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2008年8月20日 (水)

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第5回

「バッハと即興、そしてマーラー」

ジャズはあんまり聴かないが、何をやってもユルユルに解体してしまうところが心地良かったりする。さらに、そのユルさの裏側に強烈な緊迫が宿っていたりもし、この絶妙な浮遊感を湛えた音楽に比べれば、クラシックはなんて退屈なんだ、と思ってしまうことだってないわけじゃない。もちろん、そんな退屈のなかに、猛烈な毒気が潜んでいる豊饒さからわたしはクラシックを聴くことをやめないのだけど。
 《バッハ―コルトレーン》というタイトルをみたとき、「また怪しげなジャズ版バッハのお出ましだ」と思ってしまったのは事実である。バッハほど、色々なジャンルとコラボしている作曲家はいない。ジャズはもちろんのこと、ロックも演歌も歌謡曲も、誰かがバッハをカバーしていたりするものだ。怪しげなものに目がないわたしが、このアルバムを喜んで聴いたのはいうまでもない。
 ジョン・コルトレーンといえば、ジャズ界におけるサックス奏者の代名詞みたいな存在。オペラといえばマリア・カラス、のように、なかば伝説化されたアーティストだ。アルバム冒頭に収録された弦楽四重奏による《フーガの技法》に、サックスの即興が加わるとき、まさにコルトレーンを思わせる、官能的ではあるが、妙に張り詰めた響きに恍然となる。
 サックス奏者はラファエル・アンベール。彼とオルガン奏者のアンドレ・ロッシの出会いによって、この企画が生まれたらしい。バッハの曲にジャズの即興が加わり、バッハの閉じた精密な音楽が一気に開放され、あるいは、コルトレーンとバッハの音楽が対話するように配置されることで、独特な遠近感がもたらされる。それは、印象派の画家が浮世絵を取り込んだことで、さらに自由さを獲得したような。
 不思議と違和感はない。いくらバッハとモダン・ジャズのあいだの隔たりが薄いといっても、ここまでしっくりいっている例は少ないはず。うひゃあ、こんなのバッハじゃねえよ、みたいな怪しげなものを求める好奇心を仕舞い込んだまま、その音楽に聴き入ってしまったのだった。
 名カウンターテナー、ジェラール・レーヌもなぜか一曲だけ参加、器楽アンサンブルとサクソフォンをバックにカンタータを歌っている。こういう贅沢なサプライズも、ジクザク・テリトリーというレーベルならでは。
 そういえば、コルトレーンの音楽を初めて知ったのは、ジョン・ゾーンがカバーアルバムを出したときだった。そのジョン・ゾーンを聴くようになったのは、彼の《狂った果実》をクロノス・カルテットが演奏した録音を毎日のように舐めてかじって、丸かじりしていたことがあったからである。個人的には、かつてのコルトレーンへの迂遠した邂逅が、一気に縮められたように感ぜられたアルバムなのであった。

 「バッハを弾くのは楽。即興音楽みたいだから」と言ったのはマルタ・アルゲリッチ。彼女が気だるそうに、あるいは気分よく饒舌に、自身の生い立ちや音楽について語っているドキュメンタリー、《イヴニング・トーク》がDVDで出ている。
 このバッハについての発言のあと、チューリヒでのバッハのパルティータの演奏シーンが入るのだが、旋律が対位的に重ねられる様子の生々しさには唖然とするばかり。「今は違うのだけど」と前置きしつつ、インスピレーションを重視するあまり、若い頃は練習などほとんどせずに本番で初めて通して弾いたと語るアルゲリッチ。なんとも強烈なお方。
 アラウの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を聴いたのが、自分の音楽の原点であり、だからこの曲は自分では演奏しないとか、生まれて初めてコンサートをキャンセルしたのは、16歳のときで、ちょうどジッドの『背徳者』を読んで、もっとも不道徳なことをやってみたかったのだ、などというエピソードがてんこ盛り。そのインタビューの途中に挟まれる古い演奏風景が、曲のほんのサワリだけなのだけれど、これがまたいい。
 ラインスドルフ指揮ニューフィルハーモニア管とのリストの協奏曲(1973年)、マンニーノ指揮フランス放送フィルとのショパンの協奏曲第1番(1969年)や、1950年代の貴重なフィルムも収録されている。なかでも、シューマンのピアノ協奏曲のリハーサル風景では、指揮者にはっきりと意見を言う姿や、彼女の指遣いなども明瞭に確認できるなど、ファンにはたまらない映像になっている。あと、師であったフリードリヒ・グルダがあられもない姿で卓球に興じる様子も……。
 監督はジョルジュ・ガショ。最初と最後に映し出される、ブエノスアイレスの風景が仕切りに哀愁を漂わせ、映像全体に落ち着いたトーンをもたらす。フランス・アルテとバイエルン放送の共同制作で、イタリアなどで数々の賞を受けた作品だという。以前、NHK−BSでも放送されたらしいが、こういう海外の優れたドキュメンタリーをさくっと放送してくれるだけでもNHKは本当にありがたい。自局制作のドキュメンタリーはかなり低迷しているけれど。

同じメディチ・アーツからのDVDをもう一枚。クラウディオ・アバドがルツェルン音楽祭で毎年一作ずつ公演しているマーラーの交響曲シリーズだ。この交響曲第3番は、昨年のライヴ収録である。
 相変わらず、病から復活したやつれ気味のアバドの姿は、実に痛々しい。その顔は、能面の阿瘤尉を思わせるのだから。ベルリン・フィル時代はその統制力に問題ありといわれていたアバドだが、この寄せ集めというには、あまりにもスーパーにすぎるオーケストラを率いる様子からは、そうした往年の瑕疵はうかがえない(サッカーでいえば、クラブよりも代表の監督に向くタイプなのだろうか?)。
 以前からいわれているように、オーケストラのメンツがすごいのである。ハーゲン四重奏団やアルバン・ベルク四重奏団が弦のメンバーに加わり、クラリネットはザビーネ・マイヤー、ハープは吉野直子だのと、よく見る顔がズラリと並ぶ。
 ソリストや室内楽をやっているメンバー、あるいは普段は著名オーケストラでサラリーマン生活をしている演奏家が、お祭りのときのように集まって特別なオーケストラをやる、という非日常の雰囲気がアンサンブルへの集中を高めるのであろう。さらに、痛々しくも音楽に対する執着を見せるアバドのオーラも、彼らの結束を固めるのに、また大きな効果をもたらしているに違いない。
 かつてのアバドのマーラーといえば、まるでロッシーニかと思わせる軽さ、そしてカンタービレによる妙なブレンドが特徴的であった。それこそマーラーなのだ、といわんばかりに音楽を脱臼させまくっていたものだ。
 しかし、この交響曲第3番を聴くと、そんな気配はほとんど感じられない。細部がこと細かに濃厚に描かれ、個の強さが生み出す一体感も伴って、異様な気配を生み出している。まさに、お祭りマーラー。テンポも以前よりはずいぶんと落ち着いている。巨匠化? いや、アバドはますますミステリアスな存在になった。

(すずき あつふみ 売文業) 

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