ボブ・マーリーの来日公演やニューウェーブ期の到来を経た80年代。まだまだ”取り扱い”に手探り状態だった70年代と事情はがらりと変わり、レゲエは急速に日本の音楽シーンにも浸透していきます。YMO一派、加藤和彦らに加え、鈴木慶一、宇崎竜童、吉田拓郎、桑田圭祐といった自作自演型コンポーザーたちが次々とレゲエのリズムを取り入れた楽曲を発表し、また、アイドルなどへの提供楽曲等にもその種子をきちんとばら撒きます。さらに、ニューウェーブ・ムーヴメントと連動した形でパンク〜ビート・ロック、さらには、80年代後半以降の空前のバンド・ブームの到来、時を同じくしてワールド・ミュージックの一般的な認知により、広角的となった日本の音楽シーンにおいて、もはやレゲエ・ミュージックのエッセンスはなくてはならない存在となっていきました。
その割には掲載枚数がこれだけ・・・と寂しいかぎりですが、これだけのはずがない。この700倍以上はあるはず。鋭意調査中につき、随時更新していきますので何卒ご勘弁を。 とは言っても、それなりの枚数が揃いましたので、2ページに跨いで展開しております。ご注意を。
あ、それから、Youtubeで閲覧できる堀ちえみの「君は完璧さ」のカヴァー(多分、TVの歌番組か何かを収録したもの)は、ちゃんとしたパッケージ音源で存在するのでしょうか? どなたか詳しい方教えてください。
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![ペッカー・パワー+インスタント・ラスタ](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/400/14/9/2/670.jpg) |
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ペッカー / Concrete Jungle (1980) from 『ペッカー・パワー+インスタント・ラスタ』 |
トップ・バッターはいきなりコレ。歌謡ではないのですが、日本にレゲエを広めたという点でとても重要なアルバムなので紹介させてもらいます。現在オルケスタ・デル・ソルのリーダーとしても活躍中のトップ・パーカショニスト、ペッカーは、この当時日本のミュージシャンとしては極めて珍しいジャマイカ詣に出向き、『ペッカー・パワー』と『インスタント・ラスタ』という2枚のアルバムを完成させました。その2in1盤から。というわけで、ウェイラーズ、スライ&ロビー、オーガスタス・パブロ、リコ・ロドリゲスといったオリジナル・ロッカーズらが大挙参加。日本からは吉田美奈子(cho)、大村憲二(g)、松岡直也(p)、向井滋春(tb)、坂田明(sax)らが応戦し、日本初の本格的なダブ・アルバム(特に『インスタント・ラスタ』)が作られたのです。「Concrete Jungle」はもちろんボブ・マーリーのあの曲で、シングル・カットもされました。ライナーに掲載されているペッカーの当時を振り返ったインタビューは、レゲエ歌謡ファン必読です。
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![クリスタル・キング](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/00/7/2/100.jpg) |
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クリスタル・キング / 初夏の忘れもの (1980) from 『クリスタル・キング』 |
第10回世界歌謡祭グランプリを受賞した泣く子も黙る「大都会」・・・の次のトラックであるがゆえに見落とされがちですが、こんな所に、こんな素敵なロックステディ歌謡が隠れていたとは! 斉藤ノブ(per)もひっそり参加し、”和製ロバート・プラント”の7年越しの「D'yer Ma'ker」アンサー成就を後ろ盾。 |
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![Shangri-La](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/14/0/5/780.jpg) |
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吉田拓郎 / ハネムーンへ (1980) from 『Shangri-La』 |
初の海外レコーディング(ザ・バンド所有スタジオ=シャングリラ@マリブ)となった80年代最初のアルバム。プロデュースは、ブッカー・T・ジョーンズ(key)。その他、マイケル・センベロ(g)、バンドのガース・ハドソン(ss,accord)といったビッグ・ネームが名を連ねています。「ハネムーンへ」と「いつか夜の雨が」で、容赦なく落とし込んだ図太いレゲエ・サウンドにニューミュージックの夜明けを見るのでした。 |
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![Good Evening](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/25/9/7/898.jpg) |
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岡林信康 / あの娘と遠くまで (1980) from 『Good Evening』 |
元ワイルド・ワンズの渡辺茂樹(key)をミュージック・ディレクターに迎え行なった、1980年5月の大阪・厚生年金ホールでのライヴを収録。「フォークの神様」と呼ばれていた頃の切迫感に別れを告げ、リラックスした表情でレゲエのリズムに揺れています。 |
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![Rhapsody](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/27/3/3/132.jpg) |
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RCサクセション / ラプソディー (1980) from 『Rhapsody』 |
1980年4月、今は無き九段の久保講堂でのライヴを収録したアルバムから。「ステップ!」、「雨上がりの夜空に」をシングル・リリースし、いよいよ”ロック・バンド”として本格的に始動しはじめたRC。小川銀次(g)、金子マリ(vo)、梅津和時(sax)らをサポート・メンバーに迎え、これまでより厚みのあるサウンドを展開。清志郎の節回しとレゲエのリズムは相性抜群。 |
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![TKO Night Light](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/18/6/7/489.jpg) |
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PANTA & HAL / つれなのふりや (1980) from 『TKO Night Light』 |
1980年7月の日本青年館のライヴを捉えた実況録音盤から。鈴木慶一が初めて全面的にプロデュースした作品としても知られる、パンタ&ハル『マラッカ』(ちなみにスタジオVer.もレゲエです)の人気曲を凄まじいテンションのルーツ・スタイルでジャミン。観客のボルテージも最高潮。 |
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![ペンギニズム](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/12/7/5/485.jpg) |
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糸井重里 / バイバイ・コロン (1980) from 『ペンギニズム』 |
気鋭のコピーライターとして、当時のニューウェーブ・カルチャーの申し子とも呼ばれていた糸井重里の1stアルバムから。当然、歌詞は全曲、糸井自身が手掛け、プロデューサーには鈴木慶一、バック・バンドにはムーンライダースを招聘。「チンピラ・レゲエを作ってくれないか」という糸井の依頼を見事にカタチにした、デニス・ボーヴェルも凍てつく冷ややかなレゲエ/ダブ・チューン「バイバイ・コロン」。日本レゲエ歌謡史上これほど体臭のない楽曲は存在しないのでは? |
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![Montage](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/00/6/9/305.jpg) |
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南佳孝 / コンポジション・1 (1980) from 『Montage』 |
本場ジャマイカ・レゲエのコンピュータライズド化よりも一足お先に、レゲエにデジタル・サウンドを組み込ませた「コンポジション・1」。坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣、松武秀樹と、制作にYMO勢が絡むとやはり一味違います。サウンド・ディレクションには、教授に加え、名ギタリスト、大村憲一の名も。「Midnight Love Call」もシティ派レゲエの佳曲。それにしてもこの頃の南さんのこぶしの効かせ方って、永ちゃんのそれによく似ている。 |
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![タイニー・バブルズ](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/28/1/4/011.jpg) |
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サザン・オールスターズ / 恋するマンスリーデイ (1980) from 『タイニー・バブルズ』 |
タイトルだけでは何のことやらですが、要するに、女性の月イチの憂鬱を歌った曲。「ハワイの税関で、お腹を痛めた原由子が税関職員から「マンスリーデイ?」と尋ねられたことがきっかけで書かれた。」と、信頼と実績のウィキペディア。デビュー・アルバムの「レゲエに首ったけ」ではまだ荒削りな部分も残していましたが、ここでは歌い回しも含め、音数を極力抑えたタイトなレゲエ・サウンドを完成させています。 |
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![SQUALL](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/00/3/6/963.jpg) |
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松田聖子 / トロピカル・ヒーロー (1980) from 『SQUALL』 |
やがて来る昭和アイドル黄金期の発火点的1枚。泣く子も黙る松田聖子のデビュー・アルバムから。 「レゲエなんて入っていたっけ?」というフリークスを嘲笑うかのように、松井忠重先生がアレンジを手掛けた「トロピカル・ヒーロー」が、実はとってもラヴァーズ・レゲエ仕様! |
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![みんな不良少年だった](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/28/1/1/390.jpg) |
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所ジョージ / レゲエ・イン・ザ・モーニング (1980) from 『みんな不良少年だった』 |
1980年、TV出演等タレント活動がいよいよ忙しくなってきた頃の所さん3rdアルバムから。ワン・コーラス後の間奏の長さ(お喋りあり)は、まさに日本初のディスコ・ミックス仕立てとも言えましょう。アルバムには、アルフィーの坂崎幸之助もゲストで数曲参加。 |
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![Spy+1: Live & Unreleased Recordings](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/28/1/6/717.jpg) |
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スパイ / 盗まれたレプリカ (1980) from 『Spy』 |
魅惑のウィスパー・ヴォイス女史、佐藤奈々子のニューウェーブ・プロジェクト、SPY(スパイ)。”レゲエ歌謡”生産工場長(?)加藤和彦プロデュースによるLA録音の初アルバム。「盗まれたレプリカ」をはじめ、「ピンホール・ドリーム」、「レイジー・セクレタリー」など、ニューウェーブ・レゲエ歌謡の傑作が随所に。CD化に際して、13曲の未発表音源を収録。 |
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![Original Imitation](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/04/8/7/380.jpg) |
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イミテーション / Imitation Freak (1980) from 『Original Imitation』 |
サディスティック・ミカ・バンドの今井裕(key)が、モデルで奥方の今井チカをヴォーカルに迎えた無国籍ニューウェーブ・バンド、イミテーション。香港で先行デビューしたため、日本では当初、逆輸入バンド扱いをされていました。「Imitation Freak」、「Aqua-Gua」、「I'm Gonna Knock On Your Gun」といったネオスカ歌謡がおすすめ。素人丸出しのチカのわめきちらしが、何と言ってもニューウェーブ。 |
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![Babylon Rocker](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/18/1/3/725.jpg) |
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リザード / さよならプラステッィク・エイジ (1980) from 『Babylon Rocker』 |
モモヨ以外のメンバーを一新してセルフ・プロデュースで制作された2ndアルバムから。レコーディングで訪れたロンドンで本場ブリティッシュ・レゲエの熱に触れたバンドは、ニューウェーブ・パンク然とした前作よりはるかに豊穣なアレンジで先進的な試みを行ない、「キッズ/バビロン・ロッカーズ」、「光州市街戦」(インタールード)におけるダブ・アプローチにそれは顕著。ポリス〜2トーン的な「さよならプラステッィク・エイジ」がいかにもリザードな感じで好き。 |
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![Boys & Girls](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/27/3/6/493.jpg) |
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A.R.B. / Naked Body (1981) from 『Boys & Girls』 |
80年代の日本のパンク〜ビート・ロック・シーンを形作った基礎として、やはりスカ、レゲエ、2トーンからの影響をないがしろにするわけにはいきません。このARBにしろルースターズにしろボウイにしろ、スカや2トーンやブルー・ビート特有のシャープなギター・カッティングを駆使し、それまでの日本ロック・シーンにはなかった天井知らずの疾走感を捻出。「ダディーズ・シューズ」で高速スカ、そして、「Naked Body」でクラッシュ経由のパンク・ロック・レゲエを披露。 |
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![亜無亜危異 都市](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/01/6/6/626.jpg) |
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アナーキー / TV (ダブ) (1981) from 『亜無亜危異 都市』 |
和製クラッシュの大本命アナーキーが、マイキー・ドレッドをエンジニアに迎えてロンドン録音を敢行した3rdアルバム。「TV」、「都会」のラジカルなパンク・ロック・レゲエもかっこいいのですが、大和のパンクスに「ダブとは何か?」を知らしめた「TV」のダブ・ヴァージョンが何と言ってもキラー。 |
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![Fight Or Flight](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/05/7/6/651.jpg) |
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モッズ / Two Punks (1981) from 『Fight Or Flight』 |
モッズのメジャー1stアルバムからの不滅の名曲にして、パンク・ビートとレゲエ・リズムとの出し入れのお手本のような1曲。 |
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![ビジネス](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/36/8/4/886.jpg) |
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ビジネス / 痛いマイハート (1981) from 『ビジネス』 |
元・東京おとぼけキャッツの歌姫、美空(旧姓=星)どれみを擁する元祖ニューウェイヴ・スカ/レゲエ・バンド、ビジネスの1stアルバムから。シングル・カットされた「痛いマイハート」は、引きずるような重いワンドロップ・リズムにどれみの傷だらけのリリックが浮遊する大名曲。ピアニカのようなシンセもやばい。 |
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![New York To Jamaica](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/06/2/8/426.jpg) |
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西岡恭蔵 / 燃えるキングストン (1981) from 『New York To Jamaica』 |
79年頃には、カリブの嵐を引き連れ、ビーズを結ったコーンロウ・ヘアを振り乱しながら、春一番コンサートに出演していたゾウさん。「燃えるキングストン」は、この時期に訪れたジャマイカでの体験を綴ったレゲエ・ロックの力作。アレンジは鈴木茂。 |
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![I My Mie](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/26/1/4/051.jpg) |
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MIE / 真珠泥棒 (1981) from 『I My Mie』 |
ピンク・レディーのミーが”MIE”と英語表記に名義を変え発表した1stソロ・アルバムから。ピンク・レディーのラスト・シングルから半年も経たないうちに、まずはソロ・シングル第1弾「ブラームスはロックがお好き」を発表し、洋楽志向的なこれからの方向性を大いにアピール。山口百恵を支えた三本の矢=阿木耀子(作詞)、宇崎竜童(作曲)、萩田光雄(編曲)が完全バックアップし、様々なタイプの提供曲を歌いこなしましたが、「真珠泥棒」のようなディープなルーツ・レゲエ・チューンを歌ったのは後にも先にもこれのみ。ちなみに、太すぎるベースは元ガロの岡沢章。 |
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![破れたハートを売り物に](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/26/3/2/683.jpg) |
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甲斐バンド / 奴(ギャンブラー) (1981) from 『破れたハートを売り物に』 |
「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」でおなじみの鹿取洋子に提供した「奴」のセルフ・ヴァージョン。どちらもレゲエ・アレンジが軸になっていますが、キメキメのホーン・セクションを導入するなど、甲斐本人のヴァージョンの方がゴージャスな歌謡ロック・タッチに仕上がっています。 |
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![Reflections](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/05/3/5/768.jpg) |
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寺尾聰 / 喜望峰 (1981) from 『Reflections』 |
「ルビーの指環」にしか目もくれなかった方は再注目。ジャッキー・ミットゥーのようなヒップなオルガンがスパイスとなっている「喜望峰」は、レゲエ歌謡シーンでは密かに引っ張りだこ。アレンジは井上鑑(key)、リズム隊は林立夫(ds)とマイケル・ベースマン(b)。 |
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![Bye Bye](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/14/1/5/214.jpg) |
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長渕剛 / 碑(いしぶみ) (1981) from 『Bye Bye』 |
ロンブー 淳にそっくりな若き日の長渕が精魂込めて作り上げた4thアルバム。それまでの弾き語りスタイルから、バンドをバックに従えロックという名の岩山を登頂し始めた剛。オープニングの「碑(いしぶみ)」は、矢島賢のギター・ソロを含め、途中からイーグルス「Hotel California」に聴こえてくるという、中々したたかな魔力(?)を持つ怪レゲエ・チューン。 |
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![無人島で](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/14/0/5/757.jpg) |
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吉田拓郎 / 無人島で・・・ (1981) from 『無人島で』 |
ふたたび、拓郎。レゲエがお好きなんですね。「ハネムーンへ」、「いつか夜の雨が」では重厚なルーツ・サウンドをなぞっていましたが、この曲ではソフトな演奏と語り口でピースなムードを満開させています。加えて、拓郎のレゲエものでは、1984年のアルバム『Forever Young』に収録されている「気分は未亡人」も人気です。 |
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![ストリッパー](https://img.hmv.co.jp/image/jacket/190/16/9/7/950.jpg) |
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沢田研二 / バタフライ・ムーン (1981) from 『ストリッパー』 |
中々見つけることができないジュリーのレゲエものですが、これは軽快なスカ歌謡で安心二重丸。プロデュース&アレンジは伊藤銀次で、バックは、その当時のジュリー・ファンからはあまり好意的に思われていなかったという、吉田建(b)、西平彰(key)らが在籍していたエキゾティックス。 |
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随時追加中・・・【90〜00年代編】は近日アップします
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世界のレゲエ史は
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総選挙で、JPL(ジャマイカ労働党)が勝利し、エドワード・シアガが首相の座に就き、長い間ジャマイカ国内で続いていた政治抗争が一応の沈静化をみる |
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ヘンリー”ジュンジョ”ロウズがVolcanoレーベルを設立。同時期にはジョージ・パンによりPower Houseレーベルが立ち上げられ、この後、両レーベルはダンスホール期の名門としてシーンを先導することになる |
| XTCのアンディ・パトリッジが、”Mr.Partridge”名義のソロ・アルバム『Take Away / The Lure of Salvage』を発表。XTCの既存の楽曲をダブ処理したことで話題に |
| 5月11日、ボブ・マーリーが脳腫瘍を患い、アメリカ・フロリダ州の病院で死去。享年36歳。キングストンで国葬が行われた
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1985 |
ハーフ・パイント「Greetings」がシングル・リリース。「Heavenless」リディムを使用し、「ラガマフィン」という言葉を初めて歌い込んだ80年代ダンスホールで最も有名な曲のひとつに挙げられるファウンデーション・チューン。 |
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ジミー・クリフ『Cliff Hanger』がグラミー賞「ベスト・レゲエ・アルバム」を受賞
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シャインヘッドがダンスホール・リディムにヒップホップ・スタイルを乗せた傑作アルバム『Rough & Rugged』でデビュー
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後に「Close To You」でアメリカのビルボード・チャート1位を獲得した唯一のイギリス人レゲエ・シンガーとして名を広め、日本でも多くの人気を得ることとなる「UKレゲエの貴公子」マキシ・プリーストが「You're Safe」でデビュー
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タイガーが『Mi Name Tiger』でデビュー |
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2月6日、ジャマイカン・ダブのパイオニア、キング・タビーがデュアニー・パークの自宅外で何者かに射殺される。享年48歳 |
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