LP時代にワルターのステレオの定番(「田園」とかブラームス1&4とかモーツアルト後期とか)をもっていたものの、若年の身で網羅的に揃えることはないまま、CD時代になると、マーラーとかは別にして、VPOやNYPとのモノ盤に走っていた私のような者には、まさにうってつけの有り難いセット。強いていえば、ステレオ録音は全収録にした方が筋が通るのに、モーツアルトだけ何でモノという疑問は残る(私は両方もっているからどちらでもいいし、確かに疾風怒濤のNYPの方が迫力やエネルギー感ではより優れているとはいえ、ステレオ盤は決して巨匠の名を貶めるような演奏ではない)。それならいっそ、そんなに枚数は増えないだろうし、ベートーヴェンやブラームスもモノと両方つけて(ブラームスは2&3のみならず定評ある1&4もNYPの方をとりたい)ワルターのCBS録音の総集編にしたら良かった。さて、演奏だが、上記の理由で初めて聞くステレオの演奏が多かった次第だが、とかく指摘されがちな、最晩年のコロンビアSOとの演奏はオケも下手だしワルターもいささか「緩い」(きみがある)ということは否定しないけれども、これはこれで落ち着いた中に老巨匠の思いのたけの詰まった演奏で、トスカニーニやフルトヴェングラーがステレオに間に合わなかったのにこれらが残されたのは、やはり我々にとっての僥倖であると感じた。リハの様子でもワルターはごく元気で、老い込んだ感じはしない。確かにヨーロッパ時代の最後(「ワルキューレ」やマーラーの9番!)やここにも入っている終戦後のNYPとの演奏の気合いの充実ぶりはいかにも壮年期の力に満ちており、晩年の演奏にはそれは少ないが、死の前年の「巨人」なんかはオケも大編成で、気力も3年前のNYPとの「復活」(今度聞き返して「緩い」という印象を修正したが)以上とも言っていいくらいだし、同年のドヴォ8も二年前の「新世界より」より遥かに気力充実の名演だから、必ずしも晩年は緩んだとだけ決めつけることは出来ないのではないか?ただ、ステージから引退したワルターがじっくりオケに教え込んだという感じはするものの、当今の古楽器派がやや前のめり気味の進行なのとは対照的に、タメを作りがちで重心の低い音の作り方が若い頃より進行していて、オケの方での自発性が少ない分、「緩んで」聞こえるのかもしれない。でもやはりこの「巨人」、ドヴォ8とか「田園」とか「軍隊」(ハイドンは全部良い!)、「ハイドン・ヴァリエーション」とかはその隙間が感じられない名演中の名演。オケについては酷評されがちだが、アンサンブルの乱れは、もう巨匠が時間/体力の問題とかユニオンの契約上の時間的限界とかもあって、気にしなかったのかもしれないし(BPOの録音だってものによってはある)、響きの薄さと音の生さ加減は編成のせいもあるだろう(VPOだって、クナとのブル5とか「ラインの旅」とかは明らかに小編成の弦で薄い響きなのに誰もいわないのはどうしたわけか)。ソロの各々には妙手もいる。「巨人」3楽章のベースのソロを下手という人がいて驚いたが、あれは意図的にヨレヨレの音を出させたに違いない(フィラデルフィア管の元トップとか)。「うまく」弾いた演奏ではあの雰囲気は出ない。同じ楽章の中間部のオーボエやトランペットのソロもうまい。「田園」の三楽章の大抵弦の刻みと合わないオーボエも概ねしっかりとついているし。逆に第九は終楽章のみNYPだが、目立ってオケが良くなったという感じもなくて、ワルターも「緩んで」いる。老境だしムラがあったということではないか?自分の盤歴のエアポケットに落ちていて今回意外な発見をしたのは概して評判の良くないブルックナーで、実は結構良いと思った。ワグナーにつながる峻厳さではなくて、シューベルトも含んだウィーン古典派につながるなだらかで美しい演奏だ。私にとっては、ベストとはいわないまでも、鈍重な朝比奈や窮屈なヴァントより余程好ましい。それと二曲のR.シュトラウスもステレオがなくてあまりいわれないが、凄い集中度の名演である。でもやはり一番良いのは「大地の歌」だなぁ。これは人類の至宝だ。リマスターについては、このSBMを悪くいう向きもあるようだが、私には問題なく聞こえる。LP時代に日本コロンビアからソニーに移ったとたんに固い音になって閉口したが、少なくともそういう音ではない。長文ごめんなさい。