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Schubert (1797-1828)

SACD Symphonies Nos, 8, 9, : Dausgaard / Swedish Chamber Orchestra

Symphonies Nos, 8, 9, : Dausgaard / Swedish Chamber Orchestra

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  • ★★★★★ 

    Ibsatoshi  |  東京都  |  不明  |  08/March/2012

    ウィーン時代の私のメンターが大のシューベルト好きで、よくグレートを口ずさみながら仕事をしていたので、ムーティ版、アーノンクール版を何度も聴いて好きになろうとしたのですが、どうしても第一楽章の途中で早くもうんざり、第4楽章ではお腹いっぱい・思考停止に陥ってしまって、どうにも自分の音にはならないなと諦めていたのですが、これなら飽きずに聴けるかもしれないという期待感を持たせる演奏です。シューベルト=歌心とよくコメントされています。確かにリートも数多い作曲家ですし、室内楽の場合特に繊細な歌心が心を打つのですが、交響曲はこのようなリズムと強弱で意図的にメリハリをつけたアプローチが正解かも。

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  • ★★★☆☆ 

    チッチ  |  愛知県  |  不明  |  13/May/2011

    例えば「未完成」。約20分の高速演奏にして刻みも強烈。その劇的なたたずまい(人によっては切れば血が吹き出るとでも表現するのだろう)も、初めは目先が変わって新鮮だったが、4・5回も聴くと、何となく意図が見えてきて鼻に付く。一言で評すれば「うるさい」。録音のよさ!!と楽器編成のシンプルさも手伝って、随所にえもいえぬチャーミングを発見できるが、演奏本位となるとけっきょく半世紀も前のワルター(あるいはシノーポリ/フィルハーモニアも別のアプローチで印象的だった)あたりに回帰しそう。それでも本CDにおける「グレート」第V楽章の歌いまわしなどなかなかのものと聞こえるのだが…。シューベルトの音楽は頭ではなく、心(意味不明な言葉かな?)で聴くものだと、あらためて感じた次第。

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  • ★★★★★ 

    Maya  |  熊本県  |  不明  |  22/March/2011

    第2ヴァイオリン右の「両翼配置」がはっきりわかります。なかなか他にありません。大きな室内楽のようです。「グレート」第3楽章でインマゼール盤にあった、自筆稿?からの2?小節がなかったのが残念です。一度聴くと耳から離れない悪魔の哄笑のようなフレーズ、というかリズムの諧謔でしたが。最新の版に基づいての演奏ながら「8,9番」の呼称は残した旨の記載があります。なお表紙写真はスウェーデンのゴットランド島の風景だという表示も。細かいようですがこういった親切な情報開示もBIS社の魅力です。私にとってこの演奏の魅力は何より、すべての音が濁らずはっきり聴こえることです。なお未完成約20分、グレート約58分です。しかし拙速な感じは全くしませんでした。それがリズム感のよさによるということでしょうか。

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  • ★★★★★ 

    よはねす  |  福岡県  |  不明  |  09/May/2010

    蛇足ながら・・・反復を励行した上での最速の演奏ではないだろうか。

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  • ★★★★★ 

    蝉の抜殻  |  神奈川県  |  不明  |  04/May/2010

    シューベルトの「様式」に関する問題。「構造」とか「構成」とは異なり、「和声」とか「独自の歌いこみ」が大切だという議論に逃げ込んでいるが、それは違うのではないかと思う。現実に「歌いこみ」ができる演奏家なのに、シューベルト(特にD.944)が全く駄目な演奏家は多い。まだ明らかにされていないとされるシューベルトの様式を支えるもの。シューベルトの場合、リズムの扱いが絶対だと言われている。事実リズムを崩す演奏家のシューベルトは聴いていられない。我々はそれで「様式」がズタズタになっていることに気付くためだ(同様にどの演奏家も同じように処理する音楽家のシューベルトは論外)。では「リズム」が構造を支え、かつ表層に浮かび上がらせるものは何か?それは「時間感覚」だと思う。いろいろ話を伺って回ったが、シューベルトの様式を支えるもの、それは「時間」に間違いないだろう。ただしコレが語られることは難しいと思う。誰かが指摘していたが「時間」を操作する技術は訓練などでは決して身に付かない。ほとんど天性のようなものだ。かつ時間を操作できても、シューベルトの時間、その特殊で相対的な時間を描けなければ(特にD.944)駄目で、自分の時間を押し付ける演奏家では全く駄目。現在の演奏家ではほとんど駄目だ。これはメーカー主導の現在の市場(自分達所有の音源は価値あるもので無ければならないとするテーゼ)では認められないと思う(利点が生ずれば話は別だが)。あのヴァントのD.944があまりにも見事すぎるのは、厳格なリズム処理による時間表現の的確さのおかげだ。このダウスゴーの録音、聴かせてもらったときは驚いた。相変わらずスリム化され「歌う」シューベルトとは違う演奏なのだが、やはりリズム処理が秀逸。リズムが時計のように「時間」を刻んでいく。レビューにもあったが「明瞭すぎる」ほどだ。ヴァントとダウスゴーの演奏はまるで「シューベルトの様式とは「時間感覚」である(しかも相対としての時間)」ことを証明しているかのようだ(特にD.944(笑))。

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