴァールの録音を挙げるとするなら、マラン・マレのオペラ「アルシオーヌ」ということになる。ヴィオラ・ダ・ガンバなどいにしえの弦楽器の名手であるサヴァールにとって、マレは大先輩。これまでもいくつもの録音を制作しており、「アルシオーヌ」の抜粋版もある。だが、先ごろ発売された全曲版は、それとはまったく別の方向を向いている。すでに存在した抜粋版が、端正でエレガントな美しさを実現しているのに対し、全曲版はよりきわめてドラマティックで、生々しい感情にあふれている。
 フランスのバロック・オペラは基本的には、歌と踊りが交互に並べられている。が、単に当時の観客を飽きさせないための小手先のごまかしサービスではなかったのだ。この「アルシオーヌ」全曲において、単純な舞曲が、全体の流れの中で必然的に響くことには、ただただ驚くしかない。情熱的かつ荘厳。あるいはこうも思う。ここからベートーヴェンの交響曲第7番は案外近いかもしれないと。
 第1幕の終わりでは、神が怒り、嵐となる。嵐や天変地異はバロック音楽においては定番の設定だ。作曲家にとっては腕の見せどころ、客を喜ばせるショータイムだ。ヴィヴァルディ「四季」やバッハ「マタイ受難曲」のそうした場面でも非常にドラマティックな音楽が書かれている。だが、サヴァールの「アルシオーヌ」におけるその表現はまさに鬼気迫るすさまじさ、巨大さだ。1940年代、フルトヴェングラーが指揮するベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲第7番やシューベルト交響曲第9番はこういう音楽ではなかったのかとすら思う。


 「アルシオーヌ」はストーリーがまた、今風に言うなら実にしんどい内容である。好きな女にまったく相手にしてもらえない男の孤独と自暴自棄。誰も救われない最後。重たい溜息しか出ない。
 オーケストラがひとつの塊となって、片思いの男の絶望をこれでもかと表現する。残念ながら、非常に残念ながら、この世界は、自分が望むようには創られていない。そのことへの圧倒的で絶対的な絶望。だが、その男を相手にしない女も、別の苦しみに打ちひしがれている。世界のどうしようもなさが、すでにこのバロック・オペラでは明確に表現されていたのである。もっと幸せな世界が創れなかったのですか、神様?
 サヴァールはこの作品をコロナ前にパリやほかの町で上演した。私はそのパリ公演を聴いて、あまりのすばらしさに唖然とし、その上演が終わるやいなや、幸い空席があった次の上演のチケットを買い求めたが、3時間のオペラがあっという間に終わった。さらにもう一度聴きたいと思った。もうこんなにすごい「アルシオーヌ」をナマで聴くチャンスは人生に二度とないだろう。
 ふだんは実にいい感じで力が抜けている感じのサヴァールが、「アルシオーヌ」のときはびっくりするほどの力をみなぎらせて振り続けたのも驚きだった。灼熱の音楽がピットからめらめらと燃え上がった。歌手たちの没入ぶりも感銘を強めた。最後のシャコンヌは、バッハの「マタイ」「ヨハネ」とは別の意味で、深遠なカタルシスに達する。なぜここがシャコンヌでなければならないのか? それを感じてください。
 バロック音楽とは、こんなにもあたたかみがあり、リアルで、胸を引き裂くような悲しみの音楽だったのだ。マレはこんなにもすごい音楽を書いたのだ。そうサヴァールは言いたかったのかもしれない。
 映像収録も行われたが、いかにも当世風の演出で、それはそれとして見せ物としてはいいかもしれないが、特に鋭く深い解釈があったわけではない。それだけに、音質のよい音だけでの鑑賞で十分だ。
 なお、「アルシオーヌ」全曲盤としては、約三十年前に若きミンコフスキが録音したものがある。これもなかなかいい演奏で、サヴァール全曲盤が登場する前は実に貴重だった。廃盤のようだが、手に入るなら聴き比べるのも一興だ。解釈の違いがあるのはもちろんだが、サヴァールの演奏がまさに爛熟の美を極めていることが改めて痛感される。ちょっとしたフレーズに漂うしみじみした滋味、それと相反するような情熱、単純なリズムにこめられた生命感、登場人物そのものと化した歌手たち、これでなくてはという説得力がすごいのだ。ミンコフスキには、将来の再録音を期待しよう。


やはり先ごろ発売されたサヴァールの「ラス・ウエルガス写本」のほうは、これも私はパリで昨年秋に聴いたのだけれど、癒しのエスニック音楽みたいな素朴でノスタルジックな旋律や響き、チーンチーンという鐘の音、静謐な祈り、みたいな、人間の感情の沸騰である「アルシオーヌ」の対極。「アルシオーヌ」が屹立する建築物なら、こちらは見果てぬ彼方までゆるゆると続いている大地。残響たっぷりの録音で、脱力的で甘美なムーディー感がいっそう強まっている。
刺激に満ち満ちたパリの聴衆は、こういう音楽も大好きで、満員だし、誰も退屈していなかった。サヴァール師は、アンコール時には客席に向かって「いっしょにアヴェ・マリアを歌いましょう」と呼びかけ、客席も応じていた。ああ、コロナ、ここでは完全に終わっているのだなとちょっとショックだった。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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