うどんとピション

2023年10月16日 (月) 09:00 - HMV&BOOKS online - Classical

連載 許光俊の言いたい放題 第309回


 MAMAGOTO、つまり「ままごと」という名前のカジュアルなレストランがだいぶ前からパリにある。しゃれた名前だなと思って行ってみたら気に入って、以来時折立ち寄っている。料理を作っているのは日本の人らしいが、オーソドックスなフランスの味に少し和風を混ぜて、そのセンスがいい。ミシュランのお薦めマークも得ている。
 つい先日も昼を食べに出かけたら、ランチセットの選択肢にうどんが入っていた。へえ、そんなものも出しているのかと思いながらも、肉が食べたかったので、豚を注文した。ところが、見ていると、うどんを取る客が案外多いのである。パリにしてはお手軽な店だから、客の大半は若い人たち。
 見るともなしにその様子を見ていたが、あることに気付いて、はっとした。若い女の子たちが、ちぎったパンを当たり前のようにうどんの汁につけて食べているのだ。本当に当たり前のように。
 何だか感動した。私がパリに初めて行ったのはちょうど40年前。そのころ、日本料理屋の数は限られていて、客のほとんどは日本人だった。高級な店もいくつかあって、日本人は接待でそういうところに行くのを楽しみにしていた。まともなすしやさしみや、それどころかおいしい味噌汁や白飯はそういうところでないと出していなかったからだ。
 ところが今では、パリの女の子たちがごく当たり前にうどんを食べている。そんな時代が来るなんて想像したこともなかった。そうやって時代は変わっていくのだ。付け加えておくと、実は西洋人にとって、もっとも抵抗感のあるアジア料理の一種は、スープがたっぷりの麺類なのである。そんなに大量のスープとでんぷんを、しかも熱々のを冷めないうちに急いで食べるという食べ方のスタイルを彼らは持っていなかったからである。日本人がアメリカのステーキの大きさに驚いてきたように、西洋人はラーメンの量の多さに驚いていたのだ。
 MAMAGOTOのうどんの汁は、たぶんパンをつけて食べてもおいしいようにできているのだろう。ごく当たり前にフランスと日本の味が溶け合っているのだろう。よし、次は絶対あれを食べてみようと思った。
 
 再び海外渡航を繰り返す日常が私には戻ったが、時間は一方通行、前にのみ進むものであって、決して戻るものではないと痛感させられる。日本ではいまだに「コロナ以前の生活に戻るには・・・」と言われている。こういうふうについ考えるのは、台風や地震で壊れた町を「復興」させるのと同じ発想なのだろう。たぶん、今、日本があれこれと世界に置いていかれそうになっているのは、そういう無意識の考え方も一因だろう。だが、過ぎたものは戻らない。前を向くしかないのである。
 実際、ヨーロッパの音楽界では急激な変化が起きたようである。若い、特に女性の指揮者があっという間に普通に活躍するようになった。大家は大家で元気なのだが、若者の芽吹き方の速いこと。そして、パリでもロンドンでも、聴衆は、まだだいぶ未熟なそういう人たちにも惜しみない拍手を送っているのである。こうやってクラシックの歴史は続いてきたのだろう。
 しばらく前から特にフランスのコンサートやオペラの予定を眺めているとよく出くわすラファエル・ピションは、今ではフランスでもっとも人気がある指揮者、あるいはバロック演奏家なのかもしれない。パリのフィルハーモニーを2回完全満員にするのは、並大抵ではない。あそこは、たとえ売り切れであっても直前になるとチケットがどこからともなく出てくるので心配しなくていいのだが、ピションの場合はそれがごくごく少しだった。少し前から、すばらしい演奏家であると友人たちからも聞いており、私もようやく実地で聴けたわけである。
 そのプログラムは、そのうちCDになるかもしれないが、モーツァルトの「レクイエム」。90分休憩なし。え、90分? それもそのはず、前後にも途中にもモーツァルトが作ったほかの宗教的な声楽曲をはさみ込むのだ。そこまでやるかというくらいたくさん。なので、ラテン語のレクイエム歌詞に加えて、ドイツ語、イタリア語が交差する。それはなかなか不思議な感じ。もちろん、モーツァルトがこんなスタイルでの演奏を望んだという史実はない。
 アバドでほんの若干、ナガノやラトルでさらに、ロトでますます、というふうに、昨今はプログラムの編集性にこだわるコンサートがヨーロッパでは増えている。日本でもようやくぽつぽつ。一見無関係な作品を並べることで、互いの似たところ、違うところがはっきりするし、新たな観点を示せるというわけだ。いにしえのヴェネツィアの音楽と最新作が隣置きになるようなプログラムを作るためには、ごく普通に名曲を勉強しているだけではだめ。頭を柔らかく保っていないと。常に勉強していないと。
 モーツァルトの「レクイエム」は作曲者本人が完成させられなかった曲である。そこに本人が完成させた曲を付き添わせるとどうなるか。一種の注釈のようなものだ。レクイエムの意味がいっそうはっきりしてくる。

 だが、そのピションのコンサートで私が驚いたのは、この若い指揮者の音楽が、思っていたよりずっと激しくて劇的だったことだ。何だか落ち着いた感じのポートレートを見、合唱も管弦楽もきれいに溶け合った「マタイ受難曲」の録音を聴いて、きれい和音系の人だと思っていたのである。ところが、嘆き、苦しみ、叫ぶような「レクイエム」を聴かされて、ぎょっとなった。こんな音楽をやる人なのか? が、それでも合唱の水準が高く、抜群のハーモニー感に加え、各国語の発音の好ましさにも感心した。勢い任せの暴走系、爆発系ではないのである。それに、激しさがあるからこそ、ルネサンス音楽のような静謐な響きの部分がいっそう引き立つ。
 「マタイ」は日本でも高評価を得ているようだが、確かにいい演奏である。特にコラールのいくつかはすばらしく美しい。終曲のたなびくようなやわらかい響きの重なり合いなど見事なものだ。が、もしかしたらこれは録音ゆえに抑制された表現なのかもしれない。とてもきれいなのではあるけど、「マタイ」はもっと厳しくて怖いものであってほしいとも思う。ピションだと、エアコンの効いた清潔な部屋で祈っている感じ。だけど、教会は冬は石が冷えて、身体にしみ込むような寒さがある。あえてそういうところに行ってひざまずいて祈る、そんな切迫感がほしくなる。


 ピションの編集性のおもしろさや強烈な劇性を知りたいなら、シューベルトのCDが断然いい。メインは「未完成」。なんて、言い方をしたらいけない。「未完成」を含むシューベルト作品、それどころかシューマンやウェーバーも組み合わされている。そして、「未完成」自体も、ふたつの楽章の間にほかの曲をはさまれている。
 その「未完成」第1楽章が始まる前に置かれているのは、歌曲の「ドッペルゲンガー」(影法師)だ。ピアノ伴奏ではなく、リストのオケ版。これが「魔弾の射手」のようにおどろおどろしく陰鬱に奏されるのである。そして、静まったところで、「未完成」が始まる。いやあ、これはいい、実にステキなアイデアだ。
 で、第1楽章が終わったあとに奏されるのは、なんとウェーバーの「オベロン」からのアリアだ。うーん、これは音楽的にはどうなんでしょう。さらにそこから「未完成」第2楽章へ。これまた、うーん、ここは何もはさまないほうが・・・。それにずいぶん軽やかだななどと考えながら聴き進めるのは愉しい。
 「未完成」のあとは、シューマンの無伴奏合唱曲。これも意外。清澄にして官能的な合唱の妙味は「マタイ」以上に味わえる。暗みの美しさがあるのもいい。そこからガツンと一転、激しいウェーバーの「オイリアンテ」からのアリアへ。

 ピションはまだ若いのだから、何でも試せばいい。無駄なこともいっぱいやって、最後には必要なものだけが残るだろう。それでよいのである。芸術とは、固定化されたもののくり返しではなく、新たな感性や知性の模索、創造である。コンクールで何位になったと喜んでいるようでは、だめ。単に模試でいい点を取った、何々大学に合格したというだけのことですよ。 
 ところで、ピションのシューベルト集は、頭を聴けばわかるように、和音や調性の特徴に対して意識的だ。ピションだけでなく、古楽のまともな演奏家はみなそうである。テンポもフレージングも音色も大事だけれど、それに劣らずその調性の特徴や転調してどういう変化が起きるのかを理解しなくてはいけない。それを伝えるためには、ある程度良質の音質が必要だ。今にして思えば、かのブリュッヘンの名演奏の数々は、録音においてこれが十分でなかったと思う。古楽が流行り始めた今から40年前、人はみなテンポや繰り返しやリズムについて語ったが、これは音質が悪くてもわかることだ(厳密に言うなら、正確なところはわからないにしても、と言うべきだが)。
 調性や転調によって、がらりと雰囲気が変わる。単純な旋律が妙に生々しい表現性を帯びる。それをピションのシューベルトはわかりやすく伝えていると思う。

 最後から2つめ、シューマンの『ファウスト』に基づく曲はまさにドイツ・ロマン主義の憧憬と救済の音楽になっている。フランスにはフランスの美学があり、それはそれですばらしいものだが、このようにフランスの演奏家がドイツ音楽に寄り添って見事その精神を表出した例はそれほどないと思う。感服した。そこから再びシューベルトの歌曲への回帰も違和感がない。
 ピションの音楽的な才能はもちろんのこと、想像力や才気も大したものである。私はパリでこの人のコンサートを訪れて、日本国内の音楽状況が実に内向きで、幼稚で、陳腐で、貧しいか、つくづく思い知らされた。このページを読んでいる読者におかれては、どうか世界の音楽界の最先端でどのようなことが起きているのか関心を持っていただきたいものと願うばかりである。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)


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