小澤征爾&シカゴ交響楽団 RCA録音全集(6CD)
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ルシータ | 東京都 | 不明 | 2017年06月03日
スッキリ爽やかで軽快な演奏・録音です。展覧会の絵の終わりの近くバスドラがやや歪み気味なのが惜しいです。ボックスと小冊子の小澤氏の鮮明な写真は髪の毛が黒くフサフサしていて、なかなか若々しさを感じます。懐かしいです。当時の小澤氏は若者にとっては憧れでした。敗戦から二十数年しか経っていないのに敵国の若者に活躍の場を与えてアメリカの寛容性にも驚いたものです。5人の方が、このレビューに「共感」しています。
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テリーヌ | 兵庫県 | 不明 | 2017年04月21日
シェーンベルクの「ピアノ協奏曲」が名演です。ピーター・ゼルキンとの掛け合いが素晴らしいです。息使いが聞こえてくるようなスリリングな演奏と感じます。4人の方が、このレビューに「共感」しています。
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sunny | 兵庫県 | 不明 | 2017年03月28日
ジャケットがお若くて格好いい、俳優の息子さんがよく似てるのも、当然か。満州(現在の中国)で生を受け、ピアニストを目指し、ラグビーもやっていた体力、でも怪我をしてしまい(もし、怪我をしていなかったら・・・?)、ピアニストが指揮するのを見、指揮者を志し、親戚でもあった斉藤秀雄先生の厳しい指導に耐え、身に付け、各方面から資金援助を集め受け、当時は、日本人が自由に外国へ行けない時代に、貨物船に乗せてもらい、単身、フランスへ。締め切りに一日遅れでもコンクールに応募を認めてくれて、見事、’59年優勝。審査員のシャルル・ミュンシュはボストン響の指揮者、御褒美にベルリンのカラヤン、ボストン響が夏を過ごす、タングルウッドでもその才、認められ、レナード・バーンスタインの弟子となる。そして、日本へ。でも、ブイブイ言わしていた(汚い言葉でスミマセン)お若い小澤さんとN響は反りが合わず、’64年、覚悟を決め、日本を出て、アメリカ、カナダトロント響へ。アメリカでは、第二次世界大戦の敵国、音楽の伝統も無い東洋人が指揮する、と、言うだけで嫌がられた事もあるが、その指揮する音楽を聴いたアメリカの偉い人、シカゴ響の夏の音楽祭、「お前に預ける」、とまで、言わせた末に出来上がったレコード(ああ、長い、くどい)。そして、日本人が初めて、西洋音楽を、アメリカの本格オーケストラ、メジャーレーベルで指揮、録音して、聴かせてくれた音楽。きっと、当時のヨーロッパ、アメリカ人には、いや、日本人にも、驚きと新鮮、こいつは凄い、と、思わせる音楽。その頃伝統を嫌うゼルキン息子さんとは、この録音の51年を経て、2016年、80歳の小澤さん、病いを押して指揮したベルリンフィルと、ベートーヴェンで共演。7人の方が、このレビューに「共感」しています。
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