モーツァルトは「アマデウス」ではない 集英社新書

石井宏

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784087211092
ISBN 10 : 4087211096
フォーマット
出版社
発行年月
2020年02月
日本
追加情報
:
272p;18

内容詳細

西洋音楽史の常識を覆す、衝撃の真実!
モーツァルトは二度「殺された」。

●内容説明
今日、「アマデウス」と言えば、多くの音楽ファンが、夭逝した18世紀の天才作曲家・モーツァルトのことを思い浮かべるだろう。
しかし当の本人は、生前「アマデウス」と呼ばれたことも、名乗ったことも、まして署名などしたこともなかった。
嘘だと思うなら、本書をご一読いただきたい。
モーツァルトは、ある時期から自筆の楽譜に「アマデーオ」と、書簡の類には「アマデ」とサインし、その名を死ぬまで大切に使い続けた。
それはなぜか。なぜなら、それはモーツァルトにとって唯一の宝であり、自身を支える矜持だったからだ。
にもかかわらず、生涯大切にした最愛の名前を、死後、誰が何のためにモーツァルトから引き剥がし、似て非なる「アマデウス」に改竄してしまったのか……。
著者は、不遇のうちに35年の短い生涯を終えた天才の渇望と苦悩に寄り添いながら、その謎を解き明かしていく。
さらに、返す刀で西洋音楽史の欺瞞にも切り込んでいく。

●目次
序曲  名前の話
第1章 親からもらった名前
第2章 ヴォルフガングとアマデーウス・モーツアルト的
第3章 悪夢への前奏曲
第4章 悪夢のドラマ 
間奏曲 第1《バスティアンとバスティエンヌ》の怪/第2 ジュゼッペ・アフリージョ
第5章 イタリアの陽光
第6章 アマデーオ降誕
第7章 ドラマの終わり
第8章 ウィーンの亡霊たち──陰謀・噂
第9章 モーツァルトの死
第10章 ドイツ語圏に家がない
フィナーレ アマデーオ、孤高の王国
アンコール  だれがアマデウスを作ったか
あとがき
蛇足
巻末付録 モーツァルトの生涯の署名一覧(作品における署名/手紙における署名)

●著者プロフィール
石井 宏(いしい・ひろし)
1930年、東京生まれ。音楽評論家、作家、翻訳家。東京大学文学部美学科および仏文科卒。
主な著書に、山本七平賞を受賞した『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』をはじめ『素顔のモーツァルト』、『誰がヴァイオリンを殺したか』、『帝王から音楽マフィアまで』、『ベートーヴェンとベートホーフェン 神話の終り』、『チョッちゃん』、『ホタル帰る 特攻隊員と母トメと娘礼子』(共著)などのほか、主な翻訳書に『モーツァルト』、『モーツァルトのオペラ』、『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』、『モーツァルト 音楽における天才の役割』など。


【著者紹介】
石井宏 : 1930年、東京生まれ。音楽評論家、作家、翻訳家。東京大学文学部美学科および仏文科卒。著書に山本七平賞を受賞した『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • trazom さん

    モーツァルトが、生前、アマデウスと名乗ったことがないのは、ヤーンやケッヘルの時代には常識だったのに、その後、事実を曲げ、アマデウスという呼称を定着させようとした人たちがいる。それは(私の大嫌いな!)コンスタンツェであり、20世紀のモーツァルテウムを牛耳ったアインシュタインである。そのことを石井宏さんは的確に指摘している。石井さんのモーツァルト論は、いつも新鮮な発見がある。モーツァルトがクレメンス14世に会見した場にコロレード伯爵が臨席していたこと、父レオポルトの大学退学などは、初めて知る驚きの事実だった。

  • ぽてち さん

    映画『アマデウス』によって、モーツァルトの名前は“ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト”とぼくの頭にインプットされてしまったので、今更“それは違う”というタイトルの本書を見て目が点になった。種を明かせば、生前モーツァルトはアマデーオ(もしくはアマデ)という名を使っており、アマデウスという名は彼の死後から使われるようになったらしい。なぜそうなったかは、本書を読んで納得できた。映画とは異なる本当のモーツァルトの姿がわかった気がする。

  • 鐵太郎 さん

    「アマデウス」というミドルネームで有名なモーツァルトは、実は「アマデウス」と名乗ったことは一度もなかったというネタを主に、モーツァルトの生涯を新たな角度で描いたもの。「Amadé」と呼ばれてイタリアで高い評価を受けたことを喜んでそう名乗ったけど、「Amadeus」という名はドイツ語圏で勝手に使われ、彼の死後にいろいろな意図で人口に膾炙するようになったものなのだとか。それはそれでいいけれど、この天才の生涯を追うにしても納得できないところがあり、読んでいて違和感があった。作家は彼をどう評していたのだろう。

  • パトラッシュ さん

    ウィーンはモーツァルト関連グッズだらけだ。彼の肖像画をつけた商品が土産物店にいくつあるか数えるのをやめてしまったほど。なのに生前のモーツァルトはウィーンの楽壇主流に認められず亡くなったとのイメージは映画『アマデウス』で確立した。そのモーツァルトが一度もアマデウスと自称していなかったとは。ドイツ音楽界が偉大なドイツ人作曲家がドイツ名を名乗らなった歴史を抹消したという推理はサリエリによる暗殺説よりスリリングだ。ただ遺憾ながら状況証拠と推測だけで、決定的な物証に欠けている。これが論告求刑なら有罪判決は出せない。

  • ヨハネス さん

    モーツァルト本人は自分の名を「アマデウス」と書いたことはなかったなんて衝撃。モーツァルトあまり好きじゃないから知らなかったのか、あまりの不遇の人生が読めてよかったです。彼が子供の頃天然痘になったの知らなかったというか忘れてたというか。生きててくれてよかった。ヴィヴァルディがなぜ孤児院で音楽を教えたのか不思議だったけど、イタリアの港町にそういうわけで孤児が多い→教会に孤児院が付属、というのも初めて知りました。そして息子にジュスマイヤーと同じ名をつけた理由が、、恐ろしかった。

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