プロコフィエフ(1891-1953)
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プロコフィエフ(1891-1953) レビュー一覧 5ページ目

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商品ユーザーレビュー

614件
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  • この先、日本で歌劇『セミョーン・コトコ』が上演され...

    投稿日:2018/12/08

    この先、日本で歌劇『セミョーン・コトコ』が上演されることはないかもしれない。そのことを考えても、商品として世に出してくれたゲルギエフに感謝したい。しかも日本語字幕付きで観ることが出来る。 ただ、個人的にはここに描かれているパルチザンの物語に入り込む事が出来なかった。強いて言えば、コトコの恋愛の部分のみ共感ができた。 とはいえ、プロコフィエフの音楽も歌手たちやゲルギエフの指揮も素晴らしい。 また、演出も作品世界の雰囲気を良く表現しているが、最後の場面で急に皆が踊り出すような、取って付けたような奇妙な振り付けに違和感をおぼえた。それまでのシリアスな世界からシュールな世界に急変してしまったように感じた。 今後はプロコフィエフの作品では『真実の人間の物語』、『修道院での婚礼』や『炎の天使』。 リムスキイ=コルサコフの『見えざる街キーテジ』、『五月の夜』、『サトコ』や『プスコフの娘』、『モーツァルトとサリエリ』。 チャイコフスキイの『チャロデイカ』、『マゼッパ』、『チェレヴィチキ』などなどを日本語字幕付きで発売してほしい。

    ユローヂィヴィ さん

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  • コンサートで聴く機会を得ないプロコフィエフの室内楽...

    投稿日:2018/12/07

    コンサートで聴く機会を得ないプロコフィエフの室内楽だが 一聴すればその魅力と興味は無限大に広がる 知的で繊細な感性はひとに懐かない まあ誰でも分かれという方が無理だ プロコフィエフも孤独を託ったことだろう 先ずは第1クァルテットだが 選りに選ってロ短調と来た ”未完成”じゃあるまいし だが面白い 中間楽章はハ長調というのも意味深長 突っつき穿れば討論のタネは尽きない 第二次大戦中に疎開したコーカサスで書いた第2は当地の民謡を取り入れたようだが オリエンタル・ムードなど皆無だ 表現主義に徹して極めて面白い 非ロマンチストの面目躍如 人間や社会が内包する深層まで見通さずにいない慧眼が怖いほどだ さらに戦後ロストロポーヴィチのチェロに触発されて書いたチェロ・ソナタも孤独の森に囚われている 優しい歌と滑稽を装ったシニカルなステップが交錯するDuoを賞でる人はあっても愛でる人は少ない さて あなたは この淋しい森に入るや否や    

    風信子 さん

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  • 20年も前のアーカイブが今陽の目を見るとは面白い ラ...

    投稿日:2018/11/07

    20年も前のアーカイブが今陽の目を見るとは面白い ラザレフ&LPOのライヴで若き日のプロコフィエフ作品が並ぶ ”夢”は19歳 ”第1Vn協奏曲”は26歳 バレエ”道化師”は29歳 ”第3交響曲”の基になったオペラ”炎の天使”は36歳に書いている 孰れもプロコフィエフがアメリカや西欧で仕事をしていた時代だ 表現主義と言ってしまえば身もフタもないが 時に機械音のような無機質な音塊が顔を出す音楽は情緒というフィールドに立つことを拒否しているかのように高踏的だ これを顔が強張る思いで聞くか否かでプロコフィエフの評価は決まる わたしには当に道化師の無表情引きつった笑いに見える それは恐怖であり怒りであり虚無である 人の心は優しく愛されたいと思っている 子どもですら心のままを顔に出すことを躊躇うことはしばしばある その心が柔らかく繊細であればあるほど隠さなければならない顔がある わたしは哀しみを共有しながら不器用なプロコフィエフを愛する 大変意欲あるプログラムでありまた熱演である あなたも如何

    風信子 さん

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  • 歌に満ちたプロコフィエフ 表現主義やアヴァンギャル...

    投稿日:2018/09/30

    歌に満ちたプロコフィエフ 表現主義やアヴァンギャルド性は背後に隠されている それはイブラギモヴァの演奏が導いたプロコフィエフの表情であり 作曲者の一面性に過ぎないが 多くの聴衆が聴く場合拠り所となる最大の長所でもある 聴き始めて詩が読みたくなった 書棚から”青猫”を持ち出して 音楽はそのままに朗読した 朔太郎の世界とシンクロナイズして詩も音楽も輝きストンと胸に落ちてきた 思えば同時代の人だ プロコフィエフの”歌”は抒情以外の何物でもなかった イブラギモヴァの情に溺れない客観的運動性に支配された”歌”は宇宙が持つ冷徹なまでの繊細さと柔軟ですらある強靭さを体現する美しさだ 同時にオズボーンが見事に表出して見せたピアノ・パートの重要さを思い知った プロコフィエフはやはりピアニストなのだ この楽器に仮託してこそ最も雄弁たり得ると再確認した 交響曲に匹敵する楽曲と演奏だ あなたも如何 

    風信子 さん

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  • ロストロポーヴィチの芸風がそうなのか、オケがフラン...

    投稿日:2018/07/23

    ロストロポーヴィチの芸風がそうなのか、オケがフランス国立管だからなのか…、例えば2番冒頭みたいな、限界を超えた熱さを求めたい部分でも熱くならずに演奏するのが、やや物足りなさも感じるわけだが…。 それでも、プロコフィエフの交響曲の魅力を知るには十分な演奏だと思うし、4番の両稿収録もうれしい。ファーストチョイスとしてお薦めしたい、「派手さはないが、端正な演奏で録音もいい」お買い得盤。

    フリッチャイマニア さん

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  • これがバレエ音楽だったことを思い出させてくれた 主...

    投稿日:2018/07/13

    これがバレエ音楽だったことを思い出させてくれた 主役はダンサーなのだ 音楽がしゃしゃり出て表現過多になってどうするのか コンサート用に編集された抜粋あるいは組曲を聞いているときに知らず知らず聞き手のわたしたちも妙なアクセントやうねるような刺激の波を期待していたようだ 戯曲の味わいをバレエで伝えるためにプロコフィエフをはじめ制作者集団が大変な知恵と時間を費やしたと聞いている 踊りと表情だけでドラマを表現するために音楽が果たす役割は言葉の代わりをすることだろう 囁きから絶叫までを超えて 心の声から喧騒まで その表現の振幅は極めて広い 有名曲だけが印象に残り続けるような演奏はバレエの邪魔だ 凡ては大きなドラマの展開と流れを生かす音楽でありたい 呼吸を乱さずニュートラルな運転がベストだ オールソップはプロコフィエフの新たなオーソリティになった ここに退屈はない 改めてプロコフィエフの才能に舌を巻く 全曲なんてと言わず あなたも如何

    風信子 さん

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  • 四半世紀以上も前の録音 キタエンコ若かりし頃の記録...

    投稿日:2018/07/10

    四半世紀以上も前の録音 キタエンコ若かりし頃の記録からもプロコフィエフへのシンパシーを感じることができる プロコフィエフはヴィルトゥオーソだった 自らが演奏して糧を得るために三曲のピアノ・コンチェルトを書いた これで充分だったし書けるものは書いてしまった 実は自らのピアニズムはそのほぼ全てを第1番に注ぎ込んだ 2番3番は追補でありヴァリアントでしかない 音楽の密度と緊張感が違うように思う 面白さにも明らかに差がある ヴィットゲンシユタインのための第4番は依頼者に演奏されなかった 恐らく演奏困難だったと聞こえる そのフラストレーションがあったか 逆に創作意欲に火が点いたのか翌年に第5番が書かれている しかしここまでだ 更に翌年ロシアではないソ連に帰還している 以後同ジャンルに手を染めることはなかった 作曲家としての意に染まない部分を抱えながらこの5曲があるように思う ベートーヴェンの5曲の幸福とは対極にあるように感じられて胸につまされる  

    風信子 さん

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  • ベルマンのヴァイオリンが良く鳴っている 饒舌すぎる...

    投稿日:2018/07/08

    ベルマンのヴァイオリンが良く鳴っている 饒舌すぎるくらいかもしれない 何より聞き応えがあるのは”第2番”だ フルート協奏曲として書かれたが評価が出ないのか あまりに演奏される機会が少なかった プロコフィエフが零したのを聞いてオイストラフが改作を勧めたと言う フルート演奏が低調だったのは高い技巧が必要だったことと大戦中ということもあったようだ 結局はヴァイオリン曲として認知されていく 不思議なのは”第1番”だ この”2番”より5,6年も前に書き始められていたにも拘わらず出来上がっらず 戦後になって完成 足掛け9年かかっている 難曲でありへ短調と言う調整が激烈さと陰鬱さをもたらしている 誰のために書かれたのだろうか 結局二曲ともオイストラフが初演している ”5つの旋律”は声楽曲からの改作とあってメロディックで聞き易い 朋にはまとめて聞かずに拾い聞きを奨めよう あなたも如何     

    風信子 さん

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  • 二年間求めても何か障害に出会って手に入らなかったDi...

    投稿日:2018/07/06

    二年間求めても何か障害に出会って手に入らなかったDiscを朋の手を煩わせて漸く聴くことができた 全集完成の最後の一枚とあってどうしても聴きたかった オールソップ&サンパウロsoのノーブルでユニークなプロコフィエフの魅力を知らないのは勿体無い サイケデリックな刺激で脅かすようなことをしない演奏はセンセーショナルな世評を掻き立てるようなことがないからついつい見過ごされがちだ 明るく突き抜けたサウンドと明瞭なリズムのキレは美しいプロコフィエフを描くに必要十分な資質を持つコンビだ 果たして”第7交響曲”は牧歌的で懐かしささえ漂う柔和な表情を描き出した なんと優しさに溢れた”青春”交響曲だろうか ああ本当に聴けて好かった 朋に感謝する ”3つのオレンジへの恋”と”キージェ中尉”も聴きもの 蓋し”キージェ中尉”は名演と語り継がれるだろう 手に入れるになかなか手こずると思われるが あなたも如何 また 第6番共々Blu-ray Audio化をNAXOSにはお願いしたい  

    風信子 さん

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  • もう10年以上も前にこの5番を入れた後 ついこの間2...

    投稿日:2018/06/17

    もう10年以上も前にこの5番を入れた後 ついこの間2番&3番を出して忘れていないと示したが このペースでは全曲完成はいつになるのだろう ユロフスキのプロコフィエフは色彩的ではない 煌びやかな意匠や装飾で人を惹きつける交響絵巻にはならない その音楽は言葉であり詞である 1944年世界大戦の終結の年 プロコフィエフは久しぶりに交響曲の筆を執った 標題を持たない純器楽曲だが これが戦争と無縁で生まれたはずはなく 音楽に秘められた声や叫びを聴き取るのは奏者にそして聴き手に託された 戦時の混乱と煩悶を受け取ったと見えるユロフスキは弱音部を克明にしかし過度に縁をなぞらず 音楽が流れゆく彼方へ視線を飛ばすことを忘れない そこから浮かび上がるプロコフィエフの心中の風景は傷つきながらも片方に捕らわれず広汎に視界を得んとするものだ これから生きて行く彼方を見据えて低い姿勢で歩き始める音楽がここにある 掉尾に”戦争終結に寄せる頌歌”を置いた意味は明確だ もしまだなら あなたもお聴きになっては如何

    風信子 さん

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