くつろいでブルックナー

2023年05月22日 (月) 11:00 - HMV&BOOKS online - クラシック

連載 許光俊の言いたい放題 第305回


 それにしても昨今はさまざまなブルックナー演奏が楽しめるようになったと思う。私が学生のころなど、ある程度以上の水準が期待できる録音は、ヨッフムの全集以外では、カラヤン、ベーム、クレンペラー、ワルターなどがそれぞれ若干の曲を手掛けただけだった。なのに、「〇〇以外はブルックナーではない」という原理主義的な言説がはびこっていたものだ。それに比べると今は天国。
 最近、スヴェトラーノフがハーグのオーケストラを指揮した第8交響曲をすっかりくつろいだ気持ちで愉しんだ。ハーグでのブルックナー録音といえばシューリヒトのものが昔から知られているが、スヴェトラーノフの演奏はずっと重量感がある。神経質ではない。ゆったりしたテンポで、まるで大型船が大海原を行くかのような安定しきった演奏だ。こういうやり方だと、多少オーケストラの乱れがあっても、気にならない。
 かといって圧倒するような、押しつけがましい巨大さを誇る演奏ではない。濃厚なロマンティシズムに耽溺するわけでもない。耳を射るような刺激的な音もしない。フィナーレでの金管楽器群が若干ロシアっぽいが、それ以外は場違いにエキゾチックな感じもしない。それよりも弦楽器をはじめとする透明感の印象のほうが強い。意外でしょ?
 こういう当たり前に遅めで安心して聴ける演奏は実はそうあるわけではない。ひとつひとつのソロ楽器が当たり前に自分の役割を果たす。楽器がリレーしていく。何でもないようでいて、きれいに整頓されている。雑味が少ない。よけいなものが置いていない、ホテルの広めの客室みたい。ゴージャスではないけどとても快適で、何泊しても疲れなさそうな。で、またリピートしたくなる。今後はここが定宿でいいやと思う。そんな客室。めったにあるものではありませんよ。
 とはいえ、特にフィナーレのところどころでは晩年のスヴェトラーノフらしい濃さもないわけではない。全体が力んでいない分、そういうところがひときわ目立つ。あ、ここはやっぱりこうやりたいわけだね、と。最初から最後まで濃かったら、こういうインパクトにはならないだろう。最初から最後まで平常心で聴けて、でも満足できる不思議な演奏。そうは言わない。最後の鳴りっぷりはやはり強烈だから。
 同じ曲のイェーテボリ響との録音もある。比べると、そちらがいかにも普通の演奏のように聞こえる。指揮者が棒を振る。楽員が楽器を弾く。そうやって出てくる音楽。ところが、ハーグのほうはおのずと音が鳴っている感じ。現世かあの世かというくらい違う。ハーグのあとで聴くとむやみと騒がしくわずらわしく感じられてしまうほどだ。音楽は自我の表現である。が、突き抜けると自我が消える瞬間がある。弛緩してはおらず、緊張もしていないという、それが自然体というものなのだろう。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

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