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ブラームス(1833-1897)

CD 交響曲全集 アダム・フィッシャー&デンマーク室内管弦楽団(3CD)(日本語解説付)

交響曲全集 アダム・フィッシャー&デンマーク室内管弦楽団(3CD)(日本語解説付)

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    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2022年09月11日

    「渋くて重厚」というこれまでのブラームス・イメージを完全にくつがえす画期的録音。つまりは驚くべき快速テンポ、すべての声部が透けて見えるような明晰な響き、スタッカート気味ですらある鋭角的なフレーズの切り上げなど、ブラームスに関して「これだけはやっちゃいけない」と言われてきたことを徹底的にやりまくった演奏。パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルの来日公演(2014年)は確かに凄まじかったが、その後の彼らの録音・録画は意外におとなしく、室内オケによるブラームス録音ではティチアーティ/スコットランド室内管をベストと考えてきたが、あらゆる点でそれを凌ぐ。 鬱屈した第1番は私にとって大の苦手曲で、ブラームスの交響曲、嫌いじゃないけど1番だけは御免こうむりたいと長年、思ってきた。そういう私にとっては絶好の「解毒剤」。それだけに守旧派の皆さんのアレルギーも強かろうが、第1楽章主部では楽章を駆動してゆくリズム・モティーフがホルン、トランペット、ティンパニで次々に打ち込まれてくるのを明確に聞き取ることができる。ティチアーティ盤は3番が最も良く、2番は物足りなかったが、この全集のハイライトは最後に録音された第2番かもしれない。「音のドラマ」としてのこの曲の頂点は第2楽章だが、これまでの指揮者たちは遅すぎるテンポでAdagio non troppo(あまり遅くないアダージョ)のクライマックスをぶち壊しにしてきたことが良く分かる--譜面のテンポ指定、ましてメトロノーム表記などは音楽の分からぬ間抜けのためにあるに過ぎないと言ったのはマーラー先生だけど。音量を抑えた出だしから一気に炸裂する終楽章も痛快そのもの。コーダの大盛り上がりはワルター/ニューヨーク・フィル(1953)以来だ。 第3番第3楽章では名高い名旋律を奏でるチェロとホルンが明瞭に分離して聞こえる(ブラームスでは響きをブレンドさせなくちゃ駄目と言われたものだが)。中間部でのスタッカートとレガートの使い分けも初めて聴く。第4番の34:13というHMVの演奏時間表記はさすがに間違いだろうと思ったが、いやいや本当だった。この曲には第1楽章提示部を含めてリピートが一切ないので、演奏時間を決めるのは指揮者の解釈だけだ。ここまでやられると、枯淡の趣きは全く見当たらず、さすがにタメが欲しいと思う局面もないではないが、中庸なテンポの行進曲(Andante moderato)である第2楽章などはまさしくわが意を得たり。名前の通りのバロック(いびつ)かつ前衛的な傑作がその姿を現わしている。

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    てつ  |  東京都  |  不明  |  2022年09月09日

    このアルバムを聴くと、自分が固定概念にいかに囚われているか、がわかる。室内オーケストラによるブラームスは、ベルグルンドのものが有名だが、彼は色付けなしでブラームスのあるがままを出そうとしたが、フィッシャーはもっと踏み込んだ。1番を聞けばわかる。冒頭のティンパニの響きから、引き締まった表現で「これこそがブラームスだ」と訴えかける。ベルグルンドと違うのはフィッシャーはとにかくアーティキュレーションに拘り、テンポを動かす。それが本当に考えた上での事だとよくわかる。その結果何が見えてきたか。1番の終楽章など、本当にいびつな曲だと間違いなく教えてくれる。本当に意図的にウケ狙いしているような、ブラームスの中でも特異な曲なんだよ、と気付かせてくれる。その意味で、全集を通じて、ブラームスのベストフォームは交響曲じゃないんだよ、と逆説的にフィッシャーは教えてくれる。2番の2楽章は気味が悪いし、3番の3楽章もスケルツォを諦めた苦し紛れの諦念だと言うし。4番の冒頭も旋律じゃなくて音形なんだと言う表現。終楽章ではなんとスル・ボンティチェロまで出て来る。まさに徹頭徹尾、スコア読み込んで浮かんだアイディアを全て書き出し、吟味を重ね取捨選択し、それをオケに徹底する。素人の想像を超える膨大な作業と思う。単に従来のアプローチへのアンチテーゼではなく、これがフィッシャーの考えるブラームスなのだろう。誰に対して、と言うわけではないが、「悔しかったらここまでやってみろ!」と言いたくなって来る。しかし、この演奏はメジャーオケでは無理だろう。練習時間の確保はもとより、絶対従来型の演奏に慣れた固定概念が抵抗勢力になる。ベートーヴェンの全集に続き、そんな凝り固まった固定概念に挑戦したフィッシャーの矜恃と見識、私は頭が下がる。でも従来型のいびつな曲想を覆い隠し、歌い上げる演奏も聴きたくなる。この演奏に惹かれつつ、そうじゃない自分もいる。自己矛盾に苛まれる。それでもジャケのフィッシャーは、「それでいいんだ、考えなさい」と穏やかに語りかける。しかし、その後ろにはうっすらと厳しい顔をしたブラームスが睨みを利かせている。まさにこのアルバムの縮図ではないだろうか。モノクロである理由がわかった気がする。

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