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「ベルリン・フィル・ラウンジ」第11号:アーノンクール、ハイドンを語る ベルリン・フィル・ラウンジへ戻る

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2009年12月2日 (水)

ドイツ銀行 ベルリン・フィル
ベルリン・フィル&HMV提携サイト
 ベルリン・フィル関係ニュース

ベルリン・フィルのアメリカ・ツアー、成功裏に終了
 11月9日から25日まで行われたアメリカ・ツアーが終了しました。ニューヨーク、ボストン、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルスをはじめとする6都市10回の公演は、異例とも言える大反響を呼んでいます。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「ラトルの解釈は、力強さと明解さ、そして感謝の念に溢れ、我々にこの曲を初めて聴いた時の圧倒的な感動を思い起こさせてくれた。それこそが、我々が時折必要とするものなのである」と評しています(写真:11月24日、ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールにおける最終コンサートの模様。©Berliner Philharmoniker/Monika Rittershaus)。

ラトルのEMI専属契約が2013年まで延長!今後の録音予定は?
 11月12日、ニューヨークで、ラトルのEMIとの専属契約が2013年まで延長される契約書が調印されました。アメリカ・ツアーのさなか、カーネーギー・ホールでのリハーサルの後、ラトルはEMIのステフェン・ジョンズとローナ・エイズルウッドの同席のもと、新しい契約書にサインしています。これにより、今後ベルリン・フィルとの12の録音プロジェクトが実現することになりました。現在計画として上がっているのは、チャイコフスキー《くるみ割り人形》、アメリカ音楽作品集、シェーンベルク作品集などです。

当サイト上に、デジタル・コンサートホールの曲目リストがアップ!
 「ベルリン・フィル・ラウンジ」で、デジタル・コンサートホールの曲目が、日本語でチェックできるようになりました。ページ右枠のリンクをクリックしていただくと、曲目の一覧表にアクセスできます。内容は、演奏会ごとに更新されますので、常に最新のリストが閲覧できる予定です。デジタル・コンサートホールをご利用いただく際に、お役立ていただけますと幸いです。

デジタル・コンサートホールのチケットをクリスマス・プレゼントに!
 デジタル・コンサートホールのチケットが、プレゼント用にダウンロードできるようになりました。このサービスは、公式ウェブ上でチケットを購入すると、バウチャーがPDFファイルとして保存できるというものです。チケットをご家庭で印刷ないしメールに添付して、プレゼントする形となります。ご購入いただけるのは、シーズン会員券、30日券、1回券の3種類です。

バウチャーご購入はこちらから

 次回のデジタル・コンサートホール演奏会

カヴァコス、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で再登場。生中継は日本時間夜7時!
(日本時間12月6日夜7時)
 レオニダス・カヴァコスは、日本ではまだそれほど知られていませんが、ヨーロッパでは硬派のヴァイオリニストとして、高く評価されている存在です。2003年にシベリウスの協奏曲を弾いてベルリン・フィルにデビューしましたが、その後2005年にはヨーロッパ・コンサートのソリストに迎えられるなど、大舞台にも早くから登場しています。これまでの演奏曲目は、上述のシベリウスに加え、バルトーク第2、ブラームスと本格的なものばかり。今回はメータの指揮で、ついにベートーヴェンのコンチェルトを演奏します。過去5年間にこの曲で客演しているのは、アンネ・ゾフィー・ムターただひとりですが、こうしたところにも、彼への評価が伺えるでしょう。
 対するメータは、ベルリン・フィルに最も出演回数の多い指揮者に数えられます。今回は、シューベルトの第3交響曲、バルトークの《中国の不思議な役人》というプログラムで、ベートーヴェンとのコントラストを聴かせてくれるでしょう。
 なお今回の生中継は、日本時間の夜7時と、ご覧になりやすい時間となっています。ぜひこの機会をお見逃しなく(写真:©Yannis Bournais)。

【演奏曲目】
シューベルト:交響曲第3番
バルトーク:中国の不思議な役人
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:レオニダス・カヴァコスス
指揮:ズービン・メータ


放送日時:12月6日(日)午後7 時(日本時間・生中継)

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 アーティスト・インタビュー

ニコラウス・アーノンクール
「ベルリン・フィルとハイドンを演奏することは、白紙からスタートするようなものです」

聞き手:トビアス・メラー
定期演奏会(2009年3月20・22日)
【演奏曲目】
ハイドン:《騎士オルランド(オルランド・パラディーノ)》


 指揮界の大御所アーノンクールは、ベルリン・フィルでもおなじみのアーティストです。先シーズンは、ハイドンの珍しい歌劇《騎士オルランド》(1782年)を引っ提げて客演し、いつもながらのドラマティックな演奏を聴かせてくれました。物語は、アンジェリカ姫に横恋慕するオルランドが、嫉妬のあまり狂気に至り、剣を振り回すというもの。魔女アルチーナが妙薬を与えてすべてを忘れさせ、一件落着するという結末です。英雄が登場するのでオペラ・セリアと思われますが、実際にはコミカルな要素が混ざった折衷様式を示しています。アーノンクールは、当時のオペラの特質を“型”のなかに見る一方で、ハイドンが伝統的な形式を離脱していることを指摘しています。

メラー 「ハイドンの《騎士オルランド》においては、登場人物の心理が分かりにくいように感じます。彼らは生身の人間というよりは、一種の型であり、全体に人形的な感じがします」

アーノンクール 「ここで本質的なのは型です。例えばロドモンテは、喧嘩、暴力にしか興味のない人間の型です。そういう人は、我々の間にもいるでしょう。自分が一番強いということを示したがる人間。あるいは、相手を殴り倒すという肉体的な意味だけではなく、知性や能力の上で優越感を示したがる人です。この作品でロドモンテは、オルランドに挑戦します。というのはオルランドこそが、彼にとって唯一闘うに値する相手だからです。両方ともものすごく強いわけですが、ロドモンテはそれでも自分の方が強いことを証明したがっている。彼がその考えを説明する様は、“エロイコ・コミコ(滑稽な英雄)のスタイルとなっています。彼は<お前をケーキのように小さく切り刻んで、お盆の上に乗せてお客さんに出してやる>と歌うのです。というわけで、こうした野蛮さが彼のキャラクターですが、そのロドモンテがアンジェリカの名前を聞くと、目に涙を浮かべます。彼女の名前を口にする時、彼はまったくうっとりとしてしまうのです。つまり喧嘩にしか関心のないゴロツキのような輩でさえ、アンジェリカの前では、子羊のように優しくなってしまいます。それはもちろん人形的ではあるのですが、人間として理解できることです。そうした側面は、我々のなかにあると思います」

メラー 「ハイドンがこのオペラで言わんとしていることは何でしょうか?」

アーノンクール 「このオペラのテーマは、“どんな人間でも頭が狂ってしまう危険にさらされている”ということです。普通のことがらが、すぐに異常なものに変わる、ということが示されている。私個人は、こうした考え方も理解できます。というのは、普通の人間というのは面白くないからです。人間というのは、普通であれば普通であるほど、人間的なものです。逆に異常であれば異常であるほど、非人間的になります。ここに登場するのは、普通でない人間ばかりです。そうした人々がお互いに出会うと、殺人や精神的苦しみといった、好ましくないことが起こります。その意味でこのオペラの舞台は、狂気の館=精神病院だと言えるでしょう。こうした状況で登場するのが、アルチーナです。彼女は一種のセラピスト、精神病医なのですが、加えて非常に思い上がっています。多くの医者がそうであるように、<私は何でも治せる>と自信満々に歌います。<ゼウスはミノスに意見を求めるけれど、ミノスは私の言うことに従う>といった調子でしょうか。そのアルチーナは、様々な特効薬を持っているわけですが、彼女には実際に狂人たちを監督する“係員”がいます。それがカロンテですが、彼が患者たちに鎮静剤を注射するわけです。ここでの鎮静剤は、レテ川の水です(注:黄泉の国の川で、その水は忘却をもたらすと言われる)。処方箋はアルチーナから来ますが、カロンテはその注射によって、狂った人々にすべてを忘れさせることができるのです。これは私の考えでは、まったく常套的な結末ではありません。皆はお互いをやっつけようと思っていたのに、最後には仲良くなり、何も覚えていません。オルランドはアンジェリカに恋していたことを忘れ、彼女に会っても<綺麗な人だね>くらいのことしか言わないのです。つまり物語のすべてを変化させるのは、この薬の力なのです」

メラー 「オペラの終わりは、完全に明朗で、曇りがありません。これに対してモーツァルトのダ・ポンテ・オペラでは、結末は苦い思いが残ります。ハイドンのラストは、明るすぎるという気はしませんか?」

アーノンクール 「比較することには、問題がありますね。というのは、あえて比較した場合、間違った結論を引き出すことになりかねないからです。私は比較しません。今自分のもとにあるものを信じるのです。私は、《騎士オルランド》の最後を演奏する時には、《コジ・ファン・トゥッテ》の最後を演奏する時と同じように、作品を信じています。この作品は、いわゆる定型化されたオペラ・セリアでも、セミセリアでもありません。喜劇的な英雄伝なのです。ハイドンは、当時のスタンダードな音楽教育を受けませんでした。彼は独学で音楽を学び、自分で自分の形式を作り上げたのです。教師というのは、これをしてはいけない、あれをしてはいけないと、細かく決まりを押し付けるものですが、ハイドンは自分が考えたとおりに音楽を学び、作曲したのでした。彼は歳を取ってから、“お偉い”先生方に型にはまらない個所を<なぜこのように書いたのか>と聞かれて、<それが正しいからです>と答えています。先生方はそれを聞いて小さくなったわけですが、ハイドンはそのようなスタンダードな手本を持たず、真似する必要がなかったのです」

メラー 「アーノンクールさんは、コンツェントゥス・ムジクスと《騎士オルランド》を上演し、CD録音もされています。今回はベルリン・フィルと共演されますが、両者の違いは何でしょう?」

アーノンクール 「ベルリン・フィルとハイドンを演奏することは、白紙からスタートするようなものです。というのはコンツェントゥス・ムジクスのようなアンサンブルと共演する際は、オーケストラはバロックや18世紀音楽の“文法”を完全に理解しています。反対に彼らが、ストラヴィンスキーや他の20世紀の音楽を演奏する場合には、どうしていいか分からないでしょう。この30〜40年の間、大オーケストラは徐々に18世紀のレパートリーを演奏しなくなってきました。バッハやヘンデルを演奏する団体はほとんどなくなり、モーツァルトやハイドンの演奏もバロック・アンサンブルに席を譲っているようなところがあります。私はブラームスやバルトーク等を演奏するオーケストラが、彼らの伝統の根であるバロックやそれ以前のレパートリーを進んで演奏するべきだと思います。ベルリン・フィルとこれらの曲を上演するのも、そうした理由からなのです。もちろんこの場合は、たくさんのリハーサルが必要となります。しかし楽団員には、特定のフレーズをなぜそのように演奏しなければならないか、知る権利があるでしょう。もちろん<これはこうやってください>というだけでも、バロック的奏法を実行することは可能です。しかしどうしてそうなのか、という理由・背景を理解することもたいへん重要だと思います。それによってリハーサルは、楽団員にとっても興味深いものとなるでしょう」

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 ベルリン・フィル演奏会批評(現地新聞抜粋)

ラトルの幻想交響曲、総じて好評
(シーズン開幕コンサート2009年8月28日)
【演奏曲目】
ブリテン:青少年のためのオーケストラ入門
サーリアホ:万華鏡
ベルリオーズ:幻想交響曲


 シーズン開幕演奏会でのラトルの《幻想交響曲》は、まずまずの評価を得ています。昨年、フィルハーモニーの火事により、テンペルホーフ空港格納庫で上演されたいわく付きの作品ですが、今回はフィルハーモニーの理想的な音響空間での演奏。そのせいか、第3楽章のイングリッシュホルン・ソロに代表される繊細な表現が高い評価を受けています。『ベルリナー・モルゲンポスト』のガイテル氏は、“新種の解釈とは言えない”と留保を加えていますが、基本的には肯定的。ラトルに点の辛い『ターゲスシュピーゲル』のハンセン氏は、今回は意外にも100パーセント誉めています。一方『ベルリナー・ツァイトゥング』のヴィルケニング氏は、“細部にこだわりすぎ”という、ラトルがしばしば批判される点を突いています。

「ラトルの能力は、プログラム最後の《幻想交響曲》にも現われていた。ここで彼は、作品の豊かさ、表現意欲を見事に引き出していた。とりわけ第3楽章のイングリッシュホルン・ソロは、ドミニク・ヴォレンヴェーバーにより、心に訴えるものとなった。これに対し終楽章はものすごい大音声で、最後の審判が訪れた、という印象を与えるものであった。オーケストラは終わりに向かって恐るべき嬌声を発したが、まったく新しい解釈が生まれた、とは言えなかったかもしれない(2009年8月30日付け『ベルリナー・モルゲンポスト』クラウス・ガイテル)」

「ベルリオーズの《幻想交響曲》には、初演から180年経った現在でも、どれほどの創造的エネルギーが満ちていることだろう。ベルリン・フィルは、この革命的な5楽章の交響曲を、“未来の音楽”として感じさせてくれた。彼らはここ数年、フランス音楽において華麗な演奏能力をものにしてきた。オーケストラは、とりわけ高い自発性を発揮することに成功しており、まるでこの作品を初めて演奏するかのような新鮮なタッチを現出させていた。最も見事だったのは、第3楽章における《トリスタン》を先取りするようなイングリッシュホルンのソロと、4人のティンパニー奏者の演奏である(2009年8月30日付け『ターゲスシュピーゲル』フレデリク・ハンセン)」

「ブリテンの《青少年のためのオーケストラ入門》は、続くプログラムへのガイドと言うべき側面を持っていた。しかしこのことは、聴き手がオーケストレーションばかりをなぞり、特定の部分のみに意識を集中させる危険を孕んでいた。ひょっとするとこの感覚は、楽団員にとっても同じだったのかもしれない。というのは、《幻想交響曲》の演奏は、全体の流れを形成するというよりは、個々の個所に光を当てるものとなっていたからである。例えばそれは終楽章のグロテスクな変ホ管クラリネットのソロであり、ホール上部で演奏された大鐘の幻想的な音色である。最も成功していたのは、第2楽章のワルツで、ラトルはコラージュのように重なり合った様々なモチーフをほぐし、音楽に力強い推進力を与えていた(2009年8月31日付け『ベルリナー・ツァイトゥング』マルティン・ヴィルケニング)」

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 ドイツ発最新音楽ニュース

本コーナーでは、ドイツおよび欧米の音楽シーンから、最新の情報をお届けします。

ベルリン国立歌劇場《こうもり》プレミエ
 11月21日、ベルリン国立歌劇場でJ・シュトラウスの《こうもり》が新演出上演された。クリスティアン・パーデの演出は、ウィーン風の伝統的舞台からはかけ離れたもので、台詞も含めベルリン的に現代化されている。笑劇仕立ての舞台には、前半が終わった段階でブーが飛んだが、各紙批評家も“安っぽい”と批判。音楽的には、ズービン・メータの指揮が“ウィーン的というよりはプロイセン的”と評され、クリスティーネ・シェーファー(アデーレ)等の歌手についても、平凡さが指摘されている(写真:ファルケ役のローマン・トレーケル©Ruth Waltz)。

ステファヌ・リスネル、スカラ座との契約を2015年まで延長
 2005年より現職にあるミラノ・スカラ座の総監督ステファヌ・リスネル(56)が、同劇場との契約を2015年まで延長することが発表された。リスネルは、保守的と言われるスカラ座に現代的演出家を招聘し、大指揮者との契約を増やすなど、現地で高く評価されている。今シーズンより、ワーグナー《リング》の新演出をダニエル・バレンボイムの指揮でスタートするほか、ヴェルディ生誕100周年の2013/14年シーズンまでには、この作曲家の主要作プロダクションをすべて刷新するという。

ハイドン研究家、H・C・ロビンズ・ランドンが死去
 11月20日、著名なアメリカのハイドン研究家、H・C・ロビンズ・ランドンが83歳で亡くなった。ランドンは、ハイドンの失われた作品を発見する一方、オペラを出版してそのルネッサンスを導くなど、この作曲家の認知に貢献した。代表的著作は、『ハイドンの交響曲』(1955年)。

名ソプラノ、ゼーダーシュトレームが逝去
 スウェーデンのソプラノ、エリーザベト・ゼーダーシュトレームが11月20日ストックホルムで亡くなった。享年82歳。家族の発表では、ゼーダーシュトレームは高齢による認知症に悩まされていたが、「音楽に対する喜びは最後まで失うことがなかった」という。


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