ショスタコーヴィチ(1906-1975) プロフィール
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【人物情報】
作曲者ショスタコーヴィチの年表を掲載しておきます。
◆ ショスタコーヴィチ年表
1906 1907 1908 1909 1910 1911 1912 1913 1914 1915 1916 1917 1918 1919 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926 1927 1928 1929 1930 1931 1932 1933 1934 1935 1936 1937 1938 1939 1940 1941 1942 1943 1944 1945 1946 1947 1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954 1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975


ロシア帝国 [1906-1917] (0〜11歳)
◆=ショスタコーヴィチ関連 ●=社会関連 ★=区切り
◆ 9月25日、ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ、ロシア帝国首都、サンクトペテルブルク、ポドルスカヤ通り2番地で誕生。建物は元素周期表で有名なメンデレーエフ[1834-1907]が、市の度量衡局のために賃借していた物件で、ショスタコーヴィチ家では頻繁に両親や両親の友人たちによる演奏がおこなわれていました。
ドミトリーの名付け親は有名な児童文学作家のクラウディア・ヴラジミロヴナ・ルカシェヴィチ[1859-1937]。ルカシェヴィチは1885年から1890年にかけて夫の仕事の都合でイルクーツクに滞在し、そこで創作しながら教育者としても活動。ショスタコーヴィチの父ドミトリーと母ソフィアも1880年代から90年代までイルクーツクに居住。
◆ ニコラエフスカヤ通りの物件の5階に転居
◆ 父ドミトリー、度量衡局検証室長に就任
● ロシア帝国で飢饉、農村部中心に人口の約22%が飢餓状態に
● 6月、ロシア帝国領ベロストーク(ポーランドのビャウィストク)でポグロム発生。ポーランド人らによりユダヤ人80人が虐殺
● 7月、サンクトペテルブルク近郊のクロンシュタットで武装蜂起
◆ 2月、父ドミトリーの上司であるメンデレーエフ局長が死去
◆ 父ドミトリー、度量衡局を退職し、レンネンカンプ地所の泥炭採取業を監督する総支配人に就任。高給だったため、ショスタコーヴィチ家は、夏にはサンクトペテルブルク郊外のラドガ湖畔、イリノフカで休暇を過ごすようになります
● 6月、ロシア第一革命、ロシア帝国政府に鎮圧されて終結
● ロシア帝国で飢饉発生
● ロシア帝国と大英帝国の間で英露協商が締結。100年近く続いたロシア帝国と大英帝国の中央アジア地域での地政学的対立「グレート・ゲーム」が終了
◆ 8月21日、妹ゾーヤ・ドミトリエヴナ・ショスタコーヴィチ(フルシチョワ)[1908-1990]、誕生
● サンクトペテルブルクの実業家や貴族が所有するレナ金鉱組合が一帯の鉱山を買収し、ロンドン、パリ、サンクトペテルブルクでも株式の取引が開始
◆ 母方祖父ヴァシリー、死去
● 4月17日、レナ川虐殺事件発生。イギリス系企業「レナ金鉱株式会社」の鉱山労働者のストライキが3千人の規模に達したため、ロシア帝国軍がボダイボとキレンスクに派兵され労働者に発砲、170人を殺害し、200人以上を負傷させてストライキを終わらせた事件。株主にはロシア帝国の王室や政治家、官僚が名を連ねていました。これにより抗議ストライキが全国に波及
◆ 父ドミトリー、軍需産業に投資する会社に管理職として転職
● 7月、金本位制の停止
● 8月、ドイツがロシアに宣戦布告。ロシア帝国が第1次大戦に参戦
● 8月、サンクトペテルブルクがペトログラードに改名
● 8月、ドイツがオスマン帝国に巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブレスラウを売却。ドイツ人乗員はそのまま残り、ロシア攻撃に向けて待機

◆ 春、初めてのオペラ鑑賞。「サルタン皇帝の物語」
◆ 夏、母によるピアノのレッスン開始
◆ マリア・シドロフスカヤ商業ギムナジウムに入学
◆ ピアノ曲「兵士」
● ロシア帝国、第1次大戦継続
◆ マリア・シドロフスカヤ商業ギムナジウム在学
◆ グリャッセル音楽学校に入学
● 7月、中央アジアで民族主義者の反乱
● ロシア帝国、第1次大戦継続
◆ マリア・シドロフスカヤ商業ギムナジウム在学
◆ グリャッセル音楽学校在学
◆ 3月、「2月革命」の犠牲者184名を追悼するペトログラード市民約1万人が「同志は倒れぬ」を唱和する葬送行進に参加。この経験をもとに「革命の犠牲に捧げる葬送行進曲」を作曲。1938年の映画音楽「偉大なる市民」のラストを飾る曲としても使用
● 3月8日(ユリウス暦:2月23日)、「2月革命」がペトログラードで勃発。市民革命
● 3月12日、ロシア臨時政府、ペトログラードで樹立。ロシア社会民主労働党内のメンシェヴィキ主導による政府。ニコライ2世退位。ロシア帝国崩壊
● 3月14日、ウクライナ中央議会成立
● 6月、第1回全ウクライナ人極東会議が開催
● 7月17日、「7月蜂起」。ペトログラードでレーニン率いる約50万人のデモ隊が行進したため、ケレンスキー率いるロシア臨時政府が数千人の警察官と兵士を派遣して鎮圧

● 11月6日、「10月革命」がペトログラードで勃発
レーニン体制 [1917-1924] (11〜17歳)
◆ 父ドミトリー、「10月革命」後の産業国有化に際し、国営企業に就職。ほどなく度量衡局に戻り、副局長に就任
◆ 「10月革命」後、ソヴィエト政府が紙幣を乱発したおかげでハイパーインフレが引き起こされ、ショスタコーヴィチ家では使用人を解雇
◆ ショスタコーヴィチ家ではクリミアのアルシタの不動産を売却することでハイパーインフレに対応
● 11月7日(ユリウス暦:10月25日)、10月革命。ロシア社会民主労働党内のボリシェヴィキ主導による「ロシア社会主義連邦ソヴィエト共和国(RSFSR、以下、ソヴィエトと略)」政権樹立
● 11月、ドイツ帝国とソヴィエトが停戦協定
● 11月、ウクライナ人民共和国(首都キーウ/キエフ)、成立。1920年11月まで存在。公用語はウクライナ語。反ソヴィエト派
● 12月、ウクライナ=ソヴィエト戦争勃発。ソヴィエト側は内戦と第1次大戦との同時進行
● 12月、ブレスト・リトフスクで講和条約締結に向けての交渉が開始。ドイツは引き延ばしを図り、ソヴィエト側は、推進派のレーニンと打ち切り派のトロツキーが対立するなど交渉は難航
● 12月、ウクライナ人民共和国(首都ハルキウ/ハリコフ)、成立。1918年3月まで4か月間存在。公用語はウクライナ語とロシア語。親ソヴィエト派
● 12月16日、婚姻解消令
◆ マリア・シドロフスカヤ商業ギムナジウム在学
◆ 第13中学校に転校
◆ グリャッセル音楽学校を退学
◆ シンガリョーフとココーシキンに捧げる葬送行進曲
● 1月、立憲民主党幹部ので元ロシア臨時政府閣僚のシンガリョーフとココーシキンが水兵らによるリンチで殺害
● 2月9日、ブレスト=リトフスク条約により、西ウクライナがドイツの保護領に。中央同盟国(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン、ブルガリア)とウクライナ人民共和国西部の中央議会が単独講和。西ウクライナの中央議会が、ドイツとオーストリア=ハンガリーに穀物100万トンを提供することでソヴィエトから守られるという安全保障条約
● 2月18日、ブレスト・リトフスク条約により、西ウクライナを保護領としたドイツが、ソヴィエトとの停戦協定を一方的に破棄、西ウクライナ軍と共に、ソヴィエトを攻撃。レーニンは講和条約締結を決断
● 3月3日、ブレスト・リトフスク条約。中央同盟国とソヴィエトが単独講和。この条約により、ソヴィエトは第1次大戦から離脱し、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、ウクライナなどの権利を放棄しドイツに割譲
● 4月29日、ウクライナでクーデター発生。ドイツ占領軍の支援を受けて、スコロパドスキーが政権を掌握。ドイツ軍がウクライナ中央議会を排除したため、ウクライナ人民共和国は独裁国家化。スコロパドフスキーはロシア帝国時代の将軍でウクライナの地主。極右のスコロパドフスキーは、首都キエフを反ユダヤ主義者の拠点としたため、ロシア全土から反ユダヤ主義政治家や軍人たちが結集
● 5月17日、「ロシア内戦」勃発。チェコスロヴァキア軍団の反乱。ソヴィエト当局による武装解除に反発した約5万人規模のチェコスロヴァキア人部隊によるもの。ヴォルガ、ウラル、シベリア、極東で蜂起
● 6月、チェコスロヴァキア軍団がサマーラを占領し、「憲法制定議会議員委員会」を設立
● 8月、「シベリア出兵」。チェコスロヴァキア軍団の救出を名目とし、白軍と共に赤軍と戦う部隊を日本、アメリカ、イギリス、フランスなどが極東のウラジオストクに派兵した「シベリア干渉戦争」勃発
● 9月16日、家族法成立
● 10月、西ウクライナ人民共和国(首都リヴィウ/リヴォフ)、成立。1919年1月まで存在。公用語はウクライナ語。反ソヴィエト派
● 11月3日、オムスクで「臨時全ロシア政府」が樹立。誕生間もないシベリア共和国を吸収。イギリスの後援による反ソヴィエト政権
● 11月3日、ドイツで革命が勃発。ドイツ帝国の崩壊
● 11月11日、ポーランド独立宣言
● 11月13日、中央同盟国の降伏により、ソヴィエトがブレスト=リトフスク条約を破棄
● 11月、「ウクライナ・ポーランド戦争」勃発。西ウクライナの独立宣言を受けて、ポーランドがガリツィア(ウクライナ南西部)に侵攻。フランスがポーランドを支援
◆ 第13中学校に転校在学
◆ 疎開地レスノエ(リトアニア近くの海岸)のペンションに3週間滞在。10歳のナターリャ・クーベとクルイローフの2つの寓話を演じ合うなどして親交(翌年作曲)
◆ ペトログラード音楽院に入学。和声と管弦楽法をシテインベルクに、対位法をソコロフに師事したほか、指揮も勉強。入学の際、院長のグラズノフの前で「N.K.(ナターリャ・クーベ)に捧げる前奏曲」を演奏。
◆ スケルツォ第1番(管弦楽版)
◆ 祖父ボレスラフ、イルクーツクで死去
◆ クレンペラーの指揮でベートーヴェンの交響曲第9番を鑑賞。クレンペラーはソ連に数多く客演。ショスタコーヴィチはのちにピアノで交響曲第4番を披露
● 1月、ウクライナ人民共和国(首都キーウ/キエフ)が、西ウクライナ人民共和国を併合
● 2月、「ソヴィエト・ポーランド戦争」勃発。「ソヴィエト&ウクライナ人民共和国(首都ハルキウ/ハリコフ)」と、「ポーランド&ウクライナ人民共和国(首都キエフ/キーウ)」の戦争。ソヴィエト側は「ロシア内戦」、「シベリア干渉戦争」との同時進行
● 3月、レーニンがポグロム反対を表明
● 6〜10月、キエフ・ポグロム発生。白軍(白衛軍)の義勇部隊による大規模なポグロム。白軍司令部は非難するものの義勇部隊はそのまま継続。周辺にも拡大し、1921年にかけてウクライナで合計1,326件のポグロムが発生し、少なくとも3万人から7万人以上のユダヤ人が虐殺され、約50万人のユダヤ人が家を失っています
● 7月、「ウクライナ・ポーランド戦争」の終結。ポーランドが勝利
● 10月、「ソヴィエト・ポーランド戦争」でポーランド側のウクライナ人民共和国(首都キーウ/キエフ)の軍でチフスが大流行し、兵力の70%を喪失。ウクライナ民族主義者、シモン・ペトリューラ大統領はポーランドに亡命
● 12月、ウクライナの大規模なポグロムに抗議するデモがニューヨークで実施。デモではウクライナのユダヤ人犠牲者は12万人に達したと非難
● 「シベリア干渉戦争」継続
● 「ロシア内戦」継続
◆ ペトログラード音楽院ピアノ科でニコラーエフに師事。ユージナ[1899-1970]やソフロニツキー[1901-1961]がクラスに在籍
◆ 8つの前奏曲
◆ メヌエット
◆ 前奏曲と間奏曲
◆ ムルジルカ
◆ クルイローフの2つの寓話
● 4月、ワルシャワ条約調印。ポーランドとウクライナ人民共和国(首都キエフ)は、ズブルチ川を両国間の国境とする事を決定。これによりガリツィア地方東部をポーランドが領有。同地に住むウクライナ人が失望
● 7月、「ウクライナ軍事組織」がプラハで結成。メンバーは、ウクライナ・ガリツィア軍の兵士等。テロ行為を推奨し、ポーランドとウクライナの要人を何度も暗殺したほか、詩人などの有名人も殺害。爆弾テロや交通機関の破壊、郵便局強盗、警察署の爆破、通信網の破壊などを実施
● 「ソヴィエト・ポーランド戦争」継続
● 「シベリア干渉戦争」継続
● 「ロシア内戦」継続
◆ ペトログラード音楽院在学
◆ 5つの前奏曲
◆ R=コルサコフ「私は洞窟で待っていた」をオーケストレーション
◆ シューベルト:軍隊行進曲のオーケストレーション
◆ シューマン:東洋の絵のオーケストレーション
● 3月、「ソヴィエト・ポーランド戦争」終結。リガ平和条約締結。ポーランド側の勝利
● 3月、新経済政策「ネップ」開始
● 10月13日、カルス条約により、1878年にオスマン帝国から割譲されたカルス州とバトゥム州がオスマン帝国に返還
● 10月、ソヴィエト政府により、クリミア自治ソヴィエト社会主義共和国が設立。26,860平方キロメートル、人口は約72万人で、首都はシンフェロポリ。自治共和国内では、20の居住区別の自治もおこなわれ、1930年代には、6地区がクリミア・タタール人、2地区がドイツ人、2地区がユダヤ人、1地区がウクライナ人という構成。それぞれの居住区での活動が成功し、1937年には、クリミアは先進工業農民国家に変貌したと評されてもいます。ユダヤ人の多く携わる金融、貿易、職人という職業は、ソヴィエトではブルジョアの仕事として非難の対象になっており、当時約65,000人いたクリミアのユダヤ人のうち、約20,000人が集団農業に転業
● 11月、ソヴィエト政府、1万分の1の通貨切り下げを実施
● 「シベリア干渉戦争」継続
● 「ロシア内戦」継続
◆ ペトログラード音楽院在学
◆ 父ドミトリー、47歳で死去
◆ 家計の為、映画館で無声映画上映に合わせて即興でピアノ演奏する仕事を開始
◆ グラズノフがショスタコーヴィチの窮状を見かねて個人的な奨学金で支援
◆ 肺リンパ腺結核に罹患し頸部リンパ節腫脹
◆ グラズノフの斡旋でクリミアのサナトリウムで療養
◆ クリミアで初ピアノ・リサイタル
◆ クリミアのサナトリウムに療養に来ていたタチアーナ・グリヴェンコと知り合い交際開始
◆ 5月、ピアノのための3つの幻想的な舞曲をフルシタツカヤ通りの学校の卒業式で初演。名づけ親ルカシェヴィチの依頼によりショスタコーヴィチが演奏。
◆ 主題と変奏(管弦楽版、Pf版)
◆ クリローフの2つの寓話(合唱・管弦楽版、Ms・Pf版)
◆ 2台のピアノのための組曲
◆ ピアノ三重奏曲第1番
◆ 初めに言葉ありき(断片。4重唱、または合唱)
● 10月、ソヴィエト政府、100分の1の通貨切り下げを実施
● 10月、「シベリア干渉戦争」終結。ソヴィエトの勝利
● 11月、「ロシア内戦」終結。ソヴィエトの勝利
● 12月、ソヴィエト社会主義共和国連邦成立宣言(以下、ソ連と略)
● 12月16日、レーニン、2度目の脳梗塞発作。右手の麻痺はあるものの仕事は口述で遂行
● モスクワ放送局、ラジオ放送開始。3月に完成した高さ150mの鉄塔から電波を送信。

● 12月30日、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国、ソ連に参加
◆ ペトログラード音楽院在学
◆ ピアノのための7つのフーガ(未完)。ロ短調ミサの引用など含む作品
◆ 12月、バレエ「人魚姫」の作曲を中止。1926年にスコアを破棄
● 3月10日、レーニン、3度目の脳梗塞発作。回復せず10か月後に死去。その間、スターリンが実権掌握
● 11〜12月、紙幣の種類に、10,000ルーブルと15,000ルーブルが追加
● ソ連政府、コレニザーツィヤ(現地化)政策の実施を共産党大会で決定。これにより、ロシア語以外の地区における摩擦や緊張を和らげ、政治や行政の円滑な運用を想定
◆ ペトログラード音楽院在学
● 1月21日、レーニン、死去

スターリン体制T(大粛清前) [1924-1936] (17〜29歳)
◆ レニングラード音楽院在学
◆ スケルツォ第2番(管弦楽版→交響曲第1番の最初の第3楽章、Pf版)
◆ チェロとピアノのための3つの小品
● 1月22日、スターリンが最高指導者に選出
● 1月、ソ連憲法制定
● 1月、ペトログラード、レニングラードに改名
● 3月、ソ連政府、通貨改革実施。旧紙幣50,000ルーブル=1924年度紙幣1ルーブルという基準。ソヴィエト以後の切り下げは、これで500億分の1になった計算
● 2月、紙幣の種類に、25,000ルーブルが追加
● 8月、ソ連政府、酒類販売を許可。10年間の酒類販売禁止期間中に、モルヒネやコカインなど麻薬中毒患者が増えすぎたため。一方でアルコール中毒患者も増加するものの、麻薬中毒よりは社会的影響が少ないという判断
● ソ連政府、麻薬販売を違法とし、違反者には懲役10年の刑。これにより麻薬使用者が激減
◆ レニングラード音楽院卒業
◆ レニングラード音楽院大学院に進学
◆ ◆ 交響曲第1番作曲
◆ 弦楽八重奏のための前奏曲とスケルツォ
● 1月、ソ連労働者階級ユダヤ人農業組織化協会設立。ウクライナへのユダヤ人入植を奨励・支援
◆ レニングラード音楽院大学院在学
◆ 5月、交響曲第1番初演成功
◆ 夏、恋人のタチアーナ・グリヴェンコと共に黒海リゾートに数か月滞在
◆ ピアノ・ソナタ第1番
◆ レニングラード音楽院大学院在学
◆ 第一回ショパン・コンクールにソ連代表者としてオボーリンと共に選出。オボーリン第1位、ショスタコーヴィチ特別賞
◆ 交響曲第2番「10月革命に捧ぐ」
◆ 弦楽八重奏のための2つの小品
◆ ピアノのための10の格言集
◆ レニングラード音楽院大学院在学
◆ ニーナ・ワルザールと交際開始
◆ オペラ「鼻」
◆ タヒチ・トロット
◆ 吹奏楽のためのスカルラッティの2つの小品
● 第1次5か年計画(スターリン体制の本格始動)
◆ レニングラード音楽院大学院卒業
◆ メイエルホリド劇場音楽部長(3か月間)
◆ 交響曲第3番「メーデー」(合唱・管弦楽版、独唱・Pf版)
◆ 劇音楽「南京虫」
◆ 同「射撃」
◆ 映画音楽「新バビロン」
◆ E.ドレッセルのオペラ『コロンブス』ための2つの小品(管弦楽)
● 2月、「ウクライナ民族主義者組織(OUN)」がウィーンで結成。反ポーランド、反ソ連の組織で、当初は要人暗殺などを実施
● 世界大恐慌
◆ タチアーナ・グリヴェンコの婚約を聞きレニングラードに来るよう懇願
◆ バレエ「黄金時代」
◆ 劇音楽「処女地」
◆ ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」(2台ピアノ編曲)
◆ タチアーナ・グリヴェンコが結婚
◆ タチアーナに対して、夫と別れてレニングラードに来るよう懇願
◆ 弦楽四重奏のための2つの小品
◆ バレエ「ボルト」
◆ 映画音楽「ひとり」
◆ 同「黄金の丘」
◆ 劇音楽「条件付の死者」
◆ 4月、タチアーナ・グリヴェンコが出産。ショスタコーヴィチはタチアーナを諦めます
◆ 5月、ニーナ・ワルザール[1909-1954]と結婚。ニーナは結婚しても旧姓を使用
◆ 作曲家同盟レニングラード支部の運営委員に選出
◆ 12月、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」完成
◆ 日本の詩人の詩による6つの歌(テノール・管弦楽、テノール・Pf)
◆ 劇音楽「ハムレット」
◆ 映画音楽「呼応計画」
● 12月、ソ連国内パスポート制度導入
◆ 24の前奏曲
◆ ピアノ協奏曲1番
◆ ヴァイオリン協奏曲1番
● ソ連・ポーランド不可侵条約締結
● カガノーヴィチによる民族主義運動抑圧政策でウクライナ国境封鎖。ソ連の輸出を支えていたウクライナ農作物の過剰な収奪により、人工的な大飢饉(ホロドモール)となり、栄養失調により免疫機能の衰えたウクライナの農民たちは、翌年にかけてチフスなどで多くの人が犠牲になります
◆ 1月、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」初演。大成功
◆ 春、レニングラード国際音楽祭で通訳を務めたコムソモールの20歳の学生、エレーナ・コンスタンチノフスカヤと知り合い、自宅での英語のレッスンをきっかけに交際開始
◆ 妻ニーナに対し、離婚を求める手紙を出すものの、ニーナは田舎に行き返信無し
◆ 8月、妻ニーナから離婚の申し出
◆ レニングラード市の区議会議員に選出
◆ マクベス夫人が興行的に大成功し印税収入でサッカーチームに長期同行開始
◆ チェロ・ソナタ
◆ ジャズ組曲1番
◆ 映画音楽「僧侶と労働者バルダの物語」
◆ 同「愛と憎しみ」
◆ 劇音楽「人間喜劇」
◆ 春、妻ニーナと離婚手続きを開始するものの土壇場で中止
◆ ニーナとよりを戻します
◆ バレエ「明るい小川」
◆ 映画音楽「マキシムの少年時代」
◆ 同「幼なじみ」
◆ 1〜2月、プラウダ批判でマクベス夫人の評価が一転
◆ 明るい小川も批判
◆ 5月、長女ガリーナ誕生
◆ 5月、交響曲第4番完成
◆ 劇音楽「スペインに敬礼」
● 4月、ソ連政府、1ルーブル=4.25フランス・フランに設定。フランス・フランの切り下げにより
スターリン体制U(大粛清以降) [1936-1953] (29〜46歳)
◆ 9月、姉マリアの夫で物理学者のフセヴォロド・フレデリクスが告発され、NKVDにより逮捕。10年の刑となりコミ共和国で技術者として強制労働
◆ 12月、交響曲第4番リハーサル中止、初演取りやめ
◆ プーシキンの詩による4つのロマンス
● 8月、ニコライ・エジョフ[1895-1940]率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)による「大粛清」の開始。多くの政府関係者と軍関係者を手早く処刑し、さらにそこに国民による爆発的な数の「密告」も加わって、2年間で60万人以上とも言われる膨大な犠牲者を生み出すことになります
● 11月、スターリン憲法制定。官僚制を強化
◆ レニングラード音楽院講師
◆ 11月、交響曲第5番初演大成功
◆ 国歌「インターナショナル」のオーケストレーション
◆ 映画音楽「マキシムの帰還」
◆ 同「ヴォロチェーエフの日々」
● 大粛清継続
● モスクワ放送でテレビ放送開始
● ソ連政府、通貨の基準を仏フランから米ドルに変更(フランスの金本位制離脱の為)。対米ドル相場は1米ドル=5.3ルーブルと決定
◆ 5月10日、長男マクシム誕生
◆ 弦楽四重奏曲第1番
◆ ジャズ組曲2番
◆ 映画音楽「ヴィボルグ地区」
◆ 同「友人」
◆ 同「偉大なる市民」
◆ 同「銃を持つ人」
● 8月、ベリヤがNKVDの議長代理に就任し、エジョフの権限を奪うことで大粛清終了。ベリヤはスターリンと同じくグルジア正教の家庭の出身
11月には内務人民委員に選出
◆ レニングラード音楽院教授に昇格
◆ レーニン交響曲(未完、素材は6番に転用)
◆ 交響曲第6番
◆ アニメ映画音楽「愚かな小ねずみ」
◆ フィンランドの主題による組曲(7つのフィンランド民謡)
● 8月、モスクワで独ソ不可侵条約締結(秘密議定書では東欧分割も策定)
● 9月、ドイツとスロヴァキアがポーランドに侵攻(第2次大戦開戦)
● 9月、ソ連がポーランドに侵攻
● 10月、ポーランド降伏。ドイツとソ連に分割占領。。ソ連はウクライナとベラルーシに、領有したポーランドを割り振り、1941年7月のバルバロッサ作戦敗退までの約2年間、領有を継続
● 11月、ソ連がフィンランドに侵攻
● クリミア自治ソヴィエト社会主義共和国の人口は国勢調査により約112万6千人と発表。内訳は、ロシア人が49.6%(約55万8千人)、クリミア・タタール人が19.4%(約21万8千人)、ウクライナ人が13.7%(約15万4千人)、ユダヤ人が5.8%(約6万5千人)、ドイツ人が4.6%(約5万2千人)等
◆ 労働赤旗勲章
◆ ピアノ五重奏曲
◆ 劇音楽「リア王」
◆ ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」(オーケストレーション)
◆ J.シュトラウス「ウィーン気質」「観光列車」(オーケストレーション)
◆ 映画音楽「コルジンキナーの冒険」
● ポーランド東部を、ソ連が領有。ポーランド東部の人口は約1,350万人
● 2月、大粛清実行責任者エジョフとその部下たちが処刑
● 2月、メイエルホリド処刑
● 3月、フィンランドが敗北し、ソ連とモスクワ平和条約に調印。約42万人が住むカレリア地方などをソ連に割譲
● 5月、ドイツがオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスに侵攻
● 7月、ドイツがイギリスを攻撃
● 8月、ソ連がバルト3国を併合
● ポーランドの内務大臣暗殺により1935年から終身刑でワルシャワの刑務所で服役していたウクライナの民族主義者、ステパン・バンデラ[1909-1959]をドイツ軍が釈放。バンデラはウクライナ民族主義者組織に戻ってリーダーとなります
◆ ピアノ五重奏曲でスターリン賞(第1席、賞金10万ルーブル)
◆ 7月、ショスタコーヴィチ、レニングラードで交響曲第7番作曲に着手
◆ 9月、交響曲第7番第1楽章、レニングラードでスケッチ完成
◆ 9月、交響曲第7番第2楽章、レニングラードでスケッチ完成。放送で談話
◆ 9月、交響曲第7番第3楽章、レニングラードでスケッチ完成
◆ 10月、ショスタコーヴィチ家、臨時首都クイビシェフに避難
◆ 12月、交響曲第7番第4楽章スケッチ、および全体のオーケストレーション、クイビシェフで完成
◆ 12月、オペラ「賭博師」作曲開始
◆ 連隊は恐れずに歩む
◆ コミッサールの誓約
● 4月、ドイツがユーゴスラヴィアとギリシャに侵攻
● 6月、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻。「大祖国戦争」開戦
● 7月5日、バンデラ、ドイツの占領軍当局により逮捕され自宅軟禁。7月6日にベルリンのザクセンハウゼン強制収容所に送致。1944年9月に数百人のウクライナ人らと共に釈放。終戦後はウクライナがソ連になったため戻れず、南ドイツに移住し、アメリカとイギリスの諜報機関と協力。1952年にウクライナ民族主義者組織を離れ、西ウクライナでソ連に抵抗活動を続けていたウクライナ蜂起軍の司令部と連携。1956年からはウクライナ民族主義者組織の海外での活動に協力。そして1959年10月15日にミュンヘンでKGBによって暗殺。
● 7月、1934年からレニングラード第一書記のジダーノフが同防衛委員会の責任者も兼務(1945年1月まで)
● 7月、レニングラードで食料配給制開始
● 7月、赤軍、ポーランドでドイツ軍に破れ撤収。ポーランド全土がドイツ領に
● 8月、ドイツがウクライナを占領。「帝国管区ウクライナ」とし、親衛隊が直接統治。西ウクライナでは、ナチス・ドイツを解放者として歓迎
● 9月、ウクライナの首都キエフのバビ・ヤールでユダヤ人など大量虐殺。虐殺実行部隊は約1,200人のウクライナ人と、約300人のドイツ人。29日と30日だけでキエフ市民のユダヤ人ら33,771人が殺害。その後も虐殺行為は続けられ、赤軍に解放される1943年11月までの2年間に計7〜12万人のユダヤ人、ロシア人、ウクライナ人、ロマなどが殺害
● 9月、ドイツなどによるレニングラードへの攻撃が開始。まずドイツが食糧貯蔵庫や燃料貯蔵庫を爆撃
● 10月、レニングラードの水道、ガス、電気施設をドイツが攻撃
● 10月、ドイツによる爆撃でレニングラード市民の死者約6千人
● 10月、モスクワ攻防戦(翌年1月まで)。政府機能をクイビシェフに疎開(1944年まで)。多くの政府関係者や学校関係者、文化関連機関関係者が疎開するものの、市民の多くは残されていたため、ピアニストのマリア・ユージナなどは疎開せずに活動
● 11月、ドイツによる爆撃でレニングラード市民の死者約9千人
● 12月、レニングラード市民の餓死・凍死者約3万9千人
● 12月、ウクライナ民族主義者組織がウクライナで虐殺したユダヤ人の数が15万人から20万人に到達
◆ 3月、交響曲第7番、臨時首都クイビシェフで世界初演(サモスード指揮)。内外に放送
◆ 3月、交響曲第7番モスクワ初演
◆ 交響曲第7番の成功によりスターリン賞(第1席、賞金10万ルーブル)
◆ 6月、交響曲第7番、イギリスで西側初演
◆ 7月、交響曲第7番、アメリカ初演。以後、アメリカ各地で翌年にかけて62回演奏
◆ 8月、交響曲第7番、レニングラード初演(エリアスベルク指揮)
◆ 10月、ショスタコーヴィチ、ロシア共和国功労芸術家の称号を授与
◆ 12月、オペラ「賭博師」、全25場中8場まで作曲して断念
◆ シェイクスピアの詩による6つのロマンス
◆ 音楽舞踏劇「祖国」
◆ わがレニングラード
◆ 荘厳な行進曲
● 1月、ドイツの攻撃によりレニングラードの水道、暖房、電気が停止
● 1月、レニングラードの食料配給停止
● 1月、レニングラード市民の死者、餓死・凍死など約9万7千人
● 2月、レニングラード市民の死者、餓死・凍死など約9万6千人
● 4月、レニングラード市民の死者、餓死など6万4千人
● 4月、「ユダヤ反ファシスト委員会」設立。アメリカの投資家たちから莫大な資金を調達。その資金をソ連政府は戦費として使用
● 4月、ドイツ軍、占領下クリミアのユダヤ人ゼロを宣言。女性と子供、老人などを大量虐殺(男性の多くはソ連の兵役と労働で不在)
● 5月、レニングラード市民の死者、餓死など約5万人
● 6月、ソ連、石油パイプラインをラドガ湖の湖底に敷設しレニングラードへの供給を開始
● 6月、レニングラード市民の死者、餓死など約3万4千人
● 夏、ドイツによるレニングラード猛爆撃
● 10月、「ウクライナ蜂起軍」が結成。赤軍に対してもテロ活動を展開
● 「大祖国戦争」継続
◆ 妻ニーナ、レニングラード大学で物理学を研究していた学生時代の友人で、物理学者のアルチョム・アリハニアン[1908-1978]とモスクワで再会。アリハニアンは宇宙線研究のための高山での観測と研究所での実験のための共同研究者を探しており、ニーナはこれを承諾。
◆ 5月、芸術問題委員会顧問に選出
◆ 夏、妻ニーナ、アルメニアのアラガツ山、標高3,250m地点で宇宙線を調査する高地探検隊に参加。アリハニアンとティナ・アサティアニ(前年の初遠征でも活躍した女性科学者)の提案した新たな調査方法に協力し、空気シャワーの構造研究で新たな発見をおこなっています。
この驚きの出来事により、以後、ニーナはモスクワの南約2千キロのエレヴァン(とアラガツ山)に何度も長期出張して共同研究をおこない、やがて1954年12月、実験に伴う放射線障害により45歳で急死するまでの11年間、モスクワとの二重生活を送ることになります。
アリハニアンは1938年に兄と共に中性微子(ニュートリノ)に関する研究などをおこない、1941年にはそれらが評価されてスターリン賞第2席を受賞。1942年の夏には宇宙線を調査するため12名から成る遠征隊を編成して、2トンの機材と共に高山調査を開始、その成功によりこの1943年にも再遠征のための人材探しをおこなっていました。

◆ 7月、交響曲第8番第1楽章、モスクワで完成
◆ 8,9月、交響曲第8番第2〜5楽章、イヴァノヴォで作曲(モスクワの北東約200キロ)
◆ モスクワ音楽院教授
◆ 11月、交響曲第8番モスクワで初演
◆ ピアノ・ソナタ第2番
◆ 愛国歌
◆ 赤軍の歌
● 1月、赤軍、モスクワ攻防戦に勝利。市民の帰還開始

● 1月、赤軍がレニングラード包囲を突破
● 1月、赤軍によりスターリングラード解放
● 2月、レニングラードへの食料と燃料の配給再開
● 4月、ナチス・ドイツSS師団「ガリーツィエン」の募集開始。1か月半ほどでウクライナ人約8万人が集結する人気ぶり。12月から活動開始
● 夏、ドイツによるレニングラード猛爆撃
● 7月、ウクライナ民族主義者組織バンデラ派のミコラ・レベド率いる部隊が、ポーランドのヴォリンでポーランド人など3万5千〜6万人を虐殺し、東ガリツィアでは2万5千〜4万人を虐殺。レベドは戦後、アメリカ戦略情報局によりアメリカ本土に逃がされて放免となり1989年まで生存
● 8月、クルスクの戦いで赤軍、ドイツに勝利(モスクワの南約500キロ)
● 9月、スターリンとロシア正教会の首脳たちがクレムリンで会見を開き、教会宥和政策を発表、「戦闘的無神論者同盟」の解散も決定
● 「大祖国戦争」継続
◆ 6月6日、姉マリアの夫で物理学者のフセヴォロド・フレデリクスがゴーリキー(ニジニ・ノヴゴロド)の病院で肺炎のため死去
◆ 8月、ピアノ三重奏曲第2番と弦楽四重奏曲第2番完成。三重奏曲は2月にノボシビルスクの作曲家ノヴィコフの家で就寝中に亡くなった親友ソレルチンスキーの追悼作品。四重奏曲は交響曲第8番と共通点のある作品
◆ 12月、ショスタコーヴィチ家でクリスマスツリー準備

◆ ピアノ三重奏曲2番
◆ 弦楽四重奏曲第2番
◆ 映画音楽「ゾーヤ」
◆ 音楽舞踏劇「ロシアの河」
◆ ピアノのための「フットボール」
● 1月、赤軍によりレニングラード解放。レニングラード在住市民は約60万人
● 10月、赤軍、西ウクライナを解放
● 「大祖国戦争」継続
◆ 交響曲第9番
◆ 勝利の春
◆ 映画音楽「普通の人々」
● 5月、ドイツが無条件降伏。「大祖国戦争」終結。ソ連の勝利
● 8月、日本が無条件降伏
● ウクライナ民族主義者組織によるウクライナの町や村でのゲリラ戦が開始。1950年代半ばまで10年ほど継続
◆ レーニン勲章(賞金1万ルーブル)
◆ ピアノ三重奏曲第2番でスターリン賞(第2席、賞金5万ルーブル)
◆ 弦楽四重奏曲第3番
● アメリカ戦略情報局、ウクライナ民族主義者と連携開始。現在に至ります
● アメリカ戦略情報局による「ベラドンナ作戦」、「リンクス作戦」。ウクライナ民族主義者と共同で
● 3月、チャーチル首相がアメリカ訪問中、マスコミが注視する場で「鉄のカーテン」という言葉を使って演説。「鉄のカーテン」という言葉そのものは1918年のロシアで使われ始め、ナチス・ドイツのゲッベルスも使用していましたが、政治・マスコミ向けの本格的なプロパガンダ・ツールとなるきっかけはこの時の演説でした。以後、世界の莫大な税公金が東西両陣営のプロパガンダや軍需産業に注ぎ込まれることになります

◆ 2月、ロシア共和国最高議会代議員
◆ 2月、レニングラード作曲家同盟理事会議長就任
◆ カンタータ「祖国の詩」
◆ 映画音楽「ピロゴーフ」
● 9月、コミンフォルム設立。スターリンに次ぐ存在でもあったアンドレイ・ジダーノフ[1896-1948]がスターリンの名のもとに組織したもので、ヨーロッパ各国の共産党との交流・調整を目的とし、アメリカのマーシャル・プランに対抗
● 12月、ソ連で通貨切り下げ実施。現金交換比率10分の1になるものの、賃金、年金などは1対1の交換比率で、国家小売価格も引き下げ。輸出優先体制継続のため為替レートはそのまま
● アメリカ戦略情報局による「トライデント作戦」。ウクライナ民族主義者と共同で
◆ ロシア共和国人民芸術家
◆ 9月、ジダーノフ批判によりモスクワ音楽院とレニングラード音楽院を解雇
◆ ユダヤの民族詩から
◆ 映画音楽「エルベ河の邂逅」
◆ 同「若き親衛隊」
◆ 同「ミチューリン」
● 2月、ジダーノフ批判。西側コスモポリタニズムを批判し、文化全般についても社会主義リアリズムを重視した方針で統制することを宣言。もともとプロレタリア芸術から発展した社会主義リアリズム芸術は、反コスモポリタニズムの視点から反ユダヤ的な方向にも展開しやすく、文学、演劇、音楽、美術、映画などに影響力を持つこととなります

● 4月、ソ連作曲家同盟の第1回総会が開催。前身は「ロシア・プロレタリア音楽家同盟」。スターリンとジダーノフにより、34歳のフレンニコフ[1913-2007]が書記長に選出。以後、フレンニコフは43年間に渡ってその地位を守り続けました。

◆ 3月、ソ連の科学文化使節団の一員としてニューヨークで開催された世界平和文化科学会議にゲラシモフ監督らと出席
◆ ソ連平和擁護委員会の委員に選出
◆ オラトリオ「森の歌」初演
◆ 「陽気な行進曲」
◆ タランテラ
◆ バレエ組曲1番
◆ 弦楽四重奏曲第4番
◆ 映画音楽「ベルリン陥落」
● 8月24日、アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、カナダ、オランダ、ベルギー、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、ルクセンブルク、アイスランド、NATOに加盟(11か国)
● ソ連政府、反ユダヤ・キャンペーンを開始。新聞・雑誌などが大規模に参加。自国からの移民が多いイスラエルに対して大規模な支援を続けていたにも関わらず、イスラエルがアメリカ側についたため。イディッシュ語の文学や演劇に関わる作家や詩人、演出家、俳優などの多くが逮捕、ロシア人であってもコスモポリタン的な人物は同じく逮捕
◆ 「森の歌」と「ベルリン陥落」でスターリン賞(第1席、賞金10万ルーブル)
◆ レールモントフ歌曲集
◆ 映画音楽「ベリンスキー」
● 3月、ソ連政府、通貨の基準をドルから金に変更。対米ドル相場は1米ドル=4ルーブルに決定
◆ 24の前奏曲とフーガ
◆ バレエ組曲2番
◆ 映画音楽「忘れがたき1919年」
◆ 革命詩人の詩による10の詩曲でスターリン賞(第2席、賞金5万ルーブル)
◆ 弦楽四重奏曲第5番
◆ カンタータ「わが祖国に太陽は輝く」
◆ プーシキンの詩によるモノローグ
◆ 7つの人形の踊り
◆ バレエ組曲3番
● 2月18日、ギリシャ、トルコ、NATOに加盟(13か国)
◆ 2月、友人のポーランドから来たユダヤ人作曲家ワインベルク[1919-1996]が、暗殺された演出家ミホエルスの義理の息子でもあることから「医師団陰謀事件」の余波で逮捕されたため、作曲家のニコライ・ペイコ[1916-1995]と共にワインベルクの身元が確かであることを伝えて釈放を要請する嘆願書を提出
● 3月5日、スターリン死去

● 3月5日、プロコフィエフ死去
マレンコフ体制 [1953] (46歳)
◆ ワインベルク、釈放
● 3月、マレンコフがソ連最高指導者に選出
● 6月、ベルリンで反ソ連暴動
● 7月、ジューコフ元帥が戦車部隊2個師団を率いて国家保安省本部を占拠、ベリヤとカガノーヴィチを逮捕
フルシチョフ体制 [1953-1964] (46〜57歳)
◆ 夏〜秋、交響曲第10番作曲
◆ 12月、交響曲第10番初演
◆ バレエ組曲4番
◆ ギリシャの歌
● 9月、ソ連最高指導者、マレンコフからフルシチョフに交代
● 12月、ベリヤ処刑
◆ ソ連人民芸術家
◆ 国際平和賞
◆ 交響曲第10番をめぐる3日間の公開討論会で勝利
◆ 祝典序曲
◆ 10月の夜明け
◆ 口づけを重ねた
◆ 映画音楽「団結」
◆ 劇音楽「ハムレット」
◆ 11月末、妻ニーナ、アルメニア出張中に放射線障害で入院。ほどなく昏睡状態に
◆ 12月5日、妻ニーナ、アルメニアのアルチョム・アリハニアンと共同研究で長期滞在中のエレバンで急死。ニーナとアリハニアンは1943年から共同研究をおこなっていました。なお、ニーナの死後もアリハニアンはショスタコーヴィチ家を訪れています
◆ 12月10日、妻ニーナ、ノヴォデヴィチ墓地に埋葬。葬儀ではポータブル・レコード・プレーヤーでショスタコーヴィチの交響曲第8番と弦楽四重奏曲が流されていました
● 2月19日、フルシチョフの独断により、ロシアとウクライナの友好を記念するものという名目でクリミア自治州の領有を、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国から、ウクライナ・ソヴィエト連邦社会主義共和国に変更
◆ 3つのヴァイオリン三重奏曲
◆ 4つのワルツ、映画音楽「馬あぶ」
◆ 母ソフィア、死去
● 5月8日、西ドイツ、NATOに加盟(14か国)
◆ 7月、32歳でコムソモール中央委員会指導者のマルガリータ・アンドレーエヴナ・カーイノワと結婚
◆ レーニン勲章(賞金1万ルーブル)受章
◆ 弦楽四重奏曲第6番
◆ スペインの歌、映画音楽「第1軍用列車」
● 2月、フルシチョフ、スターリン批判演説
● 6月、ポーランドのポズナニで反ソ暴動
● 10月、ハンガリー動乱
◆ 交響曲第11番「1905年」
◆ ピアノ協奏曲2番
◆ グリンカの主題による11の変奏曲
● 8月、ソ連のR-7が発射に成功。世界初の大陸間弾道弾(ICBM)
● 10月、ソ連のスプートニク1号が地球軌道に乗り人工衛星に。世界初
◆ 4月、交響曲第11番でレーニン賞
◆ 5月、プラハ、チューリヒ、ローマ、フィレンツェ、パリを旅行。パリでは芸術文化勲章のコマンドゥール勲章を授与されたほか、クリュイタンスとレコーディングも実施
◆ 6〜7月、渡英し、王立音楽アカデミー会員の称号授与式と、オックスフォード大学名誉博士号授与式に出席
◆ 9月、ウィフリ・シベリウス賞を受賞し賞金750万マルッカを獲得するものの、ショスタコーヴィチは当局の要請により賞金全額をフィンランド・ソヴィエト協会に寄付(当時は1ドル=320マルッカの固定レートなので現在価値に換算すると約1,600万円)
◆ 喜歌劇「モスクワ・チェリョームシキ」
● 3月、ブルガーニン首相辞任、フルシチョフ独裁体制確立
◆スウェーデンで開催された世界平和評議会に出席
◆プラハの春音楽祭に参加
◆ワルシャワの秋音楽祭に参加
◆ 10月、ソ連の音楽家代表団のメンバーと渡米し東海岸と西海岸各都市で演奏会開催。ハリウッドも訪問。科学アカデミー会員に選出
◆ 春〜夏、映画用にムソルグスキー「ホヴァンシチナ」をオーケストレーション
◆ 夏、チェロ協奏曲第1番を作曲。10月に初演
◆ 夏、マルガリータ・アンドレーエヴナと離婚。慰謝料で高額出費
◆ メキシコ音楽院から名誉博士号授与
● 1月、キューバ革命
● 1月、ソ連のルナ1号が太陽軌道に乗り人口惑星に。世界初
● 9月、ソ連のルナ2号が月面に到着(衝突)。世界初
◆ 3月、弦楽四重奏曲第7番作曲。亡き妻ニーナの思い出に捧げる作品
◆ 4月、ロシア連邦作曲家同盟を率いる第1書記に選出
◆ S.チョールヌイの詩による5つの風刺を作曲。テキストはこの年に出版された詩集からのもので、ロシア帝国時代末期に活躍した反体制詩人の作品
◆ 7月、弦楽四重奏曲第8番を作曲
◆ 7月、映画音楽「5日5夜」を作曲
◆ 9月、ソ連作曲家同盟統一党組織により共産党員候補に選出
◆ 9月、レニングラード・フィル西欧ツアーに同行
◆ ノヴォロシースクの鐘
◆ 左足を骨折
◆ ベルギー王立科学・文学・美術アカデミー会員
● 5月、ソ連領土内深くに侵入していたアメリカ軍のU2型高高度偵察機が、地対空ミサイルS-75によって撃墜。

◆ ネジダノヴァ通りの5部屋のアパートに転居
◆ 4月、ガガーリンが宇宙飛行中に口ずさんでいた歌はショスタコーヴィチの「祖国が聴いている」
◆ 9月、共産党に正式に入党。この年の党員数は約930万人で、成年人口の10人に1人以上という比率
◆ レニングラード音楽院教授に復帰
◆ 10月、交響曲第12番「1917年」
◆ 12月、交響曲第4番初演
● 4月、ソ連、有人宇宙飛行に成功。世界初。
● 4月、ケネディ大統領がキューバ爆撃を指示、上陸作戦まで実施するものの失敗
● 7月、フルシチョフにより東西ベルリンの境界閉鎖が決定
● 8月、ホーネッカーの指揮でベルリンの壁建設開始
● 10月、フルシチョフ、第2次スターリン批判演説
◆ 夏、イリーナ・アントノヴナ・スピンスカヤとヴェネツィア近郊に滞在。イリーナは1935年レニングラード生まれで27歳のユダヤ系ポーランド系ロシア人で出版社勤務の人妻
◆ 夏、イリーナと共にイリーナの叔母の家のあるリャザンに滞在
◆ 8〜9月、エジンバラ音楽祭に出演。ショスタコーヴィチ特集が組まれ30近い作品が演奏
◆ 11月、イリーナの離婚が成立
◆ 12月、イリーナと結婚
◆ ソ連最高会議代議員
◆ 右手麻痺で何度も入院
◆ 交響曲第13番「バビ・ヤール」
◆ バレエ音楽「お嬢様とならず者」
◆ ムソルグスキー「死の歌と踊り」(オーケストレーション)
◆ 交響曲第13番変ロ短調作曲
● 10月、キューバ危機
◆ オペラ「カテリーナ・イズマイロヴァ」
◆ ロシアとキルギスの主題による序曲
◆ シューマン:チェロ協奏曲(オーケストレーション)
◆ 3月、モスクワで英国音楽祭開催
ブレジネフ体制 [1964-1975] (58〜68歳)
◆ 弦楽四重奏曲第9番
◆ 弦楽四重奏曲第10番
◆ カンタータ「ステパン・ラージンの処刑」
◆ 映画音楽「ハムレット」
◆ 映画音楽「生涯のような1年」
◆ 心臓病で入院
◆ ポリオの脊髄炎と診断
● ソ連、ベトナム戦争で北ベトナムを支援
◆ レーニン勲章(賞金1万ルーブル)
◆ 社会主義労働英雄
◆ ロイヤル・フィルハーモニー協会金メダル
◆ 心筋梗塞で入院
◆ 弦楽四重奏曲第11番
◆ チェロ協奏曲2番
● 2月、ソ連のルナ9号が月面に軟着陸。世界初
◆ ヴァイオリン協奏曲2番
◆ 10月革命
◆ ブローク歌曲集
◆ 春よ春よ
◆ 交響的前奏曲「追悼」
◆ 映画音楽「ソフィヤ・ペロフスカヤ」
◆ 右足を骨折
◆ 「ステパン・ラージンの処刑」でソ連国家賞(賞金5千ルーブル)
◆ ラヨーク
◆ 弦楽四重奏曲第12番
◆ ヴァイオリン・ソナタ
● 8月、チェコ事件
◆ 交響曲第14番「死者の歌」
◆ ティシチェンコ:チェロ協奏曲1番(オーケストレーション)
◆ 弦楽四重奏曲第13番
◆ 忠誠
◆ ソヴィエト民警行進曲
◆ 映画音楽「リア王」
◆ 十月革命勲章
◆ 9月、心筋梗塞により入院
◆ 交響曲第15番
◆ 6つの歌
● 4月、ソ連サリュート1号が運用開始。世界初の宇宙ステーション
◆ 5月、東ドイツ友好の星金賞
◆ 7月、聖トリニティー大学名誉音楽博士
◆ スクリャービン生誕100周年祭実行委員会委員長
● 5月、ニクソン大統領訪ソ
● 12月、ソ連マルス3号が火星に着陸。世界初
◆ レオニー・ソンニン音楽賞(賞金30万デンマーク・クローネ)
◆ 6月、米ノース・ウェスタン大学芸術名誉博士
◆ 6月、サハロフ非難書簡に署名
◆ ラフマニノフ生誕100周年祭実行委員会委員長
◆ 弦楽四重奏曲第14番
◆ マリーナ・ツヴェタエワの詩による6つの歌曲(S、Pf)
◆ 弦楽四重奏曲第14番と男声合唱曲「忠誠」でロシア共和国グリンカ賞
◆ 10月、友人のオイストラフがアムステルダムで死去。モスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬
◆ 12月、イギリスの南極地名委員会が南極のアレクサンダー島(アレクサンドル1世島)の8つの半島の一つにショスタコーヴィチ半島と命名。近くにはストラヴィンスキー湾やバッハ棚氷、ベートーヴェン半島、モンテヴェルディ半島、リャードフ氷河、ブラームス湾も存在
◆ 弦楽四重奏曲第15番
◆ ミケランジェロの詩による組曲(Bs・Pf)
◆ マリーナ・ツヴェタエワの詩による6つの歌曲(S・Orch)
● ソ連が「ドルジバ・パイプライン」を完成。世界最大最長の石油パイプラインで、全長約8,900kmで、年間6,650万トンを輸出。北部ルートでは、ベラルーシ、ポーランド、ドイツ、ラトヴィア、リトアニアを通り、南部ルートでは、ウクライナ、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、クロアチアを通過し、それぞれに通過料収入がもたらされています
◆ 4月、フランス芸術アカデミー名誉会員
◆ ミケランジェロの詩による組曲(Bs・Orch)
◆ レビャートキン大尉の4つの詩(Bs・Pf)
◆ バレエ音楽「夢想家」
◆ ムソルグスキー「蚤の歌」(オーケストレーション)
◆ 交響曲第16番(未完。スケッチ)
◆ 7月、ヴィオラ・ソナタ 完成。チェロ版も作成
◆ 7月、体調不良により入院
◆ 8月4日、再入院
◆ 8月9日、肺がんで死去
◆ 8月14日、ノヴォデヴィチ墓地に埋葬

◆ カテリーナ・イズマイロヴァでシェフチェンコ国家賞

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