プレスティ、イダ(1924-1967)

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CD 輸入盤

2台のギターのための作品全集 サルヴァトーレ・フォルトゥナート、ファビオ・ペルチバッリ

プレスティ、イダ(1924-1967)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL96708
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ソロを断念しデュオに生きた女性天才ギタリストの傑作

イーダ・プレスティ:2台のギターのための作品全集(CD)
サルヴァトーレ・フォルトゥナート、ファビオ・ペルチバッリ(ギター)


イーダ・プレスティ[1924-1967]はフランスのギタリスト兼作曲家。10歳で有名ホールでデビューし、13歳でフランスHMVにレコーディングをおこなうほどの神童でしたが、アレクサンドル・ラゴヤと出会うとデュオの表現力に夢中になり、ソロ活動を停止してデュオで世界をまわるようになります。全米ツアー中、肺腫瘍による大量の出血のため42歳で亡くなってしまったプレスティですが、その作品がこうして後の世代に受け継がれるのは素晴らしいことです。

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 作曲者情報

きっかけはセゴビアのコンサート

1924年4月7日、父クロードはパリでおこなわれたセゴビアのコンサートに出かけて深く感動。帰宅すると、妊娠8か月の妻に対して、生まれてくる子供を素晴らしいギタリストにすると宣言。父クロードは自身でピアノとアコーディオン演奏もおこなう音楽愛好家でした。

6歳、パリ近郊で誕生

1924年5月31日、パリ近郊のシュレンヌにイヴェット・イーダ・モンタニョンとして誕生。父はパリ生まれのクロード・マルセル・モンタニョンで、1918年にモロッコで出会ったシチリア生まれのイタリア人女性オルガ・グラチア・ロー・プレスティと結婚していました。

6歳、父クロードの奮闘とセゴビアのレコード

1930年、プレスティが6歳になると、セゴビアのSPレコードをお手本として使って、フルサイズのギターで教え始めますが、乳児の頃からギターの音に慣らされ、さらにピアノも弾かされていたプレスティの上達速度は驚くべきものでした。父クロードは、プレスティが生まれるとギターを買い求め、自分で教えられるようにギター演奏を勉強していました。

8歳、和声と理論の勉強も開始

1932年、父のレヴェルをすぐに超えてしまったプレスティは、8歳からはイタリア人ギタリストで楽器製作者のマリオ・マッカフェッリに師事し、ギターのほか、和声と理論の指導も受けるようになります。マッカフェッリは楽器製作の修業をしていた16歳の時にシエナ・キジャーナ音楽院でも学び始め26歳の時に教授に任命。パリとロンドンでギタリスト、作曲家、教育者として活動。1931年にパリの楽器メーカー、セルマーでギターを作るためにパリに転居。マッカフェッリの指導のもと、新たにつくられたギター部門は、世界大恐慌の不況下にも関わらず工場もフル稼働で絶好調でしたが、翌1932年にはマッカフェッリはセルマーと対立して退職し、教育と演奏活動を再開。そこで教えを受けることになったのがプレスティでした。しかし翌1933年7月には映画の撮影中の水泳事故でマッカフェッリは手を骨折し、半年間のリハビリを経ても元の演奏水準には回復しなかったため、プレスティが教わった期間は1年に満たなかったものと考えられます。
9歳、パリ・ギター友の会で演奏

1933年、「パリ・ギター友の会」会長のアンドレ・ヴェルディエ邸で演奏し、集まったギター愛好家たちを熱狂させ、その神童ぶりが評判となって行きます。プレスティはこのサークルで、アンドレ・ヴェルディエのほか、エミリオ・プジョル、ジャン・ラフォンの指導も受けています。
10歳の本格デビュー公演は高名なガヴォティも絶賛

1934年、10歳になると父クロードがパリの有名劇場、サル・プレイエル内の中ホール「サル・ショパン」を借り、プレスティのソロ・リサイタルを開催。名前はミドル・ネームと母方姓を組み合わせた「イーダ・プレスティ」としていますが、これは父クロードがその響きの方が良い判断したからでした。公演を聴いたオルガニストで音楽学者、音楽評論家のベルナール・ガヴォティ[1908-1981]も、「10歳にして確かなテクニックを持ち、その豊かな響きと多彩な音色は、この上なく魅惑的だ。」と絶賛。

13歳、セゴビアが称賛

1937年、プレスティの演奏を聴いたセゴビアは、「私は彼女に教えることは何もない...彼女は他のギタリストのアドバイスを受け入れるべきではない」と述べ、プレスティの演奏がすでに完成していることを示唆しています。
13歳、フランスHMVにレコーディング

1937年、Disque Gramophone(フランスHMV)にグラナドス:スペイン舞曲第5番、ポンセ:2つのメキシコ民謡、マラッツ:セレナータ・エスパニョーラ、モレーノ=トローバ:ソナチネ、そしてロベール・ド・ヴィゼとバッハの作品をいくつかレコーディング。
14歳、映画に出演

1938年公開のアルフォンス・ドーデ原作の映画「プチ・ショーズ」にギタリスト役で出演。

14歳、パリ音楽院管弦楽団と共演

1938年、パリ音楽院管弦楽団と初めてコンサートをおこなったギタリストとなり、ほどなく、パドルー管弦楽団とも共演しています。
14歳、父が心臓発作により死去

1938年、父が心臓発作により死去したため、プレスティは3人の幼い弟と妹、母親の生活を支えることになります。
16歳、パガニーニ没後100周年記念コンサートに出演

1940年、パガニーニ没後100周年を記念し、パガニーニの生家でパガニーニの弾いていたギターと、ベルリオーズの弾いていたギターを使用して演奏。
19歳、結婚

1943年、アンリ・リゴーと結婚。プレスティは1940年のドイツ軍侵攻により、多くのパリ市民と同じく南仏に移動。ヴィシー政権下の自由地域であるマルセイユ近郊のアロー村で暮らし、ときおり小規模なリサイタルを開催していました。

20歳、出産

1944年、第1子エリーザベトを出産。母オルガは数年前に再婚していましたが、幼い妹のジーナはプレスティと暮らしていたので、プレスティにとってエリーザベトは育児的には2人目の子供のようなものでした。

24歳、アランフエス協奏曲フランス初演

1948年9月16日、ロドリーゴのアランフエス協奏曲のフランス初演ギタリストに選ばれ、エルネスト・ブール指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏で中継。これによってプレスティの知名度は一気に上がり、自身のラジオ番組「ギターについて」を持つに至っています。
24歳、アムステルダム公演

1948年10月、アムステルダムでの公演をフランスにも中継。
25歳、アランフエス協奏曲、再演

1949年2月17日、ミュルーズでアランフエス協奏曲を演奏。
25歳、アランフエス協奏曲、再演

1949年12月、南フランスと北アフリカでアランフエス協奏曲を演奏。
26歳、アレクサンドル・ラゴヤとの出会い

1950年、イタリア系ギリシャ人ギタリスト、アレクサンドル・ラゴヤと出会い、翌年、結婚。ラゴヤは1947年からパリのエコール・ノルマルで学んでおり、出会ったときはプレスティ26歳、ラゴヤ21歳でした。
27歳、イギリス・デビュー

1951年、ロンドンでリサイタルを開催して成功。
28歳、再婚

1952年、23歳のアレクサンドル・ラゴヤと結婚。
28歳、アレクサンドル・ラゴヤとデュオを結成

1952年、夫婦でのデュオ演奏を開始。
29歳、出産

1953年、第2子シルヴァン誕生。
31歳、ソロ活動停止

1955年、ラゴヤとのデュオに専念する道を選びます。以後、2千回以上のコンサートをおこないます。楽器はフランスの弦楽器製作者ロベール・ブーシェが製作したギター。
36歳、ニースで教育活動開始

1960年、ニース国際音楽アカデミーで教えます。
40歳、モスクワ公演

1964年、モスクワで演奏して大きな成功を収めます。
42歳、セントルイスで喀血

1967年4月、アメリカ・ツアー中に喀血。セントルイスの病院で検査を受け、そこに留まって治療を受けるよう言われますが、プレスティは断って次のツアー地であるニューヨーク州ロチェスターに飛行機で向かいます。喀血が止まらなかったため、4時間37分のフライトの大半をトイレで過ごし、ロチェスターに着く頃には、非常に衰弱した状態でした。
42歳、ロチェスターで死去

1967年4月24日、ロチェスター国際空港から直接ストロング記念病院に運ばれますが、肺腫瘍による大量の内出血で死亡。遺体はパリに運ばれ、パリ近郊のモンモランシー墓地に埋葬。
  夫のラゴヤはしばらく演奏活動を停止しますが、1969年にはパリ音楽院に初めてギター科が開設されてそこで教えることになり、65歳になる1994年まで25年間在職。ツアーは1972年に再開してソロ奏者として活躍し、モネルという女性と再婚。1999年にパリで70歳で亡くなると、プレスティの眠るモンモランシー墓地の同じ墓に埋葬されています。墓石の刻印は「Ida PRESTI 1924-1967」が上、「Alexandre LAGOYA 1929-1999」が下でした。



 演奏者情報

◆ サルヴァトーレ・フォルトゥナート(下の画像の右側)

1990年、ローマで誕生。ラティーナ・オットリーノ・レスピーギ音楽院、フロジノーネ・リチニオ・レフィーチェ音楽院で学位を取得したのち、アカデミア・キタリスティカ・デイ・カステッリ・ロマーニ、シエナ・キジャーナ音楽院、ポルデノーネ・セゴビア・ギター・アカデミーで技術を磨いています。その後、ロサンジェルスの「MAP国際音楽コンクール」、クラクフの「OPUS国際コンクール」、ストックホルムの「Xノース国際コンクール」、ジュネーブの「VIジュネーブ国際音楽コンクール」、クレモナの「クラシックス・アーティスツ」など、国内外の音楽コンクールで優秀な成績を収め、2014年にはローマのパラッツォ・コルシーニで、若手最優秀アーティストとして国際批評家賞を受賞。
  ソロのほか室内楽奏者として国内外で演奏し、カステッリ・ロマーニ・ギター・アカデミーで教授を務めています。

◆ ファビオ・ペルチバッリ(下の画像の左側)

幼少の頃から音楽の勉強を開始。ローマ・ペルチェントムジカ・アカデミーとイタリアのウンブリア・バークリー・カレッジ・オブ・ミュージックで学んだ後、ラティーナ・オットリーノ・レスピーギ音楽院クラシック・ギター科を最優秀の成績で卒業。
  2010年以来、PMCE(Parco della Musica Contemporanea Ensemble)と活動し、ローマのAuditorium Parco della Musicaでのスティーヴ・ライヒ作「2x5」、ラヴェンナ音楽祭でのクリストファー・トラパーニ作「Stellazione」[2018]、ミケーレ・タディーニ作「It mooned」、マーク・グレイ作「Rainbow bridge」[2019、2020]など、ローマでのいくつかの初演に参加。また、自作「Quattro studi sulla lontananza」を2018年に出版してもいます。



 トラックリスト (収録作品と演奏者)

イーダ・プレスティ[1924-1967]
2台のギターのための音楽全集


1. ◆ ハンガリー人 8'30
2. ◆ プレリュード 4'57
3. ◆ タランテラ 4'53
4. ◆ アヴィラの踊り 5'23
5. ◆ スペイン 9'04
6. ◆ バガテル 7'46
7. ◆ ジプシーの踊り 2'49
8. ◆ エチュード第1番 3'41
9. ◆ 母への子守唄 6'15
10. ◆ 歌とゲーム 3'15
11. ◆ エチュード第2番 4'09
12. ◆ セレナーデ 5'29
13. ◆ ニューイヤー・ワルツ 3'13
14. ◆ 幻想的エチュード 7'32

  サルヴァトーレ・フォルトゥナート(ギター)
  ファビオ・ペルチバッリ(ギター)

  録音:2022年、イタリア、ジェンツァーノ・ディ・ローマ
 Track list

Ida Presti 1924-1967
Complete Music for 2 Guitars
1. La Hongroise 8'30
2. Prélude 4'57
3. Tarantelle 4'53
4. Danse d'Avila 5'23
5. Espagne 9'04
6. Bagatelle 7'46
7. Danse gitane 2'49
8. Étude No.1 3'41
9. Berceuse à ma mère 6'15
10. Chanson et Jeux 3'15
11. Étude No.2 4'09
12. Sérénade 5'29
13. Valse de l'an nouveau 3'13
14. Étude fantasque 7'32

Salvatore Fortunato guitar
Fabio Perciballi guitar

Recording: 2022, Genzano di Roma, Italy

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