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2009年1月13日 (火)

連載 鈴木淳史のクラシック妄聴記 第8回

「年初のモーツァルト―ネルソンもいいけど、ヤーコプスもね!」

 一年通して平常心で過ごすことを心がけている自分にとって、年始年末はそれを保つために、一層努めてこれを死守せねばならぬ時期に相当し、その奮励の結果、いささか精神の疲労を覚えてしまい、嗚呼まだ自分は青いな、蒼茫たる大海でもがく小舟に過ぎぬ、などとブルーな気分になってしまう今日この頃なのである。まことに勝手ながら。
 そんなガキみたいなササくれ気味の自分にいい薬を発見。ambrosieからリリースされたジョン・ネルソン指揮パリ室内管のモーツァルトの交響曲である。このコスタリカ出身のアメリカ人が振ったフランスのオーケストラの演奏は、どこをとっても、ひたすら快楽的。まことアダルトな演奏に仕上げられてる。
 ピリオド奏法の影響とも思われる軽快にして高速なテンポ。しかしながら、鋭角的なところはまるでなく、柔らかなアーテキュレーションで処理しているのが独特だ。ヴィオラの声部もはっきり聴こえ(これってひじょうに大事なことじゃないかしらん)、展開部分での内声の絡みも充実。もちろん、野獣のごときドラスティックなものではなく、やはりマイルドな絡み合いなのが、アダルトなのである。
 奇妙なタメを使った歌い回しもあり、なんといっても、楽器の重ね方が徹底的に快楽追求型なのだ。底抜けに明るく、正直にいえば、陰影感がない。第40番4楽章のフーガ部分など、子犬がじゃれあっているようで、あまりにも可愛いすぎる。ひたすら明るく、無病息災、平穏無事ということで、年頭に聴くモーツァルトにはまったくふさわしい演奏といえよう。ん?

 しかしながら、過激な作曲家というモーツァルトのイメージをわたしは終生大事にしているので、こういう平穏な演奏をたっぷりと堪能したあとは、一発ヤンチャな演奏を聴かなければ気が済まないのである。お節もいいけど、カレーもね、なのである。
 以前ならば、伝家の宝刀、そこで迷わず取り出したるはアーノンクール。だったのだが、最近はそれに迫るような興味深い演奏も出てきた。その筆頭に挙げてもいいのは、ルネ・ヤーコプス指揮フライブルク・バロック管弦楽団。
 ヤーコプスという指揮者、近年までわたしは結構見くびっていた。ピリオド奏法のジャーゴンにまみれ、せいぜい歌手出身ならではの歌謡性にかまけるぐらいの指揮者だと思い込んでいたのだ。
 しかし、彼がコンツェルト・ケルンの指揮者をやめ、フライブルク・バロック管を指揮するようになってから印象が大きく変わった。やっと彼のやりたいことを表現してくれるオーケストラに出会ったのかもしれない。
 交響曲第41番《ジュピター》第1楽章冒頭。ネルソンの演奏だと、家族仲良く、コタツでみかんの皮を剥きながら、という感じの聴き方でいいのだけれども、ヤーコプスの場合に同じことやったら、間違いなくこっちの目ん玉ひん剥いちまう。
 強烈なデュナーミクやテンポ操作に、これまで聴いたことのない響きの連続。楽器の重ね方がユニークすぎるのだ。これまでのアダルトな気分など飛び越えて、デカダンスの道まっしぐら。
 残念なことに、ヤーコプスの場合、アーノンクールのように、やたらに硬質な響きで挑発的な押せ押せスタイルではない分、逆に「フツーと違ったヘンテコな演奏」と見なされてしまいがち。もっと挑発的ならば、その心意気に気圧されるということもあるけれど、変に響きが柔らかい分、奇矯な演奏と思われてしまうからか、専門家筋の評判はあまり良くないようなのだ。


 このヤーコプスの演奏で、もっとも象徴的で、さらには論点になりがちな第41番第1楽章、第3主題の扱いについて、クローズアップしてみよう。この主題旋律は、この交響曲と同じ年に書かれたアンフォッシの歌劇《幸福な嫉妬》のアリアから引用されたといわれ、その歌謡的な主題をヤーコプスは、やたらに思い入れタップリに演奏してしまっているのである。
 「レコード芸術」誌2007年8月号の月評では、この独特な解釈がめっぽう厳しく非難されている。まず、宇野功芳が「第3主題で急にテンポを落とし、元に戻していくやり方はヤーコプスの音楽性を疑うに十分だ」と書いており、相方の評者、小石忠男も「私にはその意味がわからない」と、かなり否定的な見解。
 確かに、これまでこの第3主題をこんなふうに思い入れたっぷりに解釈した演奏は皆無といえた。なぜなら、この部分は、全体の構造にほとんど寄与せず、経過句みたいなもんだから、サッサカ通り過ぎるのが当たり前とされていたからである。
 しかし、この余計なものこそが、モーツァルトのモーツァルトたる理由なのではないかとわたしは思うのである。全体に寄与していなさそうな、外れ者、あるいはトリックスターとしての隠れ主題。こういうものがあるからこそ、モーツァルトはほかの古典派作曲家と一線を画す存在なのではないかと。
 この第3主題は、楽章のあいだに三度繰り返される(二度目のときは、さらにもう一度リピートされている)。驚くべきことに、ヤーコプスはこの主題をそれぞれ三通りのニュアンスで描き分けているのだ。最初は、牧歌的であり、次は蠱惑的なアーテキュレーションになり、最後は著しく脱力が加味されるように。
 重要なのは、この主題のあとに大きな展開が待ち受けていることだ。最初は提示部のくり返しの橋渡しに過ぎないが、二番目は嵐の前の静けさみたいに展開部を引き立て、三番目は輝かしいコーダを極端なコントラストでアシストする、といった具合に。
 ガッシリした構造だけがモーツァルトなんかじゃあない。それを乱すような異分子を際立たせ、結果として、それが全体に働き掛けていることを明快に示唆してくれる。それこそ、モーツァルトの真骨頂。そんな演奏を聴いて新たな一年を始められるなんて幸せよのう。がはは。ん?

(すずき あつふみ 売文業) 

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交響曲第41番『ジュピター』、交響曲第38番『プラハ』 ヤーコプス&フライブルク・バロック管弦楽団

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ユーザー評価 : 4点 (3件のレビュー) ★★★★☆

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発売日:2007年02月06日
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