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「ベルリン・フィル・ラウンジ」第4号: 小澤征爾、ベルリン・フィル・デビューのエピソードを語る ベルリン・フィル・ラウンジへ戻る

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2009年9月14日 (月)

ドイツ銀行 ベルリン・フィル
ベルリン・フィル&HMV提携サイト
 ベルリン・フィル関係ニュース

ハイドン《四季》のゲネプロ・クリップを公開!
 ベルリン・ムジークフェストで9月8〜9日に上演されたハイドン《四季》のゲネプロの様子が、右の映像リンクを通してご覧いただけます。本サイトでは、今後ゲネプロの短いクリップを定期的にアップしてゆく予定です。なお《四季》の全曲は、9月15日(予定)よりデジタル・コンサートホールのアーカイヴでご鑑賞いただけます。

この演奏会をデジタル・コンサートホールで聴く!

『レコード芸術』が、デジタル・コンサートホールのフリー・チケットを読者全員にプレゼント
 『レコード芸術』9月号(8月20日発売)では、デジタル・コンサートホールの演奏会が1回鑑賞できるフリー・チケットを、読者全員にプレゼントします。ユーザー登録後、誌面に掲載されているコードを入力すると、ライヴまたはアーカイヴの映像が無料でご覧いただけます(おひとり様1回限り)。有効期間は8月20日から9月30日まで。


 次回のデジタル・コンサートホール演奏会

ドゥダメル、ショスタコーヴィチの《1917年》をベルリン・フィル初演!
(日本時間9月19〜20日深夜)
 ベルリン・ムジークフェストの第3回演奏会では、ドゥダメルの指揮によりショスタコーヴィチとグバイドゥーリナの作品が演奏されます。ドゥダメルは、早くもベルリン・フィルから定期的に招かれる指揮者となりましたが、今回は《1917年》という、ショスタコーヴィチの作品中でも特異な楽曲を取り上げます。1953年のスターリンの死後、彼は「人道的ロシア」の再生を信じ、共産主義を謳歌する音調を生み出しました。ここでは、ロシア革命の勃発が表題音楽的に表現されています。驚くべきことに、交響曲第12番はベルリン・フィルでは演奏されたことがなく、今回が初演に当たります。一方グバイドゥーリナの《グロリアス・パーカッション》は、2008年にイェーテボリ管弦楽団で初演された近作です(この時も、ドゥダメルが指揮しています)。
 なお当演奏会では、9月1日に入団した樫本大進が初めて第1コンサートマスターを務めます(なお樫本氏は、現在試用期間中です)。

【演奏曲目】
グバイドゥーリナ:グロリアス・パーカッション
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番《1917年》

ソリスト:アンサンブル・グロリアス・パーカッション
指揮:グスターボ・ドゥダメル


放送日時:9月20日(月)午前3 時(日本時間・生中継)

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 アーティスト・インタビュー

小澤征爾
聞き手:ファーガス・マクウィリアム(ベルリン・フィル、ホルン奏者)

 今号では、5月にメンデルスゾーンの《エリア》で客演した小澤征爾のインタビューをご紹介します。この演奏会は、ベルリンにおける小澤の公演のなかでも特筆すべき出来栄えでしたが、それはベルリン・フィルとの長い友好関係がもたらした成果でしょう。ベテラン団員ファーガス・マクウィリアムによる親愛に満ちた受け答えも、絆の深さを象徴しています(マクウィリアムが心からの愛情をもって接しているので、ぜひ映像をご覧ください)。

マクウィリアム 「セイジ、ちょっと握手させてください」

小澤 「ああファーガス、もちろんですよ」

マクウィリアム 「というのは、私たちが一緒に演奏し始めて40年になることに、2年前気がつきましたよね。すごい年月です。40年前、あなたはトロントで指揮されていました。その時私はほんの子供でしたが、あなたの指揮でデビューしたのです(注:マクウィリアムは1967年、15歳の時にトロント交響楽団でソリストとして初舞台を踏んでいる)」

小澤 「あなたは、どうしてトロントにいたんですか」

マクウィリアム 「家族がスコットランドからカナダに移住したのです。トロントで音楽学校に行きまして、ホルンを勉強したのです。今はもう随分長い間ヨーロッパにいるわけですけれども」

小澤 「なるほど」

マクウィリアム 「あなたは今、ベルリン・フィルと共演する音楽家のなかでも、最も関係が長い指揮者のひとりです。ご健康でいてくださり、こうして共演を続けられていられることに、心から感謝しています。42年前にベルリン・フィルを初めて指揮された時、あなたは…」

小澤 「カラヤン先生の弟子でした」

マクウィリアム 「しかしその前に、日本の先生にもついていらっしゃったんですよね」

小澤 「齋藤秀雄先生です」

マクウィリアム 「齋藤氏の名前は、サイトウ・キネン・オーケストラのおかげで欧米でも有名になりました」

小澤 「キネンというのは、メモリアルという意味です。でもメモリアルという英語はちょっと暗い感じがしますよね。ですから“記念”という日本語を使うことにしたのです。“記念”は日本語では暗い感じがしませんし」

マクウィリアム 「キネンと呼ぶ方が、ポジティヴなイメージがあるのですね。齋藤氏は、あなたにとって非常に重要な方のようですが、一体どんなことを教えたのでしょう」

小澤 「日本には当時、クラシック音楽の伝統がありませんでした。齋藤先生はチェリストとしてドイツにやって来て、エマヌエル・フォイアーマンのもとで勉強したのです。フォイアーマンの方が齋藤先生よりも少し若かったのですが……。これはずっと後のことですけれども、私がボストン交響楽団とカーネギー・ホールに客演した時に、ニューヨークにお住いのフォイアーマン夫人が私を訪ねてきたのです。そして齋藤先生のことを語られました」

マクウィリアム 「彼は、様々な人々に強い印象を与えたのですね」

小澤 「齋藤先生は、クラシックの伝統がないアジアの音楽学生に必要なことを、たいへんよく理解していました。彼はパリ音楽院からソルフェージュと聴音の先生を2人招聘し、日本で教えさせたのです。そして非常に理論的な教育法を行いました。彼はどのようにスコアを読むべきかを、完璧にマスターしていたのです。本当に隅々までディティールを読み、知的に解釈していました。しかしレッスンそのものは、アカデミックに硬直したものではありませんでした。感情表現としてのフレージングを重視し、きわめてエスプレッシーヴォ。フレーズがどこからやってきて、どこへ流れて行くのかを、エモーショナルに示したのです。細部の解析と感情的な表現の両方を教えることが、齋藤先生の最も素晴らしい点でした」

マクウィリアム 「当時の日本では、西洋のクラシック音楽はほとんど知られていなかったのですね」

小澤 「ほんの少しのロシア人音楽家、ヨーロッパのユダヤ人音楽家が来たのみで、聴く機会はあまりありませんでした」

マクウィリアム 「素晴らしい先生に出会われたわけですが、あなた自身は、どのようにクラシックに目覚めたのでしょう」

小澤 「子供の頃、私の兄がピアノのレッスンを受け、作曲の勉強をしていました。しかし私自身もピアノが大好きで、ずっと弾いていたのです。しかしオーケストラのスコアや室内楽には関心がありませんでした。少年時代はラグビーもやっていたのですが、ご存知のようにラグビーは荒っぽいですよね。それで2本指を折ってしまい、ピアノが弾けなくなったのです。当時ピアノを習っていたのは、豊増昇先生というバッハの権威だったのですが、この方が突然“君はどうして指揮をやらないの?”と言いました。当時日本で指揮をしていたのはヨーロッパ人、アメリカ人、ロシア人で、日本人は齋藤先生を含めて少ししかいませんでした。そうして私は、14歳で生まれて初めてオーケストラを聴きに行ったのです。演奏したのは、レオニード・クロイツァー。彼はナチスに追われて日本に来ていたのですが、指揮をしながらベートーヴェンの《皇帝》を弾きました。それは私にとって、決定的な瞬間でした。それ以来、スコアを読み、指揮の勉強をするようになったのです。齋藤先生にも教えていただくようになったのですが、先生は当時、指揮の学生をほとんど取っていませんでした。しかし幸運にも弟子の1人に加えていただき、ほとんど毎週末、先生のもとで勉強していました」

マクウィリアム 「彼はあなたを大事にして、集中して教えたのですね」

小澤 「本当に幸運でした。本当に……。その後ベルリンに来て、カラヤン先生にも教えていただきました。これも少数の学生だけだったと思います。ヴィリー・ブラントがベルリン市長だったのですが、あれはカラヤンとブラントのアイデアだったのでしょう」

マクウィリアム 「若い指揮者のワークショップとコンクールのことですね」

小澤 「そうです」

マクウィリアム 「それ以来40年以上にわたってご一緒してきましたが、あなたはカラヤン時代以来、今や我々の伝統の一部となっています。もちろんメンバーは相当変わりましたけれど(笑)」

小澤 「カラヤン時代の伝統は、今でも立派に受け継がれていると思いますよ。素晴らしいです。デビュー当時のことに戻ると、私はカラヤン先生がどうしてあんなに私に目をかけてくれたのか不思議なのです。彼が私をベルリン・フィルに招待してくれた時は、わぁーという感じで気が動転しました」

マクウィリアム 「その感覚は私も知っています(笑)」

小澤 「普通客演指揮者がプログラムを作る時は、オーケストラのマネージメントと話をするものですよね。しかしこの時は、カラヤン先生自身が“お前のプログラムは私が作る”と言ってくれたのです。それでザルツブルクやベルリンに電話して決めました。でも、彼の英語はゴニョゴニョしていて聴き取りにくいでしょう」

マクウィリアム 「ここだけの話ですが、ドイツ語の時もそうですよ(笑)」

小澤 「ああ、そうなんですか(爆笑)。それで何度も聞き返してひどい電話だったんだけれども、彼は多くの新しい曲をやるように求めました。今回演奏する《エリア》も、そのひとつだったと思います。例えばバルトークの《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》もそう。それで私は一生懸命勉強して、ベルリンにやってきたのです」

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 ベルリン・フィル演奏会批評(現地新聞抜粋)

定期演奏会(2009年10月16〜18日)
曲目:ベリオ:ボッケリーニ《マドリッドの夜の帰営》の4つのオリジナル・ヴァージョン
リーバーソン:ネルーダ歌曲集(独唱:ケリー・オコーナー)
ベートーヴェン:交響曲第7番
定期演奏会(2009年10月23〜25日)
曲目:エルガー:ヴァイオリン協奏曲(独奏:ギル・シャハム)
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
指揮:デイヴィッド・ジンマン


 チューリヒ・トーンハレ管との録音が高い評価を得ているデイヴィッド・ジンマンですが、ベルリン・フィルからも信頼を得て、度々客演しています(2000、03、05、06年)。昨シーズンは、ベルナルド・ハイティンクの急病により、本来予定されていた定期演奏会の前に、さらに1プログラムを代役で指揮しました。この飛び入りの演奏会は、現地の批評家から特に高く評価されています。

「この記事をお読みの読者で、土曜日に何も予定がない方は、是非ベルリン・フィルの演奏会を聴きに行ってほしい。ジンマンはその能力ゆえに、他の指揮者が技能を盗もうとコンサートにやって来るほどの存在である。3年前にフィルハーモニーで演奏した時には、ラトル、アシュケナージ、シャンバダールが客席に座っていた。今回の公演には、クリスティアン・ヤルヴィが来ていたが、彼は顔を輝かせながら食い入るように指揮台を見つめ、演奏後には“素晴らしかった!”と叫んだのである。(略)ベートーヴェンでは、ジンマンの能力は、オーケストラに必要以上に“干渉しない”ことに表れていた。彼はテンポの勘所を決め、和声やアーティキュレーションの指示を与える以外は、ベルリン・フィルの自発性を高めることに集中していた。その結果オーケストラは、水を得た魚のように生き生きと演奏したのである。(2008年10月18日付け『ベルリナー・ツァイトゥング』紙/ヤン・ブラッハマン)」

「エルガーのヴァイオリン協奏曲は、ベルリン・フィルであまり演奏されてこなかったが、ギル・シャハムとデイヴィッド・ジンマンにより、見事な上演が実現した。シャハムは、30年前に書かれたブラームスのコンチェルトの影をかなぐり捨てるように、輝かしい演奏を展開した。そのテンペラメントに溢れた演奏は、まさに一流のヴァイオリニストと呼ぶにふさわしいものだ。ジンマンの指揮は、極めて丁寧で、作品への深い理解に裏付けされたものであった。(2008年10月25日付け『ベルリナー・モルゲンポスト』紙/クラウス・ガイテル)」

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 ドイツ発最新音楽ニュース

本コーナーでは、ドイツおよびヨーロッパの音楽シーンから、最新の情報をお届けします。

コーミッシェ・オーパーに字幕システムが導入
 ベルリン・コーミッシェ・オーパーに、字幕システムが導入された。同劇場では、すべてのオペラをドイツ語で上演しているが、「庶民に分かりやすい言葉」による上演に(ドイツ語の)字幕が付くことには、疑問も出ている。ちなみに字幕は座席の背に組み込まれており、オフにすることも可能。現在ドイツ語と英語が選択でき、将来には日本語の導入も考えているという。コーミッシェ・オーパーでは、外国人観光客への対応を導入の理由に挙げている(写真:©Hanns Joosten)。

ベルリン・ドイツ・オペラ《カプレーティとモンテッキ》プレミエ
 ベルリン・ドイツ・オペラのシーズン・オープニングは、演奏会形式による《カプレーティとモンテッキ》(ベッリーニ)であった。話題となったのは、今やスターのエリーナ・ガランチャ(ロメオ)。『ターゲスシュピーゲル』紙は、「この世のものとは思われない女性。若い頃のグレース・ケリーのような美貌と、磨き抜かれた珠のような声を持ち、その響きはどこまでも伸びてゆく。我々はただただ耳を傾けるのみであった」と絶賛の言葉を尽くした。共演のエカテリーナ・シウリーナ(ジュリエッタ)、カレル・マーク・チチョン(指揮、ガランチャの夫君)も好評を博している(9月6日)。

ドホナーニ、80歳の誕生日を祝う
 9月8日、北ドイツ放送交響楽団では、首席指揮者クリストフ・フォン・ドホナーニの80歳記念コンサートを催した。ソリストにはトーマス・ハンプソン、エマニュエル・アックス、フランク・ペーター・ツィンマーマンが招かれ、チューリヒ歌劇場インテンダントのアレクサンダー・ペレイラが祝辞を述べている。プログラムの最後では、ハンブルクの3つの青少年オーケストラが舞台に上り、ドヴォルザークの《スラブ舞曲》の1曲を演奏した。ドホナーニは、「こんなに歳を取ったのだから、最後くらいは若い人たちと一緒に演奏しなければ」と語ったという。

ヤーコプス、インスブルック古楽週間の芸術監督を退任
 今年のインスブルック古楽週間は8月29日に終了したが、長年の芸術監督ルネ・ヤーコプスも任期満了で退任した。来年からは、弟子筋のアレッサンドロ・デ・マルキが後任を務めることになっている。

フランクフルト・オペラの監督、2018年まで契約を延長
 フランクフルト・オペラのインテンダント、ベルント・レーベ(57)の契約が、2013年から2018年まで延長された。同劇場は、ここ数年「今年のオペラ・ハウス賞」に輝いているが、延長はその功績を評価してのことと考えられる。


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