ドビュッシー(1862-1918)
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ドビュッシー(1862-1918) レビュー一覧 2ページ目

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商品ユーザーレビュー

620件
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  •  フランス留学から帰国した知人の多くが軽い鬱にかか...

    投稿日:2012/03/11

     フランス留学から帰国した知人の多くが軽い鬱にかかっていた。留学先での経験を黙して語らぬ姿勢から、僕はこの国はメランコリーの国だと思っていた。そのメランコリーの風土からどうして、あのあえかな響きがうまれ、同時にその風土を超え出ようとする強い意志の音楽が発するものか不思議に思っていた。  ベロフやミケランジェリのドビュッシーにはそのメランコリーを内向きに抱え込んだ傷が聴き取れるような気がした。それらは美しく痛ましい音楽だった。  小川典子の音楽の豊穣さはどうだろう!ドビュッシーという器の中で、音楽が指し示す超出への意志だけが光彩を放っている。彼女もまた黙して語らないが、ドビュッシーが挑んだ風土の中で無傷でいられたはずはない。だが生み出される音楽は、こんなにも自然な光と風のそよぎ、街の雑踏への慈愛に満ちた表情へと生まれ変わっている。それは、彼女の指先がピアノ的で音楽的なディテールを生活者の表情へと置き換えるコンバーターになりえた証である。  僕は練習曲集を聴き終えたところだ。こんなにくつろいで練習曲集を聴いたのは初めてだ。上手な弾き手がドレミファを弾いてくれるとき味わう音楽の初発の感動が、果てしなく続いていくおもしろさ。その音階とリズムが僕の生活の足取りさえ変えてくれるかもしれないという気分の弾み。驚くほど繊細な録音技術とともに、このCDはドビュッシーの最高の演奏だといえる。

    harunoyonosuke さん

    8
  • 歌劇「ペレアスとメリザンド」の演奏が圧倒的に凄い。...

    投稿日:2010/09/18

    歌劇「ペレアスとメリザンド」の演奏が圧倒的に凄い。本当に見事だ。音色は驚くほどに地味。他の指揮者の演奏が、音色を重視して操作したスタインウェイのようだと形容すると、アンゲルブレシュトは古いが、良く整音されたベヒシュタインを操作しているかのようだ。普通の指揮者が精密、豪華絢爛に攻めても、小さな部屋で音楽が進行しているかのように聴こえるこの曲。ドビュッシーの音楽は音色の幅を広げるだけでは駄目だ。そのレベルでドビュッシーを取り繕う演奏群を一蹴するかのように、アンゲルブレシュトの演奏は、色彩を落とした諧調表現のようにも聴こえる。しかし個々の音のエッジは明瞭に出されている。例えばラヴェルの曲が和音の中心に不協和音のクラスターを配置する作風のため、静かな響きでは空間に広がっていかない。しかしドビュッシーの不協和音は基本的に中心和音から離れた別の音域に配置される。そのため静かな響きを作っても、高音域から低音域まで豊かに広がる。アンゲルブレシュトはその和音の響きの違いを明確に聴かせるために、最適の音色を選択している。ドビュッシーの開拓した、協和音から構成される中心和音と別の音域から関わってくる不協和音とが作り出す響きの世界。その豊かさに感心している間にこの稀代の名演は終わってしまう。ドビュッシーの曲に音色旋律の考えを導入したり、やたら精密に細部を描きこんだり、豪華絢爛の音色を持ち込んだり、表層を緩やかに処理して音色を溶かし込むような演奏は単なる勘違いで、和音の違いを聴くという行為を妨害する行為でしかない。だから雑誌等でこの曲の代表的な名演といわれているブーレーズとかカラヤンは、その他の演奏と比較すると飛びぬけた圧倒的な演奏なのだろうが、残念ながらドビュッシー演奏において最も大切な「協和音と不協和音の描き分け」において、残酷な現実だが、アンゲルブレシュトの足元にも及ばない。ドビュッシーの音域の対比効果がわかる人にとって、これは最高の演奏の一つ。歌劇「ペレアスとメリザンド」をつまらないと思っている人は多いはずだ。でもそれは演奏が良くないのだ。「ペレアスとメリザンド」は大傑作だ。その真価はドビュッシーの音域の対比効果を使いこなせる本物のプロでなければ表現できない。それだけのことだ。私はディスク・モンティーニュ盤を持っているが、もし音質が改善されていたら買い直すつもりです。

    蝉の抜殻 さん

    8
  • ドビュッシーの音楽の特徴だが、例えばラヴェルの場合...

    投稿日:2010/09/18

    ドビュッシーの音楽の特徴だが、例えばラヴェルの場合、不協和音は和音の中心にクラスターになって配置され、隠されている。しかしドビュッシーの不協和音は中心和音から離れて配置される。基本的に中心和音が存在しない音域。高、中、低のどこかに不協和音が配置される。そこがポイントだと思う。主題の連続変形、極端なダイナミズム記号の謎、コラージュ的な解釈の導入、ハーモニーの推移の可能性など、ドビュッシー解釈の重要なポイントは、その「不協和音」との関係を抜きにして論じることはおかしいのでは?ドビュッシーは中心和音と別の音域に存在する不協和音を明確に描き分けて、初めてドビュッシーになる。と、私は考えます。事実を書いて申し訳ないが、ドビュッシー演奏のほとんどは面白くない、でもそれはドビュッシーのせいではない。それを音楽に出来ない演奏家のせいだ(その種の演奏は、中心和音と不協和音の描き訳が何故か出来ていない)。この録音では中心和音と不協和音の描き訳が実に見事だ。それぞれがどう関連して発展していくのか、ここまで追及した演奏は聴いたことがない。というより、ここまで不協和音に自覚的な演奏はなかったのでは?と思う。画期的な演奏という意見に大賛成です。最高です。

    蝉の抜殻 さん

    8
  • 内容についてはいまさら言うまでもないが、ソニーはなぜク...

    投稿日:2009/10/31

    内容についてはいまさら言うまでもないが、ソニーはなぜクラム・シェル・ボックスで出してくれなかったのか。5〜6枚組のプラ・ケースの欠点は、@1〜2枚目の袖の締まりが悪いこと、A3〜4枚目の止める鉤が固いので力任せに押し込むとCDの内周にヒビが入る場合があること、B中の解説書の角が折れ曲がること。48枚組紙ジャケ・ボックスが無理なら、ドビュシー&ラベル(9枚),バルトーク&ストラヴィンスキー(8枚),シェーンベルク1&2(11枚),ベルク&ヴェーベルン(11枚),ベルリオーズ,マーラー&ブーレーズ(9枚)で分ければいいのに。コンテンツ最高ながら、パッケージ落第で減点★1です。

    skydog さん |50代

    8
  • あまりの魅力に好きにならずにいられなくなる 第一に...

    投稿日:2018/11/13

    あまりの魅力に好きにならずにいられなくなる 第一に音色の魅力から離れられない ピリオド楽器というだけでは言い尽くせないが 作曲 楽器 奏法三位一体あって織り出された風合と肌触りであり光沢である 第二に情緒に流されない即物的演奏が貫かれている スコアからの完全なる音再現がここにある 曖昧さの欠片もない しかしだからこそドビュッシーの声が聞こえる 雰囲気に呑まれない魂の揺れから生じる陰影が実在の意義として情趣を醸し出す それは真実でありまた普遍的なものでもある 健全で健康なドビュッシー観が表明されている 百年の孤独つまり時代の虜ではなく 未来へ限りなく開かれた音楽としてドビュッシー音楽がここにある どちらかというと同時代のラヴェルにシンパシーを感じてきたわたしだが 目の前の霧が晴れたようで清々しい ドビュッシーの室内楽なんて面倒くさいと思っているあなた そう言わず如何 これは美しい   

    風信子 さん

    7
  • 発売からしばらく、ようやく入手。記念の年ゆえ多くの...

    投稿日:2013/01/13

    発売からしばらく、ようやく入手。記念の年ゆえ多くのCDが世に出た。全部手元に入るなら苦労はしないが、懐事情のため前奏曲集はこのCDと決める。エマールのCDと迷ったが、「牧神」「夜想曲」の2台ピアノ版が追加されていることもお得と感じ選んだ。   ミケランジェリ、ポリーニ、ツィメルマン、青柳いずみこ、ギーゼキングなど聴いたがリュビモフもまた前奏曲の名盤に名を連ねると確信する。今まではミケランジェリの極限まで磨かれたピアノにひれ伏していたが、リュビモフの演奏には緊張することなく音を楽しむことができた。   個人的にはリュビモフの演奏が(楽器のせいもある?)、過去に私が手にとったCDと比較して、とても落ち着いていてじっくり聴ける。ピアノの音がぎらぎらしていない。写真を撮るに、真夏の日差しの下より木陰の方がきれいに撮影できると表現したらよいだろうか。作曲者が作品に与えた表題を着実に音化していると思う。1枚ずつの絵(または情景・物語)が鮮烈過ぎるとそれだけでいっぱいいっぱいになるものだが、リュビモフの演奏と音は一連の展覧会(または物語)の集まりとしてまとめて対することができる。   楽譜は読めず、聴くだけの私。細かい専門的なことはレビューできません。それをご理解いただいたうえでCD選びの参考になれば幸いです。

    うーつん さん |40代

    7
  • 本盤には、ドビュッシーの管弦楽曲全集がおさめられて...

    投稿日:2012/05/20

    本盤には、ドビュッシーの管弦楽曲全集がおさめられているが、夜想曲、交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲などの有名曲も含め、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。ラヴェルの管弦楽曲全集の至高の名演としてはクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏が掲げられるが、それに相当するドビュッシーの管弦楽曲全集の名演こそは、本盤におさめられたマルティノン&フランス国立放送局管弦楽団による演奏であると考えられる。マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代が不遇であったため(とは言っても、ラヴェルの管弦楽曲集などの名演を遺している点に留意しておくことが必要である。)、過小評価されているきらいがないわけではないが、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの悲愴の超名演を成し遂げるなど、その実力は折り紙つきであったと言える。そして、その実力を如何なく発揮し得た演奏こそが、本盤におさめられたドビュッシーの管弦楽曲全集の超名演であると言っても過言ではあるまい。マルティノンは、例えばブーレーズなどのように曲想を曖昧にせず(もちろん、ブーレーズの演奏も説得力があり名演と評価し得ると考える。)、むしろ明瞭に描き出すように努めていると言える。これによって、ドビュッシーの光彩陸離たる色彩感豊かなオーケストレーションが微塵の曇りもなく表現されているのが見事であると言えるだろう。また、各フレーズの端々からほのかに漂ってくるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、これぞフランス音楽を鑑賞する醍醐味が存在していると言える。いずれの楽曲の演奏も素晴らしいが、とりわけ有名な牧神の午後への前奏曲のアラン・マリオンのフルートソロは、いかにもフランス人奏者だけにしか出し得ない洒落た味わいに満ち溢れていると言える。いずれにしても、本盤におさめられた全集の各演奏は、様々な指揮者による各楽曲の演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。音質は、従来CD盤でもリマスタリングを繰り返してきたこともあって比較的満足し得る音質であったが、現時点では数年前に発売された、有名曲だけを1枚におさめたHQCD盤がベストの高音質であると言える。したがって、私としても、当該HQCD盤を愛聴してきたところであるが、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところである。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。1960年代のスタジオ録音とは思えないような音質の劇的な変化は、殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、マルティノンによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

    つよしくん さん |40代

    7
  •  「今まで“お国物”に拘るような聴き方はしてこなか...

    投稿日:2012/02/27

     「今まで“お国物”に拘るような聴き方はしてこなかったのですが,クリュイタンスの一連のラヴェル録音は別…。どんな名優の東北弁より,地元のお婆ちゃんの東北弁の方が上手いのは当然…,どんな一流料理人の料理より,地元の方の手料理の方が“味”があるのは当然…と感じてしまうのです。音が出るとき,音が消えゆくとき,減衰していくとき,徐々に盛り上がっていく様…隅から隅まで,独特の何かを感じてしまう。これが“フランスのエスプリ”と言われるものなんだろうか…。「思い込み,先入観でしょ…?」という人もいるかもしれませんが,その思い込みや先入観を裏切らず,本当にそう思わせてしまうのは,凄いことではないかと思います」とクリュイタンスのラヴェルシリーズのレビューに書きました。マルティノン&フランス国立放送管のこのドビュッシーにも全く同じことが言えます。両者とも正に“お家芸”。『海』のうねり,『牧神の午後への前奏曲』のホンワリ感,『映像』の躍動感…書き出したらきりがないほどの(というより言葉にできないほどの)魅力満載。

    masato さん

    7
  • ばら売りで1枚1000円のを全部持ってますが、 若...

    投稿日:2012/02/26

    ばら売りで1枚1000円のを全部持ってますが、 若きベロフがEMIに録音したものも瑞々しく 大変優れた演奏だったんだけど、これは風格や 深みを感じる。 しかも当たり前だか音が大変良い。 全集で買って絶対損はない優れた演奏。

    abbadondon さん

    7
  • ハイティンクほど、評価が分かれる指揮者はいないので...

    投稿日:2011/06/11

    ハイティンクほど、評価が分かれる指揮者はいないのではないだろうか。ハイティンクのアプローチは誠実そのものであり、奇を衒った演奏を行うことは皆無。曲想を丁寧に愚直に描き出していくのを旨としていると言える。したがって、聴き手によっては、楽曲の魅力を安定した気持ちで満喫することができるということで評価する者もいるであろうし、他方では、そうした演奏を没個性的であると批判する者もいると思われる。私としては、いずれの意見にも一理あると考えているが、楽曲によって向き不向きがあると言えるのではないだろうか。例えば、マーラーのような交響曲については、ハイティンクの演奏では物足りないと感じることが多々あるが、他方、ブルックナーの交響曲については、これも曲によって良し悪しはあるが、総体としては、マーラーよりは出来がいい演奏を成し遂げているように思われる。多くの指揮者が賞賛しているショスタコーヴィチの交響曲についても、楽曲によって向き不向きがあるようで、例えば第4番はいかにも踏む込み不足が露呈した演奏に陥っているように思うが、第13番は彫の深い素晴らしい名演に仕上がっている。ハイティンクは、長年にわたって、コンセルトへボウ・アムステルダムの芸術監督をつとめたことから、どちらかと言うと、同オーケストラを指揮した時の方が、名演になることが多いとも言えるのかもしれない。実際に、前述のショスタコーヴィチの第4番はロンドン・フィルとの演奏であるのに対して、第13番はコンセルトへボウ・アムステルダムとの演奏でもあるのだ。それはさておき、本盤のドビュッシーの演奏においても、ハイティンクのアプローチは何ら変わるものではない。自我を抑制し、ひたすら曲想を丁寧に愚直に描き出していくというものだ。したがって、ドビュッシーの音楽の魅力をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と評価してもいいのではないかと考える。特に、当時のコンセルトへボウ・アムステルダムの各奏者は卓越した技量を誇っており、そうした圧巻の技量とともに、北ヨーロッパの楽団ならではの幾分くすんだいぶし銀の響きが味わえるのも本演奏の大きな魅力の一つであると考える。また、本演奏については、既にSACDハイブリッド盤が発売されており、極めて満足できる鮮明な高音質であったが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、SACDハイブリッド盤をはるかに凌駕する超高音質と言える。このような究極の超高音質で、本名演を味わうことができることを大いに喜びたい。

    つよしくん さん |40代

    7

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ありがとうございました

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