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「知ることは楽しい!」か?

2008年9月9日 (火)

「知ることは楽しい!」か?

連載 許光俊の言いたい放題 第151回

 広島に行って来た。G8議長サミット記念コンサートなるものを聴くためだ。その名の通りこのコンサート、普通のクラシックのコンサートとは違っていて、要するに必ずしも音楽好きのためのものではなく、イベント性が強い。まずは第1部として某歌手による歌がいくつか、第2部としてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲、そして第3部がお目当ての佐村河内守の交響曲第1番という構成だった。私は、第1部の自称テノールが俗悪のきわみとしか言いようがない歌とトークを繰り広げたのにうんざりし、すぐさま退席してしまったが、交響曲のほうはわざわざ広島まで出かけた甲斐があった。
 長いので中間楽章は省略されたけれど、それでもこの曲の特徴や魅力は十分伝わったはずだ。秋山和慶指揮広島交響楽団が、期待をはるかに上回る充実した演奏をしたことも大きいだろう。実は、オーケストラの演奏スケジュールを見ていたら、あまり練習する時間がなさそうだったのだ。そのため、お粗末な演奏を覚悟していたのである。だが、なじみのない曲にもかかわらず強い共感が示されていて、やはり初演はこうでなくてはと思わされた。これ以上立派な初演は、現実的にはあり得ないに違いあるまい。
 基本的に後期ロマン派の書法なので、ブルックナー、マーラーあたりを好む人なら、何の問題もなく聴けるはずだ。改めて思ったのは、この作曲家の音楽にはヒロイックな身振りがある。これは20世紀になって西洋音楽が失っていったものである。佐村河内はたいへんな困難に負けずに作曲、いや生きようとしている人間である。大げさでなく日々戦いなのだろう。それが作品に映り込むのだ。そのあたりが現代の平和で豊かな地域で暮らしている他の作曲家たちと決定的に違うのである。
 長い作品であり、クラシックを聴き慣れていない人々にとっては決して取っつきやすい音楽ではなかろうに、聴衆は、俗受けを狙った歌やモーツァルトよりも、ずっとずっとこの曲に熱狂したのだった。現代曲の初演が、このような盛大な歓呼で迎えられるということは、実に珍しいことではないか。
 なお佐村河内についてはTBSが半年をかけてじっくり取材している。本来今週放送されるはずだったが、首相辞任や相撲騒動で延期になってしまったようだ。佐村河内自身は障害を売り物にするのを極度に嫌がり、さまざまなメディア出演を断ってきた。それが、今度だけはプロデューサーの真剣さに折れたらしい。非常に時間と労力をかけた取材であり、私も楽しみにしている。
 
 さてさて、こういう商売をやっていると、あれこれ本が送られてくる。全部を読破するのは無理としても、だいたい目を通すようにはしているが、なかなか書くタイミングが見つからなかったりして、紹介するほうも楽ではないのである。ちょうど対照的な2冊が登場したので以下に記そう。
 片山杜秀氏の『音盤博物誌』(音楽之友社)は、まずタイトルが前著の『音盤考現学』よりも好ましい。このコラムでも書いたが、氏が別に「考現学」をやりたいわけではないのは、読めば明らかだからだ。もともと「レコード芸術」の連載で、あいかわらずの情報量である。書き手には、得意とする長さがあるもので、短い文章は魅力的なのに、長くなるととたんに鈍くなってしまう人だとか、いろいろだが、片山氏の場合はこの長さがちょうどよいかもしれない。これより短いと断定口調が目立って押しつけがましくなり、長くなるとしつこくなる。ついでに言うと、単に長く書くことは特に難しいことでもないのだが、常に読者の注意をひきつけるようにしつつ長く書くのは、相当たいへんなことである。本書の場合、いい感じのリズム感、メリハリ感があって、実に快適に読めるのだ。今後も片山氏の本は増え続けるだろうけれど、たぶん代表作のひとつになるのがこれではないかと思われる。
 ところで、片山氏の本を読んでいると、「知識は楽しいなあ、ああ、楽しいなあ」という知識快楽主義ともいうものがあることに気づかされる。別に、「オレは真実を突き止めたい!」「真理を追い求めたい!」という気負いや信念があるわけではないのだ。知ること、あるいは知識自体が楽しいのである。片山氏にとっていろいろな情報や知識を得ることは、汗を流したあとでシャワーをするのが気持がよいような、生理的なものなのではないだろうか。

 それとは対照的に「真理を追いかけたい!」という熱意が感じられるのが岡田暁生『CD&DVD51で語る西洋音楽史』(新書館)である。こちらはその名の通り、「約50のCDなどを通して音楽史をわかろうじゃないか!」という内容だ。「え、5枚じゃないの? 50枚なの?」とまずは思わされる。そりゃ、50枚つきあってくれる読者もいるかもしれないが、基本的に人は音楽史を知るために50枚もCDやDVDを買って聞いてはくれないものであろう。だが、著者はそんなことにはおかまいなく、これが「音楽史だ!」と熱弁をふるうのである。
 この手の本は、たとえ音楽史をよく知っている人でも、読めば必ず忘れていたことに気づくはずで、私もあちこちで「そうそう、そうだった」などと思いながらページをめくっていったが、読んでいるうちに、実はこの本の一番のおもしろさはそこにはないことがわかった。西洋音楽史の専門家は日本にも掃いて捨てるほどいる。その中の多くの人が音楽評論も手がけている。だが、おそらくこの本での岡田氏のように熱っぽい調子で演奏の魅力について語った人はいないのではないだろうか。音楽史を理解するためと言いつつ、ピリオド系を故意に排し、意外な演奏を挙げてくるあたり、挑発的でもある。まあ、そちらのほうが「その時代の精神」を伝えてくれるという理由があるからなのだが。
 たとえば、シューベルトのソナタの項目で、「それなりに世間では評判が高いらしいブレンデルやポリーニの録音は実にお粗末で、こんな風にわき目も振らず猪突猛進されても、「シューベルトが紡ぐ夢」など皆目理解できまい」という指摘には、私もまったく賛成である。しかし、あえて岡田氏に要望を出すなら、単行本でここまで書くなら、新聞評ももっと辛口にしたほうがいい。新聞社は嫌がるだろうが。
 あちこちに歯切れがよい断定口調が頻出する。「カストラートとは、現代のニューハーフ・ショーみたいなもの」という指摘には笑わされた。ところどころ「それ、ちょっと違うんじゃないの?」という部分もあるけれど、あまりの熱血ぶりゆえに最後まで読まされてしまう。何はともあれ、これほどまでに著者が燃え燃えになっている西洋音楽史概説が今までなかったことは事実である。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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