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チェリビダッケ・エディション集大成(33CD)

2007年4月18日 (水)

チェリビダッケ・エディション集大成(33CD)
EMIからリリースされて話題になった“チェリビダッケ・エディション”全33枚を集大成したアルバム。 通常のオーケストラ演奏では考えられない響きの繊細な美しさや大胆なデフォルメの数々が、作品の可能性を改めて考えさせてくれる個性的名演の宝庫です。
 特にブルックナーやブラームス、ベートーヴェンの演奏にはこれまでにもさまざまな賛辞が寄せられていましたし、また、《展覧会の絵》などというちょっと信じられない凄い演奏も含まれているので、チェリビダッケに関心のある方には文句なしにおすすめの内容といえるでしょう。 横長ボックスを縦に捉えたデザインも秀逸です。

バルトーク管弦楽のための協奏曲 本番&リハーサル
チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル 1995年収録。遅いテンポでこの作品に詰まった情報量を最大限引き出したユニークな演奏。

ベートーヴェン:交響曲第2番
1996年収録。チェリビダッケ最後の演奏会の記録。遅いテンポ(約39分)と透明度の高い響きにより、作品の仕組みが隅から隅まで判ってしまうという、いわば拡大鏡的(?)な名演奏。

ベートーヴェン:交響曲第4番
1987年、第3番と同じ演奏会を収録。これも海賊盤で流通し有名だった演奏。先に第5番との組み合わせで発売された1995年盤に較べると、テンポはいくぶん速めで、耽美的なまでに磨き上げられたサウンドが作品にピッタリ。 ベートーヴェン:交響曲第3番 “英雄”
1987年、第4番と同じ演奏会を収録。海賊盤で流通し有名だった演奏。もちろん音質は今回がベスト。4番同様、洗練された内容で、スマートなSDRとの演奏や、巨大化した1996年の演奏に較べて、バランスが良いのがポイントです。

ベートーヴェン:交響曲第4番
反復無しで正味37分を超える遅さながら、全く弛緩することのない緊張の持続力は実に凄いもので、13分以上もかけた第2楽章で示される精妙な耽美、抒情の深まりには、まったく脱帽のほかはありません。両端楽章とスケルツォも、かつてない質量で再現され、巨大なスケールで波打つ音楽はまさに圧巻。1995年のデジタル・ライヴ・レコーディングです。

ベートーヴェン:交響曲第5番 “運命”
ユニークな演奏。どのようなデフォルメをも吸収する強迫観念的かつ強靭な楽曲構造ゆえの柔軟性が、フィナーレのコーダに珍しいデフォルメを施すことに繋がってしまったのでしょうか。5ヶ月後の日本における巨大演奏とはだいぶ趣の異なる動的な演奏で、雄弁なディテールともども、シュトゥットガルト放響時代のアプローチを髣髴とさせるものとも言えるでしょう。1992年デジタル録音。

ベートーヴェン:交響曲第6番 “田園”
1993年収録。きわめて遅いテンポによる抽象的な音響美の世界が、3カ月後の来日公演での感動を思い起こさせてくれる美しい演奏。

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番
1989年、第7番と同じ演奏会を収録したもので、表現の傾向はほぼ同じ。流麗な演奏です。

ベートーヴェン:交響曲第7番
1989年、レオノーレ3番と同じ演奏会を収録。海賊盤で流通し有名だった演奏でもあり、しゃかりきに頑張る素朴な演奏とは正反対のスタンスが面白いところ。臆面も無く旋律的に処理される第2楽章での美感も印象的です。ベートーヴェン:交響曲第8番 1995年収録。ザードロのティンパニが炸裂しまくる演奏で、古典的な均整美云々という固定観念を無視し、作品の可能性を極限まで追求しようとするチェリ一流の作品観察に基づくデフォルメ術が冴え渡る凄い内容。

ベートーヴェン:交響曲第9番 “合唱付”
1989年収録。海賊盤で流通していた演奏で、その傑出した内容ゆえ、正規盤登場の待たれていたもの。巨大でありながら柔軟で流麗、画一的にならない速度感覚と声部バランスの説得力はチェリならでは。美しい演奏です。

ブラームス:交響曲第1番
1987年収録。海賊盤で流通していた有名な演奏ですが、正規盤は音が良いため、けっこう印象が変わるのが面白いところ。反復無しで51分超えの遅さは、“ノリ”のかげに忘れられがちな細部の素材を徹底抽出したためで、野蛮な迫力で人気を博すこの作品が実は非常に美しい音情報をふんだんに内蔵した傑作であることを改めて気づかせてくれます。

ブラームス:ドイツ・レクイエム
1981年ミュンヘンの聖ルカ教会にて収録されたものですが、教会録音にありがちな残響ドロドロといったものではまったくなく、透明度高く繊細で、澄んだ響きには驚くばかり。4日間の公演の最終日ということもあってか調整も完璧に行われたのでしょう。演奏時間合計は約82分。12年後のガスタイクでの演奏会では90分に達していたことを思えば、ここでのテンポは“やや遅め”といったところで、声楽陣への負担が軽目なことはその歌唱を聴いても明らかです。非常に美しい演奏。     

ブラームス:交響曲第2番
1991年収録。全曲通して洗練されたカンタービレと豊かな色彩表現が聴かれるたっぷりとした演奏。音が良いため、本来の解像度高い表現が存分に味わえるのもポイントです。

ブラームス:交響曲第3番
1979年収録。ミュンヘン・フィル初期の録音で、SDR時代の特徴でもあるしなやかで動的な感触が冒頭はじめ、随所で確認可能。当セットの中では異彩を放つ演奏内容です。

ブラームス:交響曲第4番
1985年収録。チェリのブラ4と言えば、何と言っても終楽章の停止状態(?)が有名ですが、この演奏も期待を裏切りません。凄い感覚です。

ブルックナー:交響曲第3番 “ワーグナー”
1987年収録。来日公演がトータル71分を超えるというテンポ設定だったことを思えば、ここでの演奏は、同じく遅いテンポとは言え、ずっとリズミカルにしかも自然な感興を伴って開始され推移してゆくのが印象的です。通常は初期の交響曲としてこじんまりと演奏されるこの作品も、チェリビダッケの手にかかればまさに巨大交響曲の資格十分に再現され、随所に後期作品を思わせる深い表現が聴かれるのが印象的です。

ブルックナー:交響曲第4番 “ロマンティック”
1988年収録。ディテールまで克明に聴き取れる状態の良い音質と相俟って圧倒的な感銘を与えてくれること請け合いのチェリビダッケお得意レパートリー。特に、終楽章コーダでの極端なまでのスロー・テンポ&刻みによる演出と、第1楽章の展開部後半のについては、軽々しく語ることがはばかられるほどの凄みがあり、とにかく聴いていただくほかないというのが正直なところです。

ブルックナー: 交響曲第5番
1993年収録。落ち着き払った筆致で壮大なゴシック建築を描きあげたような第1楽章、ただでさえ奇麗な第2主題が、ほとんど崇高なまでの美しさで響き渡る第2楽章、重量級の音塊を自在にドライヴする第3楽章、独特な手法で対位法アプローチを試み、そのコーダでは圧倒的なスケール感をみせつける第4楽章と、どこをとっても聞きごたえのある演奏です。

ブルックナー:交響曲第6番
1991年収録。この曲に関しては、既に本拠地ガスタイクでのライヴ映像が正規ソフト化されており、音質面の向上など除けば印象に大差はありません。演奏の方は、時差ボケや疲労など皆無の、コンディション抜群の内容で、地味な6番を、細部まで徹底的に磨き抜いたうえで示されるそのスケール感、確信に満ち洗練された表現は比類の無いものです。

ブルックナー:交響曲第7番
1994年デジタル・ライヴ録音。チェリビダッケ指揮するブルックナーの美点のひとつである“流麗さ”が最高に効果を発揮しているのがこの第7交響曲。合わせて53分に達する前半2楽章は特に素晴らしく、アダージョでの“法悦”とも言うべき美の洪水とカタルシスは、この指揮者ならではのものでしょう。

ブルックナー:テ・デウム
1982年ミュンヘン、聖ルカ教会でのコンサートを収録。演奏時間実に32分、長い残響を伴った録音からは、いかにもカトリックの教会音楽らしい神秘的な気分が感じられるのが印象的です。ミサ曲に較べれば、よほど交響的に書かれたこの作品にとてもふさわしい音響条件が獲得されているのが嬉しいところで、交響曲同様、遅いテンポで雄大に運ばれる演奏は、いかにもチェリビダッケらしいと言えるものですが、妥協の果ての作曲者の言葉に従って、第9番の後で演奏をするのではなく、こうした教会コンサートで取り上げるあたりにチェリビダッケの良心も見て取れるというものでしょう。というよりも、チェリビダッケの場合には、9番の演奏が凄すぎて、どう考えてもそのあとに他の曲など必要とされないという理由もあるのでしょうが。

ブルックナー:交響曲第8番
1993年録音。演奏時間104分という異常なテンポ設定ですが、作品につめこまれた膨大な情報に徹底して濃やかにアプローチした結果としては納得できるテンポと言えるのではないでしょうか。実際、ここでは、これまで聴き逃していた様々な音や、音と音の関係が稠密に描き抜かれていて、実に刺激的です。

ブルックナー:交響曲第9番
1995年収録。これ以上考えられないほど深化した演奏であり、ただでさえ構成動機の数が多いこの作品を、遅いテンポで細部を徹底的に彫りあげることによって、ほとんど目眩すら感じさせるほどの巨大構造を現出させることに成功しています。こうした演奏で聴けば、ブルックナーが素朴な作曲家だったなどという意見に与することは難しくなりますし、一方で、優れた作品の持つキャパシティの大きさに改めて思いをめぐらせてくれる点が何よりも嬉しいところ。アダージョ大詰めのカタストロフィと天国的コーダの対照を聴くだけでもこの演奏には価値があるとさえ言いたくなります。

ブルックナー:ミサ曲第3番
1990年収録。LDでリハーサル風景が発売されていた為、長らく登場が待ち望まれていた録音です。通常1時間未満で演奏される作品を、70分以上かけているのですから、歌う方はさぞ大変だったことでしょうが、その甲斐あって、演奏の方はまさに神秘的としか言いようのない様相を呈する仕上がりとなっており、交響曲ではあんなに派手好きだったブルックナーも、さすがにミサでは敬虔な心情を吐露していたのだと、これほど深く感得させてくれる演奏は他にありません。

ドビュッシー:イベリア
演奏時間27分を超える《イベリア》は、第1曲での各民謡素材の立体的彫琢、第2曲での陶酔的美感など見事なもので、これ以上考えられないほど精緻で雄弁な“人工的スペイン情緒”の描写力が凄いとしか言いようがありません。

ドビュッシー:海
33分近くもかかる《海》は1992年の演奏で、大海原的な巨大なスケール感が、部分によってグロテスクなまでの表現に結び付き、最高に刺激的です。深沈と始まり、終盤では鬼気迫るクライマックスに到達するという、まさにブルックナー的な構築法であり、従来の作品観を覆すアプローチでもありますが、この説得力は絶大と言えるでしょう。
 ミュンヘン・フィルから、ドイツのオーケストラとはとても思えぬ豊かな色彩を引き出し、絶妙としか言いようのない世界を作り上げています。緩急自在、すべてのパート、あらゆる音型に目を光らせた猛烈なまでのヴィルトゥオーゾ的指揮ぶりは、細部の極めて啓発的なデフォルメをも含んで、作品から、強烈にリアリスティックながら、しかも同時に美しいという、他にまたとない“美”を引き出すことに成功しているのです。

ハイドン:交響曲第103番 “太鼓連打”
103番《太鼓連打》は1993年のライヴ。当日はチャイコフスキーの第四交響曲と一緒に演奏されたもので、昨今流行の時代考証様式とはまったく正反対と言って良い方法論がとてもユニークです。元気な素朴さがチャーム・ポイントの作曲家として、まずは順調に位置づけられつつある現代のハイドン像からは遠く隔たっているものの、そこに示された濃厚でロマン的な性格には、色々な意味で実に興味深いものがあります。反復無しで34分を超えるという極めて遅いテンポが基調ながら、というよりもそれゆえに、第1楽章序奏部は、一節一節、聴き惚れるしかないほど美しい仕上がりで、楽想の優美さを巧みに表出することに成功した主部との一体感も申し分がありません。以下、独奏パートがウェットでユニークな美感を呈する第2楽章、おっとり品よくかまえたメヌエットを経て、洗練されバランス良く整えられた力感が高揚する終楽章へと無理なく繋がってゆきます。

ハイドン:交響曲第104番 “ロンドン”
104番も同様に素晴らしい演奏ですが、103番と同年の作曲とは言え、ハイドンの作品中、ロマン的性格の強いことでは随一のこの曲では、チェリビダッケのロマン的没入もさらなる深化をみせることとなり、第1楽章第1主題のエレガントを究めた美しさ、不純物を一切取り去ったような結晶体としての第2楽章など、比較を絶する名演が繰り広げられるさまには驚くほかありません。 一体に、チェリビダッケのハイドンからは、デフォルメまでも駆使して実現される趣味の良さ、テクスチュアの見通しの良さと、対象を冷徹に見詰める精神のいとなみが常に感じられるのが特徴的で、爛熟したスタイルが印象的な両曲の名演は、前述した『元気な素朴さ』への対置命題として、古楽から現代音楽、美術に文学と、清濁併せ飲む経験の豊かさを持つ、知的な現代の聴衆に訴える力が極めて強いものと言えるのではないでしょうか。

モーツァルト:交響曲第40番
晩年のチェリビダッケとしては異例にテンポの速い、モーツァルト第40番は、トータル・タイム24分ながら、第2楽章は9分を超えるなど、緩急の差がとにかく大きいのが特徴とも言えます。ちなみにこの40番は、1994年にフォーレのレクイエムと共に演奏されたもので、有名な問題発言『モーツァルトはサラダだ』とは裏腹に、中間2楽章の、ゆったりと美しく染め上げられたロマンティシズムと、両端楽章の非常に激しい動感のもたらすコントラストが何とも心地良い仕上がりを示した名演です。

ハイドン:交響曲第92番 “オックスフォード”
1993年録音のハイドン《オックスフォード》も同様に、第1・4楽章のきびきびと活力に満ちた表現と、第2楽章の瞑想的なまでに美しい音楽に、おっとりした第3楽章というアプローチで、細部までシャープに磨きあげられた響きがとても魅力的です。来日公演での遅いテンポによる演奏とはまた異なる、快活な美しさが身上の名演とでも言えるでしょうか。終楽章の対位法表現も、透明度高く持続されるテクスチュアゆえの絡み合いのおもしろさがひとしおで、オケの機能の高さも申し分がありません。

ムソルグスキー:展覧会の絵
1993年ミュンヘン・フィル創立百周年記念演奏会の一環として、本拠地のガスタイクでデジタル収録されたライヴ盤。演奏は驚きもので、各曲の正味時間合計で42分を越えるという遅いテンポが設定されていますが、テンポの速い遅いという、単純な時間軸へのこだわりが、皮相な見解に過ぎないことを証明するアプローチでもあります。
冒頭《プロムナード》からすでに、個性的なパート・バランスと絶妙なフレージングによる濡れ光るような色彩美・旋律美が印象的であり、この曲が、これから始まる壮大な美の祭典の幕開けにふさわしいオープニング・ナンバーと位置付けられた見事な解釈と言えるでしょう。続く《グノムス》も、間合いのとりかたや細部の強調といった、グロテスク表現の巧みさでは比類が無く、次の《プロムナード》での沈潜と瞑想を経て、美しい《古城》へと自然に繋がってゆきます。ここでのサクソフォン・ソロと伴奏声部の醸しだす、繊細な色彩の移ろいと、たゆたう雰囲気の描写も素晴らしいもの。
 一転、3度目の《プロムナード》では、再びデフォルメによる重量感の付与がみられますが、これは次の《テュイルリーの庭》を通過して、ヘヴィーな《ビドロ》にかかる音響力学上の収拾策とみるべきでしょう。この《ビドロ》は、チェリ流儀のシリアスな情念傾注が、雄弁を極める名手ザードロのティンパニを得て、前半のクライマックスを築くところでもあり、一途な深刻さには胸打たれるほかありません。脱力感さえ伴うその終止に続く、4度目の《プロムナード》は、後半での巧みなブリッジ的アプローチが《殻をつけた雛の踊り》にスムーズに移行するさまが実にユニーク。しかもこの《踊り》がまたあきれるほどうまいのです。奏者への教示テクニックの卓越ぶりを示す、豊かで当を得た表情付けが、LD《古典交響曲》でのリハーサルの巧みさを改めて想起させてくれますが、このリズム感、ほかに引き出せる人はまずいないでしょう。
 続く《サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ》も個性的。威圧的で傲慢なサミュエルが相手では、シュミュイレの姑息な言い訳も通用しないという、『対立』よりも『同根とりこまれ』的要素を強調した解釈(ユダヤ的経済感覚への揶揄?)が秀逸。次の《リモージュ》は何と言っても地方都市の市場の描写という点が眼目。よく見受けられる不自然なまでの大都市的活気はあらわさず、市井の賑わいを自然に伝えるカラフルな表情付けで、次のモノトナスなナンバーとのコントラストを形成するさまが見事。
 その《カタコンブ》での厳粛を極めた金管セクションは、最後の2曲を導くにふさわしく変形された《プロムナード》としての機能を万全に果たすと共に、黄泉の世界への『畏怖』を表し、逆に木管セクションは『馴化』を示唆して、続く《バーバ・ヤーガの小屋》の奇想へと自然に推移させるのです。
 この《バーバ・ヤーガ》でのザードロの活躍には目を見張るものがありますが、ラプソディックなトランペットも作品の味わいをさらに深めることに成功し、《グノムス》的な中間部を不気味にひき立たせて秀逸。フィナーレへのなだれ込みも効果的で、威厳に満ち溢れた《キエフの大門》の出現は、壮大な『幻想』を『現実』にするほどの力を感じさせます。言うまでもなくそれは、この演奏のクライマックスを形成しているわけで、示されたアプローチも極めて個性的です。まず主要主題のアクセント。最後の音で力を抜くというこの手法、チェリならではの強引なデフォルメともいえますが、こうすることで、呑気に分断されがちに聴こえるフレーズに連続性が与えられ、ひとつながりの旋律として劇的な彫琢が施されるさまが、全くもって凄いの一語に尽きます。副次主題部との、強烈なコントラストが呼び覚ます様式的な感覚、つまり、作品全体を支配する、ロンド形式的枠組みへの意識的な喚起が、このフィナーレに於いて成されることによって、終結部のまさにブルックナー風巨大回帰と見事に呼応して昇華されてゆくのです。比較を絶する、前代未聞の儀式的な演奏として、大音量で真剣に鑑賞したい個性的名演です。

ラヴェル:ボレロ
1994年の録音。首席指揮者チェリビダッケの着任後、すでに15年が経過し、それまでのローカル・オーケストラから、ヴィルトゥオーゾ・オーケストラに見事に変貌を遂げたミュンヘン・フィルの実力がたっぷり堪能できる名演です。演奏は18分以上もかかりますが、その間、精確に維持され続ける強迫観念的な小太鼓を筆頭に、各楽器の奏者がまさに“みずから考えて”意味深い音響を模索し、成功を収めているさまには驚くほかありません。チェリビダッケの厳格なトレーニングの内容が、いかに多角的で、示唆と含蓄に富むものかをみごとに例証する演奏であり、このようなショウピース的作品にも関わらず、当日深い感銘を受けた聴衆たちには、いまだ語り草となっているほどです。演奏内容はもちろん、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの共同作業の到達点を示す記念碑としても、実に貴重な演奏の登場と言えるでしょう。

シューベルト:交響曲第9番“グレート”
交響曲第9(8)番は、1980年代終わり頃から、時代考証演奏が多数リリースされ、イメージもずいぶんと様変わりしてきた作品ですが、チェリビダッケのそれは、旧版を使用した伝統的な通念に依拠するもので、大きく重い交響曲として、古典派よりは後期ロマン派側にかなり大きくシフトした演奏となっているのが特徴。反復一切無しでトータル55分を超える重量級のアプローチですが、15分半かかる第1楽章、16分半かかる第2楽章は、特に重い仕上がりをみせ、ブルックナーやワーグナーに慣れた耳にも巨大に響きます。
 最近は、シューベルトを古典派シフトで捉える動きが活発ですから、これなどまさに対照的な表現と言えるのですが、ここで聴けるオーケストラのヴィルトゥオジティはやはり大きな魅力でしょう。四管編成に拡大された大オーケストラを自在に操り、分厚いトゥッティから繊細なソロまであらゆる局面に表現意志を盛り込み、冴え渡るティンパニが要所を締めるため、一層、魅力が加算されることとなっています。もちろん、好みの問題でもあるのですが、旧版使用ならば当然の配慮とも言えるでしょう。
 最後がディミヌエンドで終わるのも旧版使用ゆえ仕方がない、と言いたいところですが、実際には、こんなふうにやっているのはショルティやクレンペラーぐらいのもの。どう考えても力強く音が放射されねばならない箇所であり、昔から単なる記譜ミス(アクセント記号がディミヌエンド記号に見える)として、変更して演奏されている箇所です。それをショルティはともかく、細かいところではけっこう楽譜をいじるので有名なチェリビダッケとクレンペラーが、そのままやっているのですから何とも面白いところですが、両人共に大曲の最後のトゥッティを、力まずにサラリと流すのが常套手段の、斜に構えたところのある演奏家ゆえ、その面から捉えれば合点もゆく話ではあります。

シューマン:交響曲第2番
 冒頭の静けさゆえか(?)、シューマンの4曲の交響曲中、最も不人気な作品などとまことしやかに言われてきた第2番ですが、最近では、他の3曲を大きく上回る緊密な構成感や効果的な管弦楽法、つまりシンフォニックな曲調によって、交響曲好きにはけっこう人気の高い存在になっているというのが実情のようです。
 チェリビダッケもこの曲は割に好んで指揮していたようで、その名解釈ぶりはこれまでにも音質劣悪な海賊盤などで何とか想像することができたものですが、いかんせんローテクなトラブル(受信周波数ズレやNRの設定ミス)に汚染された情けない音質では、繊細なアプローチなど確認のしようもなかったことは誰もが認めるところでしょう。
 当CDの音源は、1994年の演奏会を収録したもので、音質的にまず問題のない好条件が確保されているのが大きなポイント。チェリビダッケに限らず、細部と全体の関係が体感できない録音では、演奏内容の判断はかなり難しいと思われるからで、その意味では当CDの音質グレードは非常に高いものと言って差し支えないでしょう。
 演奏は、荘厳な雰囲気を湛えた第1楽章序奏部から、弦や木管パートの耽美性の強調にさすがと思わせるものがあり、平凡な演奏では退屈に感じられるこの序奏部が、実は重要な動機の呈示をになう充実したブロックであることを、それら諸動機の明確な表情づけによって否応無しに気づかせてくれるのがなんとも見事です。主部への段階的な移行部分も、直前に築かれた圧倒的なクライマックスがその落差的効果をいっそう高め、聴き手の新局面への期待感醸成に大いに奏功するという図式が説得力も十分。その主部では、実に妥当なテンポが選ばれ、運動的性格の強い呈示部&展開部を経て、強大な構えの再現部&コーダに突き進むという、きわめて克明な力学的構造が、さらに念入りに敷延されているのが興味深いところです。
 続く第2楽章でも比較的快速なテンポが採られ、無窮道的性格に起因するフィジカルな快感にも十分な配慮が成されているのが特徴的。第1エピソード部分の軽みも心地よく、重量感を伴ったスケルツォ主部とのコントラストもたいへん効果的ですが、第3楽章を予告する第2エピソード部分(マーラーの9番での第3楽章と第4楽章の関係を想起させる)での美しい旋律性の強調はさらに印象に残ります。
 第3楽章は、息長く抒情的な旋律がブルックナーを思わせるいかにもチェリ的な演奏。滔々と流れる弦楽にメランコリックに絡み合う木管群が織り成すテクスチュアが、陶酔的なハイ・トーンの感傷美の階段を登りつめてゆくさまは、まさにクセになる種類の美しさで、その他、第1楽章序奏部の動機に由来する中間部(後半の重層的構造表現も見事)のフーガや、コーダでの緊張の持続など、チェリ美学炸裂の演奏がひたすらに快適です。この楽章に限らず、指揮者の意を完全に汲みとった楽員たちの濃やかに練り上げられた表現は実に素晴らしいものがあり、入念なリハーサルの重要性を改めて痛感させてくれるのではないでしょうか。
最後の第4楽章は、素材引用の多さゆえの激しく表現的な音楽と、躁状態的な高揚感が特徴の部分で、チェリビダッケはここで、力に満ちあふれたアプローチを基調に、鮮明かつ高解像な演奏を実現することに成功しています。特に、コーダでの壮麗な金管に、異様なばかりに力強く絡むザードロのティンパニが築きあげる雄渾な頂点は、この第2交響曲が通常のシューマンの音楽とは大きく異なる、きわめて明晰なロジックに支配された作品であることを、聴き手に深く確信させる雄弁果敢なアプローチだと言えるでしょう。
 巨大音響構造体としての“交響曲”の魅力・醍醐味を、徹底的に今世紀的価値観に照らして味わわせてくれるチェリビダッケならではの素晴らしい演奏です。

ブラームス:ハイドン変奏曲
1980年収録。各変奏の描き分けが巧緻をきわめた演奏で、粗暴な表現は拒絶し、秩序ある構造性を築きあげるチェリビダッケならではのアプローチが何ともユニークです。

シューマン:交響曲第3番“ライン”
交響曲第3番は1988年のステレオ・ライヴ録音。トータル40分と遅めのテンポですが極端というわけではありません。基本的には重量級のアプローチをみせるものの、第1楽章や第5楽章ではかなり運動的な面をみせ(Lebhaftだから当然とも言えますが)、たいへん旋律的で、ユニークなスケルツォでは幅広く大きな流れをつくりあげます。一方、第3楽章では内向性の強い音楽にふさわしい濃やかな表情をつけ、第4楽章では字義どおりの極限の意味で、荘重きわまりないファンファーレを鳴り響かせるのです。
 名演の少ない《ライン》で、この演奏が位置付けられるポジションは相当高度なレヴェルと言え、管弦楽法への緻密なアプローチが、通常、評されるような、音響的不満をものの見事に解決しているのも嬉しいところ。透明度高いオケの響きに魅了される演奏です。

シューマン:交響曲第4番
1986年のステレオ・ライヴ録音。両端楽章の反復無しで、31分ですから遅い方ですが、極端なものではなく、寧ろ通常のテンポ・ベースでメリハリが大きくついたものとみるべきでしょう。演奏は、冒頭からとにかく美しいもので、深沈とした序奏部にはシューマネスク(死語?)な幻想的情感が感じられ、主部に入っても、途端に張り切るような愚挙には陥りません。序奏と主部という区分ではなく、共通の素材を用いた有機体として捉えた結果なのでしょう。チェリビダッケの常として、当然、呈示部の反復もおこなわれていませんが、ここではどうみても正解。
 第2楽章も、通常の田舎くさい雰囲気の漂うアプローチとは次元が異なりますが、何と言ってもすごいのは後半の2楽章。特に第4楽章序奏部はひたすら美しさを追及した凄い演奏で、これほど精妙な美を湛えながら、なおかつ悲劇的に盛り上がるアプローチには驚くほかなく、ここを聴くだけでも、このCDには価値があると言って差し支えないでしょう。力感みなぎる主部は力強く意志的な演奏によってどんどん高揚してゆき、コーダの大円団ではフルトヴェングラーの音楽を彷彿とさせる燃焼をみせてくれます。

チャイコフスキー:交響曲第5番
合計演奏時間55分を超えるという、晩年のチェリビダッケならではの遅いテンポが選ばれています。冒頭で示される循環主題のブロック(序奏部)だけで3分かかるのですから、これはもう尋常な時間感覚では捉えられないものですが、その後、いく度も変容し再現されること、主部のテンポの設定を考えれば、十分に理解できるものでもあります。
 第1楽章主部はアレグロ・コン・アニマの指定で始められますが、ここではどう聴いてもアンダンテ以下の設定であり、チェリビダッケ一流のデフォルメとしか言いようがないのですが、3つの主題の描き分けの巧みさはさすがで、第1主題の確保部分でトランペットを強調するあたりなど実に刺激的。優美な第2主題とのコントラストも極めて明瞭で、前半動機リズムの繊細なデフォルメと、後半動機の憧れに満ちた情感表出が絶妙なバランスをみせる第3主題(結尾主題)も完璧です。
 続く第2楽章の美しさも予想にたがわぬ素晴らしいもので、無用な感傷に流されない表現は実に立派。12分付近の危険個所(クサクなりやすい)でも、絶妙な管弦のバランスとザードロのティンパニによる引き締め効果によって、安手の陶酔に堕さない高揚をみせ、次の循環主題部と終結部の強烈なコントラスト形成を際立たせることに成功しています。
 第3楽章は、大交響曲にふさわしい表情豊かで立体的なワルツであり、主部を支配するメランコリーの美しく淡い色彩と、抑制された動感が、えもいわれぬ気品を付与することに成功し、同様に美しい中間部と共に抜群の聴きごたえが嬉しいところです。
 第4楽章は、冒頭循環主題のマエストーソの指示を無視した純粋な美しさが印象深い演奏で、3分半ほどの序奏部全体に漂うロシア聖教のコラールのような雰囲気は、遅いテンポでグロテスクに描かれる主部第1主題の関連部分と、循環主題の変形でもある主部第2主題の関連部分との対比効果にも影響し、荒ぶる大波が実は周期を持った運動体であることにも似て、巨大で揺るぎのない構造物を打ち立てることに成功しています。コーダでの循環主題の引っ張り具合も、序奏部のそれとは対照的な変貌をみせた壮大無比な強烈なもの。名演です。

チャイコフスキー:交響曲第6番 “悲愴”
トータル58分近い遅い演奏ですが、この曲に関しては、バーンスタインの再録音盤が58分以上かけている例もあり、チェリビダッケだけが特別に遅いというわけではありません。問題はチャイコフスキーのこの作品に何を求めるかにかかってくるわけですが、華麗なオーケストラ・ピースとしてカッコ良くスマートに演奏したカラヤン盤や、極限と言ってさしつかえない感情移入によって、特に終楽章では凄まじい慟哭・憐憫を聴かせたバーンスタイン盤に較べ、チェリビダッケの場合には、まずこの作品が、管弦楽法の見本市といって良いくらい、雄弁なオーケストレイションと、表現のロジカルな要素が結び付いた傑作であることを思い知らせてくれるのが特徴。
 ロシア情緒を生(き)のままに出すことを嫌い、洗練という名のオブラートで、それを生涯くるみ続けたチャイコフスキーの音楽にはとてもふさわしい配慮と言えますが、実際、ここでのサウンドは実に素晴らしいものです。ピアニシモの緊張はもちろん、千変万化する色彩の繊細なうつろいや、表情の微妙な変化、第1楽章展開部後半での強大なトゥッティの臓腑をえぐるような凄絶な響き(17分以降が圧巻)など、この曲の演奏でかつて聴いた事のない、深く表現的な音が膨大に蓄積され、強靭なロジックによってまとめあげられているさまは、まさに圧倒的です。ティンパニの名手ザードロによる巨大合奏の引き締め効果も特筆されるべきものでしょう

ワーグナー:マイスタージンガー第1幕前奏曲
12分半ほどかかる演奏。実に堂々としたスケールで始められるものの、例の“タン・タ・タ・タ”のあたりから極度に遅いテンポが採択され、それぞれのパートがくっきりと克明に描き出されるさまがたいへんに印象深いところ。響きは完全に透明で、カオス的ノリだけで進められるような愚が避けられた、かつてないユニークな響きのバランスと明晰を極めた進行に、とまどう向きも多いかもしれません。ドイツ精神賛美の本編に対する輝かしい前奏といった意味合いは遠のき、序奏とコーダの巨大な力感が浮いてしまう不思議な感触を持つ演奏ともいえるでしょう。

ワーグナー:ジークフリート牧歌
24分近くかかる極めて遅いテンポがベースとなった演奏ですが、内容はまさに晩年のチェリにのみ可能なスゴイもの。あらゆる細部情報がきっちりと掌握され、運用されるという正当なプロセスを経ながらも、随所にみられる繊細かつ大胆なデフォルメと、自在なパート・バランスでもって聴き手の耳をそばだたせる、その方法論の圧倒的なまでの雄弁さはまさに比類の無いものであり、同じ遅いテンポでも、レーグナーのそれがもっぱら耽美的傾向のみを示すものだったのとは大きな違いがあります。
 ここでの各部の性格の描き分けの巧みさや、完全に正しく保たれたピッチと、見事なバランスによってオルガン的なサウンドを聴かせるコーダも実に素晴らしいもの。一種の反復音楽とも言えるこの作品に、いささかの感傷を含んだ精神のドラマを持ち込み、成功した名演と言えるのではないでしょうか。

ワーグナー:ジークフリートの葬送行進曲
この演奏も強烈。遅めのテンポは相変わらずですが、ここで示される極度の緊張と洗練は、チェリならではのものでしょう。マメにバチを持ち替えるなど、細やかな配慮とダイナミックな名技を存分に駆使したティンパニはもちろん、強大なパワーで吹き鳴らされるブラス・セクションが織り成すクライマックスはまさに凄絶と言ってよく、低弦セクションの驚くほどの柔軟さをはじめとする弦楽器群の活躍、木管の慰めも効果絶大で、全くスキの無い名演を支えている点に深い感銘を受けます。

ワーグナー:タンホイザー序曲
17分弱かかる《タンホイザー序曲》は、普通のテンポで始められ、トロンボーンによる巡礼の主題も、リズミカルな伴奏にのって小気味よく奏されますが、ヴェーヌスベルク・ブロックに入ると、音楽は俄然、チェリ流に精彩を帯びてきます。遅めのテンポでディテールを徹底的に彫琢し、巨大な快楽主義肯定の精神の渦と、繊細で蠱惑的な官能場面の対比を縦横に織り成すさまが圧倒的で、なるほどこれなら主役タンホイザーの殉教にも納得がゆくというものです。クライマックスの果てに回帰する巡礼主題の、遅いテンポと深い呼吸によって堂々と構築されるコーダには言葉もありません。終演後の歓声の大きさにも納得の名演です。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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